「メタプラセボ効果」は当然あると思う

(本文とは無関係)

 メタプラセボ仮説という単語自体は初めて聞いたが、私はこの効果は当然あると思う。

 まず、メタプラセボもプラセボも何も関係なしに、そもそも「傷や病気が治るのはなぜか?」ということから考えよう。

 傷や病気はホイミやケアルの魔法で治るのではない。「自然」に治るのでもない。意識的にする必要はないが、自分の身体の各細胞が必死に働いて治すのだ。そして、必死に働くにはエネルギーがいる。

 他に治してくれる人はいない*1以上、死なずに治るようにする分だけは振り向けなきゃいけないのはもちろんだ。しかし、病気や怪我以外にも死の脅威は沢山存在するのだから、必ずしも全部振り向けるのがベストとは限らない。

 たとえば肉食獣だってエネルギーは無駄にしたくないから、捕りやすい弱った個体を狙う。病気を治す間にも、サーベルタイガーに襲われたら逃げられるだけの準備はしておく必要がある。でないと、風邪は治っても治る前に食われる。それでは意味がない。

 もっと危険なのは他の人間だ。「何、あいつが病気? よしわかった、今晩寝込みを襲って殺す!」というシビアな状況にある人間と、怪我や病気をしたらゆっくり看護してもらえる恵まれた人間では、条件がまったく違う。

 同じように治療にエネルギーを振り向けるのは間違いだ。前者なら最低限の治療は必要にしても、闘争あるいは逃走のための準備を最大限に整えておく必要があるし、後者なら治療にほぼ全てをつぎ込むべきだ。

 そして、病気や怪我の時どんな条件にあるかは生まれる前にはわからないし、一生のうちにもどんどん変化していくので、あらかじめ遺伝的に決めておくわけにはいかない。

 その時受けているストレス等から判断して、柔軟にどちらの戦略も取れるようにしておくべきだ。そのように対応できる身体を作る遺伝子を持つようにするのだ。

 そして、実際にそうなった。それができなかった個体は我々の祖先にはなれなかった。人間*2が、ストレスによって治りが悪くなる*3のは、突き詰めればこのようなトレードオフに由来する。

 薬がプラセボと知っていようといまいと、人から*4協力的な雰囲気で何かしてもらえるということは、自分が危険な社会状況にはいない、つまり安心して治療に全力を振り向けてもよい、という強いシグナルだ。

 従って、メタプラセボには、プラセボ効果と同等とは限らなくても、少なくとも同様の効果があるはずだ。メタプラセボの効果がまったく確認できなかったとしたら、むしろそちらの方が説明を要する不思議なことだと思う。

 もちろん、メタプラセボは

  • 病院で医者と「偽薬です」と説明された上で薬のようなものを飲む

 ことである必要はないだろう。

  • 神社で神主さんに「単なる気休めで効きませんからね」と説明された上でお祓いをしてもらう

 とか、

  • 教会で神父さんに「神が治してくれたりしませんからね」と説明された祈祷をしてもらう

 でも、同じ程度の効果はあるに違いない。

*1:少なくとも昔はいなかった。
*2:もちろん動物でも同じだが。
*3:良くなるのではなく。
*4:とりわけ、医者のような知識も技術も権力も恵まれていそうな人物から。

おまけ

 病気→菌

コメント

  1. 木戸孝紀 より:

    まあ、普通そういう言い方はしなくても、そういうことだろうと思う。

  2. 匿名 より:

    笑って過ごすと免疫力が強くなるのも、メタプラシボ効果なんでしょうね

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