『老子』要約

老子 (中公文庫)

 『老子』は元からそんなに長くないですが、現代語訳ではなく要約です。

 重複していたり、現代の視点から見て意味をなさないようなこと*1は省いて順番を並べ替えたりしています。

『老子』

 道*2として示せるような道は道でなく、名として表せるような名は名ではない。無名*3が天地・万物の生まれ出る根本である。

 車輪の働きが中心の穴*4にあり、器や家の働きが中の空間にあるように、道は空虚でありながら、その働きは永久・無限である。天地は自ら生きようとしないから永遠であり、自ら偉大であろうとしないから偉大である。

 人の考える美醜・善悪・有無・難易・長短・高低などの区別はすべて相対的なものにすぎない。余りのあるものを減らし、足りないところに補うのが自然であるのに、人は逆に足りないものを減らして有り余っているところに差し出す。

 道にそって自然にしておりさえすれば何も必要としないのに、道を外れたために徳や仁愛が必要になり、仁愛や徳が衰えたために、正義や礼儀が必要になった。

 正義や礼儀はいわばあだ花であり、聖人*5はあだ花でなく実をとらなければならない。それゆえ聖人は無為*6の立場で、不言*7の教えを行う。

 わかっている者ほどしゃべらず、よくしゃべる者はわかっていないものであるから、すべてをわきまえていても賢しらに知恵を用いない。知っていながら知らないと思っているのが最上で、知らないのに知っていると思っているのは欠点である。欠点を欠点と知ることが欠点をなくすことである。

 視覚は目をくらませ、聴覚は耳をだめにし、味は味覚をそこない、遊びは心を狂わせ、珍しい物品は行動を邪魔する。それゆえ聖人は感覚の楽しみを追わず、外なるを捨て内なるを取る。

 自分自身がわかるのが本当の知恵で、自分にうち勝つのが本当に強いということである。満足を知るのが本当に富むということであり、努力し続けるのが本当に望みをとげるということである。いるべきところを間違えないのが本当に安定することであり、死んでも滅びないものが残るのが本当の長寿である。

 器に水を満たし続けることはできず、鍛えた刃は鋭いままであり続けることはできず、黄金・宝玉が家中にあふれれば守りきることはできない。富貴になっておごり高ぶれば必ず破滅する。功成り名遂げたあとは、引退するのが自然の道である。

 何かを縮小したいときはまず拡大し、弱めたいときはまず強め、駄目にしたいときはまず勢いづけ、奪い取りたいときはまずは与えるべきである。柔よく剛を制すの知恵である。

 災いがあれば幸福もあり、幸福があれば災いも隠れている。禍福循環の法則は誰にもわからない。それゆえ聖人は品行方正だからといって、物事を白黒まっぷたつに分別することはせず、きっぱりとしてはいても傷つけることはせず、まっすぐであってもそれをどこまでも伸ばすことはしない。

 最高の善は水のようなものだ。万物の成長を助け、争うことなく、自ら低い場所にとどまろうとする。最も柔らかいものでありながら、ときに最も固い岩をも蹴散らし、すみずみまで染み渡る。

 大河や海が幾百もの川の王となりその水を集められるのは、へりくだって最も低いところにいるからである。

 人民の上に立ちたければへりくだり、先頭に立ちたければ自分を後回しにして、上にいても重荷とされず、前にいても邪魔とはされないようにしなければならない。国も同じで大国は特にへりくだらなければならない。

 どんな難問も必ず易しい問題から起こり、どんな大事件も必ずちょっとしたことから起こる。聖人は難しいことはそれがまだ易しいうちによく考え、大きな問題は小さな問題のうちに処理するから、決して大きなことはしないのである。

 悪い君主は苛政を行うので人民に憎まれ、良い君主は仁政を施すので人民に褒め称えられ、最高の君主はことさら何もしないので人民に意識されない。

 しっかりと建てられたものは壊れない。個人がしっかりと身を修めるならその子孫は代々祖先を祭祀して絶えることがない。そして一家がしっかりと修めていくなら一村、一国、世界も永続する。

 武器は不吉である。道によって君主を補佐しようとする人はすすんで武器を使用しようとはしない。悲しみの心で戦いにのぞみ、勝利を収めても傲慢にならず、葬式の礼法で処置する。

 国を治めるには正攻法により、戦争をするには奇策によるが、全世界を制するには何もしないことである。法律が増えるほど人民は貧しくなり、盗賊は増える。技術者が増えるほど余計な物品が増え、武器を蓄えるほど国は混乱する。

 知恵者を優遇するのをやめれば争いはなくなり、珍しい品を貴重とするのをやめれば盗人はいなくなり、欲望を刺激するものが目に入らないようにすれば心は乱されなくなる。そのような無為の政治を行えば自然と万事うまく治まる。

 人民が自棄になり、死を恐れなくなってしまえば死刑で脅すこともできない、人民を安楽にすれば、死を恐れ死刑を行う必要もなくなる。そもそも自然という死の執行者がいるのに人民を死刑にすることは、優れた大工をさしおいて自分で木を切るようなもので、己の手を傷つけずにはすまない。

 刑を厳しくして罪人を殺しても、甘くして生き延びさせても時に有利であったり有害であったりして誰にもその判断はできない*8。天は争わずに勝ち、ものを言わずして答え、呼びよせずに自ずから来させ、ゆったりとうまく処置するであろう。天の網は広大で目は粗いが何者も逃さない*9

 国が小さくて人口が少なく*10、武器はあっても使われず、生命を大切にして舟や車にも乗らない。大昔のように、文字をやめて縄を結んだ印を用い、まずい食物をうまいと思い、粗末な衣服を立派だと思い、狭い住居に落ち着いて素朴な風俗を楽しいと思うようになれば、隣の国がたがいに見え、鶏や犬の鳴き声がたがいに聞こえるほど近くても、人民は老いて死ぬまでたがいに往来することもないであろう。*11

*1:間違っていることではなく。
*2:宇宙の根本原理、常道
*3:名前で表せないところのもの
*4:車軸を通す穴
*5:道に沿った理想的な人
*6:ことさらに何もしないこと
*7:ことさらに何も言わない
*8:ので、天に任せるべきだ
*9:天網恢々疎にして失せず
*10:小国寡民
*11:それが理想である。

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