【第18回】 【目次】 【第20回】
次の脳内時間旅行の行き先は約150年前から約50年前までの約百年間、2番目の存在の大いなる連鎖の時代である。
象徴的な出来事としては、ちょうど『種の起源』の刊行から、第二次世界大戦の終わりぐらいまでの期間にあたり、その主要なテーマは人種差別である。
しかし、人種差別というとりわけセンシティブな話題を扱うに当たって、まずよくある誤解を解いておかなければならない。
おそらくこのシリーズを読んでいる人はすでに知っているように、反捕鯨と人種差別の関係については、まったく正反対の2つの見方が存在する。まあ典型的にはこんなようなものだ。
「反捕鯨なんて人種差別のための隠れ蓑に過ぎない! 奴らは日露戦争で白人を不敗の半神の立場から引きずり降ろした日本人を恨んでいる。イエローモンキーが自分たちより金持ちなのが気にくわないだけだ。完全に白人優越とキリスト教を受け入れでもしない限り、捕鯨をやめたら次はマグロを食うなとか言い出すに決まってる!」
「捕鯨に反対している日本人も大勢いる。反捕鯨が人種差別とか根も葉もないことを言い訳にしてるのは日本の方だろうが! 国際社会で自分の言い分が通らないとすぐ人種差別だとか言い出すのはまさに戦前日本の体質だ! 役人がネット右翼の欧米コンプレックスと排外主義を煽って非合理で非合法な捕鯨利権を温存しようとしているだけだ!」
残念、どちらも多少は頭を使おうとした形跡を認めるが、両方とも大間違いだ。反捕鯨運動は人種差別と無関係ではない。無関係ではないどころか、切っても切れない関係にある。
ただしそれは、自明の論理的帰結として人種差別の要素を含まざるを得ない、万物の一直線的な階層秩序という哲学体系を、伝統宗教から*1受け継いでいるからであって、反捕鯨運動が人種差別そのものであるわけではない。
それはちょうど、白人キリスト教徒が一人残らず(現在の基準に照らせば)ひどい人種差別主義者であり、キリスト教が人種差別の正当化に大いに利用されていた19世紀以前にも、キリスト教が人種差別そのものだったとか、人種差別のための教えだったとかいうわけではないのと、まったく同じである。
リチャード・ドーキンスでもそうは言うまいし、誰がなんと言おうが言うまいが単純に間違っている。反捕鯨運動は決して人種差別のための運動ではない。
逆に言えば、19世紀以前にも黒人キリスト教徒がいなかったわけでも、存在できなかったわけでもないし、黒人がキリスト教信仰から救済を得られなかったわけでもなかった。
このことが何か未知の発見もしくは理論によって説明をしなければならない怪奇現象であると考えているのでもなければ、反捕鯨運動に熱心な日本人がいることは、反捕鯨が人種差別と無関係であることを意味することにはならない。
大体あなたは人種差別をなんだと思っているのか。もしかして学校で社会の時間に習ったキング牧師やマルコムXが活動していたころのアメリカを、黒人に犬をけしかけている警官や、デモ隊に放水している消防士の写真等を想像して、あれが「人種差別」だと思っているのではあるまいな?
あれは今の文脈では、第二の大いなる連鎖を司っていた、社会ダーウィニズムを中心とする「科学的」人種差別の壮麗な体系が、主としてナチスがとんでもないことをやったせいで劇的に崩壊した後の、言わば人種差別の残りカスが残党狩りにあっている光景なのであって、あんなものが人種差別だと思ったら大間違いである。
この時代に着目することが重要な理由は、第9回から第12回に渡って見てもらったような、そしてこれからももっとたくさん見てもらうような、一般的な日本人には無秩序に咲き乱れる色とりどりのお花畑としか見えないガイア教の諸信念が、この時代に対する反動(のうち少々ねじれた形をとったものの中のひとつ)として見ることで非常にすっきりと筋の通る形にまとめることができるからである。
だから、反捕鯨者の多くは、おそらくそれ以外の多くの人たちの平均よりもずっと、人種差別には反対の人たちである。
反捕鯨と人種差別に関係があるからといって、シーシェパード本部に有色人種専用の洗面所があるとか、ホエールウォッチング船の添乗員が文字通りの意味で「ジャップ死ね」とか叫んでいるとかいうことは決してない*2。どちらも行ったことはないが、そんなことはない方に全財産賭けてもいい。
第一、本当にそんなことがあったらこのシリーズ全体が完全に論拠を失うだろう。というのも私はそもそも、そんなことがもはやまったくありえなくなった時代であるが故にこそ生じた奇妙な*3現象であるガイア教について長々と論じているのであるからだ。
*1:ひいてはより以前の哲学から、もっとさかのぼれば、おそらく遥か遠い祖先の脳が、群の個体間の順位の優劣の関係を処理していたであろうやり方から。
*2:ただし、Youtubeのコメント欄などネット上では文字通りの意味で叫びまくっているように見える。私はそんな誰にでもわかることを説明している余裕はないので読者に任せるが、何故だと思う? 当たり前だって? 当たり前なら確固たる理由を言えるはずだろう? 説明してくれ。Youtubeというサイトには人の心を荒廃させるサブリミナル効果でも施されているの? それともホエールウォッチングには本当に汚い言葉を吐かせるような醜い心を溶かしてしまう聖なる力があるの? それとも中国共産党が雇った工作員が事態を悪化させようとしてオーストラリア人に化けて書き込んでいるの? どれなんだ?
*3:前回までの教訓を思い出せ。「我々がそれに慣れ親しんでいない」という以上の意味があると考えるべきではない。
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おまけ
一応海つながり?
コメント
>aki
そりゃ欧米人だってマグロは食いたいし食えなくなったらやだよ。
シーシェパードみたいなネタが何でも騒げば騒ぐだけ利益になる団体は
もちろん関連させようとするけど、一般にマグロ問題が捕鯨問題と
関連があるとする考えは間違いです。
>次はマグロを食うなとか言い出すに決まってる!
第15回ワシントン条約会議ではクロマグロ取引禁止案は否決されました。
常識ではたとえに過ぎない話を実現しようとする人々がいるので、現実という奴は油断なりませんね。
>量産型通りすがりさん
無関係ではないものの、なんかマルチポストっぽかったので返事してない。海底牧場は面白いけどね。後でちょっとだけ出てくるかも知れない。
面白かったです!
しかし、まさにその陰謀論な人からおさそいがw
ピザテンフォーのyutakarlsonです。西欧の人でも、過去には21世紀には鯨の時代になる可能性もなきにしもあらずと思っていた時期もあります。アーサー・C・クラークの海洋SF小説「海底牧場」を題材として、鯨を含む海洋資源と海洋開発の重要性と、将来性などについて書いてみました。是非ご覧になって下さい。
>水族館からのイルカ解放運動
そんなのとっくにやってるよ。
公然と人種差別ができない現代ではガイア教徒にとって反捕鯨運動というのは世界にアピールできる大事な修行になるようですね。
もし簡単に反捕鯨運動が成功したら逆にガイア教としては困った事になる気もしてきました。
その時は水族館からのイルカ解放運動でもやるのでしょうか。(笑)
うろ覚えですが「自由論」に、「戦場に敵がいなくなると、教える人も学ぶ人も居眠りする」とうような内容が書いてあったのを思い出しました。