いつかまとめてそれなりの長さで書こうと思っていた話だが、この本にまったく同じ表現が出てきたので、もう出してしまおう。
「重心」は実在するか?
ある意味では、もちろん重心は実在しない。
たとえばサッカーボールの重心には何もない。空気しかない。ボールの重心はまだしも内部の点だが、ドーナツの重心は内部の点ですらない。
しかしまた、ある意味では、もちろん重心は実在する。実在するとの前提の元で行われる大抵の活動は概ね正しい答えに到達する。
私の重心は、私の体重とか、私の銀行口座とか、日常的に「実在する」とされているあらゆるものとまったく同じように、実在する。
しかし、細かく見ていくと重心が存在するという直感にはうまく当てはまらないケースが出てくる。たとえば、オリンピックの走り高跳びで見事な背面跳びを成功させた選手がいたとする。この時、選手の重心はバーを越えていない。
「魂」は実在するか?
ある意味では、もちろん魂は実在しない。脳を分解してよく探せば見つかると本気で信じている人は今日時点ではあまりいないはずだ。
しかしまた、ある意味では、もちろん魂は実在する。実在するとの前提の元で行われる大抵の活動は概ね正しい答えに到達する。
私の魂は、私の体重とか、私の銀行口座とか、日常的に「実在する」とされているあらゆるものとまったく同じように、実在する。
しかし、細かく見ていくと魂が存在するという直感にはうまく当てはまらないケースが出てくる。たとえば、念入りな心理学実験や脳に損傷を負ったりするような場合には。
おまけ
仕様変更にめげずイカ教祖復活。
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