むかしむかし、いわゆる暗黒期にあった少年ジャンプは、マガジンの『金田一少年の事件簿』(連載開始年:1992)・サンデーの『少年探偵コナン』(1994)の人気にあやかろうと推理ものの道を模索し始めました。
『あやつり左近』(1995)『心理捜査官草薙葵』(1996)『少年探偵Q』(1998)を送り出しましたがいずれも短期打ち切りに終わり「やっぱり努力・友情・勝利のジャンプに推理ものは似合わねーよ!」とバカにされました。
ちょっと趣向を変えて推理ものパロディーのギャグマンガ『ぼくは少年探偵ダン!!』(1998)を出してみましたがやっぱり打ち切りでした。あまつさえ「それでもQよりはよっぽど推理ものしてたぞ(笑)」などとおちょくられる始末でした。
もはや「ジャンプ推理もの」と言えば物笑いの種以外のなにものでもありませんでした。そしてジャンプ推理ものの歴史は絶えたかに見えました。人々の記憶からも完全に忘れ去られました。
しかし、今見直してみると気になる要素がありますね。『あやつり左近』の作画は小畑健、『ぼくは少年探偵ダン!!』の作者はガモウひろしです。そうです『DEATH NOTE』(2003)の作画と原作です。何か運命的なものを感じますね。
読み切り版の『DEATH NOTE』(2003)が掲載されたときは「やはりヒカ碁(ヒカルの碁)の再開はないのか!」「何これ? 小畑はまた原作に恵まれない悲劇の作画に逆戻りか……」という程度の反応が多数だったと思います。
連載版『DEATH NOTE』(2003)の大ヒットを予想した人は、少なくとも私の知る限りではいませんでした。
連載版デスノートの大ヒットによって「ジャンプ推理もの」は大逆転を遂げ、歴史は忘れ去りたい黒歴史から(そうだと思われてはいなくても)栄光ある犠牲の歴史となりました。
屍山血河によって築かれたそのフォーマットは、デスノート完結後も『魔人探偵脳噛ネウロ』(2005)等に引き継がれています。今後長く生き続けることになるでしょう。めでたしめでたし。
と、まあ思わず昔話口調になってしまうくらい良くできた物語となった「ジャンプ推理もの」の歴史だが、それはそのまま金田一少年的な古典的推理もの(金田一少年が古典推理ものと言えるかはさておき)の時代からメタ推理ものの時代への変遷の歴史とも思える。
単純に言えば、ネット化によって、瞬時にネタバレされてしまう論理的にまっとうな謎よりも、無限の妄想・嘘バレを楽しめる荒唐無稽な謎の方が、読者にとって価値あるものとなったのだ。
この変化は不可逆なものであり、エンターテイメントの歴史に大きな意味を持っていると私は思う。
コメント
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管理人もビックリ!まさかこんな画像があるなんて・・・
ヒカルの碁
でしょー(笑)。読み切り番は特にそうだったよね。ラッキーマンって運で勝つことをこじつけるために結構頻繁に風が吹けば桶屋が儲かる的な屁理屈をやってるでしょ。絵柄が違いすぎて一見わからないだけでものすごくガモウ的ですよ。
なんだか言われてみると名前を書く事で人を殺せるノートに対し専用消しゴムで消せば生き返るなんてのもガモウ的に思えてきました。
そう? 私は初めて聞いたときから「そうだったか!」と少しも疑なかった。月が東大トップで合格とかLが世界中の警察を動かせるとか、キャラの「すごさ」の説明法とかがラッキーマンそのまんまなんだもん。たとえ今さら別人ですと公式発表があってもそっちの方を信じないね。
とりあえず、あやつり左近・心理捜査官草薙葵・少年探偵Qは記憶にあるけど僕は少年探偵ダン!!はさっぱり記憶にないですw
大場つぐみは謎の人物だと聞いていたのでガモウひろし説は初耳でした。
ラッキーマンとデスノート
どう考えても結び付かんな・・・