「自分に見えているこの世は全て自分の脳が作り出した幻なのではないか?」というのは、わりとポピュラーな疑問なのではないか。「そんなこと考えたこともない」という素直な人でも比較的簡単に引き込むことができるお気に入りの例を紹介しよう。
最初に言っておくが、リアルで同じ話を何人かに振ってみた経験によると、人によってはかなりショックを受ける。もちろん全然平気な人も多いが。
この先を読むなら覚悟を決めて下さい。いいですね? 後悔しませんね? 本当にいいんですね? ……と言ってもすでにタイトルに書いてしまっているから無駄か(爆)。
写真のような電光掲示板を見たことがないという人はおそらくいないと思う。その仕組みを理解していない人もまたいないと思う。並んで固定されたランプを次々と付けたり消したりすることで文字が動く。
ここまでは問題ないはずだ。問題は「いつ」動いているのか? である。
簡単にするために、いまあなたが見ている電光掲示板は、点灯しているのが中心のランプA1個だけだとし、その右隣のランプをランプBとしよう。ここでランプAが消えBが点灯すると、あなたは光がAの位置からBの位置へ、つまり左から右へ動いたのを見る。
しかしあなたがエスパーでなければ、ランプBがランプAの上でも下でも左でもなく「右」だということは、ランプAが消えランプBが付いた状態を見るまでは知り得ないことである。
だったら光が動いたのは「いつ」なのか? あなたが左から右へ動いた光を見ているのは「いつ」なのか?
……さあどうでしょう。さっそく後悔しちゃってる方いませんか?
コメント
そうですね。普段からそういうことを考えている人なら別になんてことはないことでしょう。
よく理解できなかったのですが、電光掲示板が動いているように見えるのは、絵の連続であるアニメーションが動いて見える原理と同じようなものなんじゃないでしょうか。
天様もおっしゃられているように、目で見たものの大半は脳で予め処理されてから認識されるので、錯覚とかいろいろ起きるみたいですね。
もともと網膜に写るのは、レンズで逆さまになった画像ですし、どっちの目で見ても片目だと平面にしか見えないのに、両目で見ると立体的に見えるのは、脳が自動的にそう処理してるからですね。
>「自分に見えているこの世は全て自分の脳が作り出した幻なのではないか?」
SFなんかでは自分の本体が脳だけで、世界の実態は繋がってるコードなんかから送られてるデータでしたっていう落ちがありますね。
映画のマトリックスが近いでしょうか。
物理的な現象単体だけではなくそれを認識する意識作業とセットで物事が存在するという考え方は紀元前の仏教でも既にありますから、結構根源的な疑問ですね。
目の錯覚とか好きな人なら「そんなの当たり前じゃん」とびくともしないんだけど。これはほんとに個人差があるね。千差万別。
少なくとも「意識に入ってくる前の情報にもすでに相当に恣意的な解釈が施されている」ということさえ意識してこなかった人にはすごくショックがあるみたい。
心理学の授業で習ったような記憶があります。
認識可能時間の話でしたっけ。
正確にいつというと、AとBの光がそれぞれ目に入って、脳内で解釈された瞬間になるんですかね。