コンラート・ローレンツとナチス・ドイツ

ナチスと動物―ペット・スケープゴート・ホロコースト

 このエントリでローレンツの生きていた時代を適当に「この時代」と書いたが、「この時代」とは思いっきり大雑把に言えばナチスの時代でもある。

 我々が今日持っている人類文化、芸術、科学および技術の成果はほとんど専らアーリア人種が創造したものである。アーリア人種は人類のプロメテウスであって、その輝く額からいかなる時代にも常に天才の精神的な火花が飛び出し、神秘の夜を明るくし、人類をこの地上の生物の支配者とする道を上らせた。アーリア人種に最も激しい対照をなすものがユダヤ人である。この世界にユダヤ人しかいなければ、彼らは泥や汚物に息がつまるか、憎しみに満ち満ちた争いの中で互いに騙しあおうと務めるだろう。我々民族主義国家は人種を一般生活の中心に据え、人種の純粋維持のために配慮しなければならない。

我が闘争より

というのは映像の世紀で引用されたので比較的よく知られた部分だと思うが、ローレンツが使っている「額」は、ここでヒトラーが使っている「額」と100% 正確に同じ意味合いを担っている。

 実際ローレンツは親ナチス的だったとされてノーベル賞受賞の際に問題になったりもしたそうだ。私はその顛末についてほとんど何も知らないが、全く根拠のないことでもなかっただろうと判断できる。

 随所で示される肉食動物の強さと狩猟本能に対する好意的な見方、人間の精神を特別視して称揚すること、パターナリズム的な動物愛護への強い傾向、いずれもナチスの精神と著しい類似を成すものだ。この類似は偶然ではない。

 ただし、当然ながらローレンツはあらゆる現代の基準をもってしても依然として尊敬しかしようがない人物であり、私はこのことをローレンツが批判されるべきだと思って言っているわけではない。

 私にとってこのことは単にローレンツとヒトラーは同じ時代に生きていた(私やあなたと同じ21世紀にではなく)という以上のことを意味するものではない。

 人間はとかく目立つもの、とりわけ否定的な方向に目立つものに注目しがちである。魔女狩りをしていないときの中世ヨーロッパ人の精神生活について何か考えたことがあるだろうか?

 この傾向はかつて生存に有利だった――もちろん今も有利な――本能であり、それ自体は何も悪いことではないだろう。ただし、一個人の感覚の範囲外(空間的・時間的・その他様々な意味で)の物事を捉えようとする時には、正確な判断の妨げになっているように思われる。

 私達は20世紀の異常な道徳(今回で言えばナチズム)については非常によく知っていると言っていいだろう(少なくとも相対的な意味では)。しかし、同じ時代の賞賛されるべき人間がどんな道徳を持っていたかについてどのくらい知っているだろうか。

 まさに私がローレンツの本に見出している、普通に面白くてためになるという以上の価値は、20世紀前半のまともな道徳というものがどんなものだったかを退屈することなく知ることのできる極めて貴重な手段であるということである。

おまけ

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