【第17回】 【目次】 【第19回】
歴史を文化人類学的に捉える価値について一通り講釈したことによって、そろそろ私自身の本音の一端を漏らしても発狂したと思われずにすむ自信がついてきた。まあ見ればわかると思うが、私は捕鯨・反捕鯨問題が大好きなのである。愛していると言ってもよい。
どうだろう? 必ずしも私の頭がおかしくなったとは思わないだろう。本物の聖戦の戦士が現代の先進国にもバッチリ生き残っているということだけでも、たとえるなら「奇跡的に発見された氷漬けのティラノサウルスが生きたまま解凍されて動物園で公開されている」ことに匹敵する面白い話ではないだろうか。
しかも、ティラノサウルスの方が実現する可能性はゼロだが、反捕鯨問題はすでに現実で、仮に実際に見られてもひとしきり感動したらすぐ飽きるであろうティラノサウルスよりも、もっとずっと複雑で面白いものである。
反捕鯨問題はとても新しいと同時に、とてつもなく古い問題でもある。ものすごく下らない問題であると同時に、この世にこれ以上はないほど重要な問題でもある。どんなに大きく見積もっても、誕生からせいぜい60年程度、1人の人間の寿命以下の時間しか経っていない新しい問題であると同時に、人類に
- 大地や大空や星は何故あるのだろう?
- 蛇やバイソンや鹿や海豚は何故いるのだろう?
- この群で一番偉いのが俺なら、この世で一番偉いのは誰なのだろう?
- 人が皆親から生まれるのなら、自分の親の親のそのまた親の……とどこまでも続けていくと一体どうなるのだろう?
といった高度に抽象的な思考を行う能力が備わるようになってからこの方、最低でも数万年にわたって、絶えることなく連綿と続いている問題でもある。
次の時代の教科書として利用しようと思っている『人間の測りまちがい』の改訂増補版序文で、心の師匠スティーブン・ジェイ・グールドがこんなことを言っている。
二十年にわたって、月に一本書くエッセイストとして、私が学んだことがあるとするなら、それは個別の項目をとりあげて一般論を論ずることの威力を理解できるようになったことである。「生命の意味」についての本を書いても無駄である(我々はみんなそのような大問題の答えを知りたいと切望しているが、その一方で、当然のことながら真の解決はありえない!と疑っている)。
しかし、「野球の打率四割の意味」についてのエッセイは、時代の好みについての特質、長所の意味、そして(信じようが信じまいが)生まれつきの体格といった広範な話題に驚くほど適合する真の結論にたどりつくことができる。一般論に対し真正面から攻撃するのではなく、わからないように密やかに忍び寄らねばならない。私の好きな文章の一つは、G・K・チェスタートンの次の発言である。「すべての絵に不可欠で本質的なものは額縁である。よって芸術は限定(制約)である。」
今私が提供できるものの中で師匠の境地にちょっとでも近づけるものがあるとすれば、この話がそれだ。
いま南氷洋の一点に集まっている捕鯨船と鯨と活動家の抗議船は、科学と宗教・理性と信仰・思想と思想・文化と文化・人間と人間のぶつかり合いの最前線にいて、それらの関係は、人間が世界を・自然を・生物をどのように捉え、自らの存在をそれらとどのように関連づけ、その中にどのように位置づけようとかつてしてきたか・今現在しているのか・そしてこれからしようとしているのかについての、この上なく見事な縮図となっているのだ。
これは「へっ、アホガイジンと腐れ役人がなんかバカやってらー」とかいう類のものよりは、少なくともずっと面白く、もしかしたら何かの役に立つかもしれず、そして何よりも、正しい見方であると私は思う。*1
これを読み解くことは人間として生まれて、幸運にも楽しむことができる無上の喜びの1つではないか。放っておくのはあまりにももったいなすぎる。
私が、政治的右派からも左派からも、日本人からも欧米人からも、両側から袋叩きにされかねないこの超危険な話題にわざわざ踏み込んで多大な紙幅を費やしている最大の理由は、この面白さを他人と共有したい誘惑を堪えきれないからである。
*1:正しい物の見方などというものが存在するとすればだが。
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おまけ
自然と人間と言えばこれ……だが何故こうなる! カオスw
コメント
>すべての絵に不可欠で本質的なものは額縁である.
思わず、リアリティTVのフレームを連想してしまいました。
確かに面白い問題です。
攻撃対象とされてる我々にしてみれば(なるべく色んなもんを楽しみたい食いしん坊としては)、酷く不愉快なことこの上ないですがw