私は子供のころ「世の中の立派な人・頭のいい人・勇気のある人はとっくの昔にみんな自殺してしまっていて、この世に生き残っているのはみんな意地汚くて頭の悪い意気地無しばかりなのではないか」と半ば本気で考えていたことがある。
なぜって? そうとしか考えられないではないか。鳥や魚や獣はいかなる理由があっても自殺しない。するのは人間だけである。あらゆる生物の中で人間だけが持つ高度な知能・精神などが、その原因であるのは疑う余地がない。
進化的に完全には無視できない数の人間が、生殖可能な年齢のうちに自殺によって世を去るとすれば、その人間特有の要素は淘汰されて鳥獣と「そこまでは」差のない人間だけが生き残ることになる。まったく自明の理ではないか?
もちろんこれは短絡であって、後に進化の機構はそんなに単純ではないことがわかってほっとすることになったわけだが、しっかりした根拠とともに納得しようと思ったらそれなりに難しい話になる。
もしかしたら昔の私と同じようなことを考えたままの状態の人が世の中には結構な数いるのかもしれない。これまで考えたことはないとしても、たとえば自分に思春期の子供がいたとして、ある晩突然そのような疑問を持ち出されたとしたらどう答えるだろうか?
コメント
>木戸孝紀さん
なるほど、良い要素を持つ種ほど増加しやすいという方向で攻める訳ですか。
そういった視点が欠けてました。
勉強になります。
ハエの同性愛も聞いたことないですね。性決定遺伝子の変異実験のことだったら今回言ってる話とはやっぱりあまり関係ないですね。
この辺の話は面白いし大切なことでもあるのでこれからもたまに書こうかと思います。
ああ、問題を理解してなかったのですね。
なるほど…。
調べてみると、動物だとハエの同性愛があるけど、自殺はやっぱりないんですね…。
>ふもるさん
う?ん、これはちょっと微妙なんですよね。まず変異というのは環境の変異に備えて起きてるわけではないということ。
子孫を残さない変異というものはもちろんいくらでも存在しますが、それと人間の同性愛傾向とかはまた全然別のレベルの話になります。
>天さん
すばらしい。他にももちろん突っ込みどころはたくさんあるんですけど、今回一番本質的かつ重要なのはまさにそれ。「よく自殺する遺伝子」とか「同性愛傾向の遺伝子」とか「立派な人の遺伝子」なんてものがあるわけじゃないんです。
たとえば自殺しやすさが「頭の良さ」「勇気がある」「人格が良い」という3つの遺伝子だけで決まっていて全部持っている人(だけ)は必ず自殺するという単純なモデルを仮定しましょう(もちろんこれだけでもめちゃくちゃ単純化しすぎです)。
その場合、頭が良くて勇気があるけど人格は悪い人・頭は悪いが勇気があって人格も良い人・頭が良くて人格も良いが勇気はない人などがそうでない人(0?1個しか持っていない人)よりも社会的に成功して多くの子孫を残すような場合、「頭の良い」「勇気のある」「人格の良い」遺伝子それぞれは適応的で数を増やしていくということは可能なんですよ。
たとえ人格が立派で頭がよくて勇気のある人が全員自殺するとしても、です。
もちろん頭がいいとか勇気がある人格がよいという遺伝子も実際にあるわけじゃなくて、それぞれがまた無数の遺伝子が複雑に絡み合った影響を及ぼしあった結果としてそうなっているだけなわけで、昔の私が考えたようなことは起きないわけです。
環境が激変しても滅びる事が無いよう、現在の環境に全く適さない方向への変異が一定の割合で発生する種の方が存続確率が高い。
そのため子孫を残さない方向への変異も一定数は発生してしまう…のかな。
子孫を残しにくい性質のものは進化論によればいづれは淘汰されていなくなるが、ある一定数は常に発生しつづける…?
うーん、何か違うような気がします…。
>方向性はいいですよ
何も見てないので、ここから先が思いつきません。w
個人的には、自殺なんてものは、環境的な要因を除いて遺伝的なものだけに絞っても、血液型や目の色を決める要素と違って、「エンドルフィンが出にくい」「生存の欲求が薄い」等の多様な要素の配合の結果にしか思えないので、これ以上突っ込んで考え難いですね。
例えて言うなら、自殺する要素は、「腕相撲の才能」のような一つの要素(例:腕力)に帰するものじゃなくて、「野球の才能」のように複合的な要素(投打走動体視力)でできあがるものとか・・。
>ニホンザルのソース
私は父から聞いたのですが、父は祖父から聞いたそうです。
ネットで調べてもそのような話は全くないところをみると、どうも我が家に代々伝わるデマの可能性が大みたいです…
よく調べないで適当なことを書いてしまって、申し訳ありませんでした。
高度な知能が自殺の必要十分条件じゃないというのはポイントのひとつ。でも十分条件じゃなくてもまだ相対的に淘汰されそうな気はしますよね。
同性愛もかなり着眼点は鋭いです。ダーウィン的な進化論が正しいとしたら同性愛のような誰がどう考えても子孫を残すことに寄与しないような資質はどうして発生しまた存在しうるのか。
この2つはそれぞれ無関係じゃないです。あと一ひねりですごく重要なポイントに来ます。ちなみに「レミングの集団自殺」も、その名前で今広まってる極端な話はトンデモですので。
>天さん
それ何も見ないで書いたとしたらものすごく方向性はいいですよ。
「レミングス」などで有名な動物の集団自殺がありますが、少々ニュアンスが違うかな。
自殺に「高度な知能」が必要条件であったとしても、それが充分条件にはなるのは論理の飛躍ですね。
でも、無難にその点を指摘しても納得はしないかな。
しかし、「進化的に完全には?」の論法はこう言い換える事ができるのですが、それでも真面目に考えるのかな。w
「進化的に完全には無視できない数の人間が、生殖可能な年齢になっても「同性愛という性質によって子孫を残さない」とすれば、その人間特有の要素は淘汰されて鳥獣と「そこまでは」差のない人間だけが生き残ることになる。」
ニホンザルの自殺はちょっと信じがたいですね。ソースありましたら教えて下さい。
ニホンザルの雄は自殺するそうです(ボス猿に負けて群れからハブにされた時等に崖から飛び降りるそうです…)。でも、
鳥獣は自殺しない→アホは自殺しない→立派な人・頭のいい人・勇気のある人ばかりが自殺する
っていう関係が誤りですよね?
実際には、芥川とかは例外で、アホな奴ほど自s(ふぉんぐしゃ!
人類人口中に占めるアホの割合と、自殺者中に占めるアホの割合とで、後者の方が高かったりすると、進化的には自殺せずに生き残っているのは良い人ばっかりになったりしてw
まあ、立派な人の子孫が必ずしも立派とは限らないので、そうはならないけど…
「進化的に完全には無視できない数の人間が、生殖可能な年齢のうちに自殺によって世を去るとすれば、その人間特有の要素は淘汰されて鳥獣と「そこまでは」差のない人間だけが生き残ることになる。」の部分に反論できますかという意味ですよ。
立派な人・勇気のある人・賢い人とで自殺しなかった人を例に挙げるでしょうか。
あとは、そういう人たちでなくても自殺したくなるのが人間だよとか言ったり。