スティーヴン・ジェイ・グールド『神と科学は共存できるか?』

神と科学は共存できるか?

 誰だつまらないとか感心しないとか言ってるのは。十分面白いじゃないか。まあ確かにグールドの本の中では、一番つまらないのは認めざるをえない。個人的には『2000年問題』よりは面白かったが。

 しかし、題材が題材である。なんと言ってもこれは何百年も前から確立している道徳原則と科学哲学の再確認に関する本なのだ。およそ本の題材として――何の題材としても――これ以上つまらないものがこの世にあろうか。

 思えば私の人生で出会った本の中で最もつまらなかったものは小学校の道徳の教科書だった。*1将来アニメや特撮に出てくるような悪の組織を作ってこんな死ぬほどつまらないものを子供に強制しようとする大人をみんな怪獣の餌食にしてくれるわと子供心に誓ったものである。

 なんだか話がずれたが、普通に書いたらそれぐらいつまらなくなっても全然おかしくない話題なのである。これを曲がりなりにもここまで面白く書けるというのはやはりグールドはただ者ではない。

 冒頭の2ページ分がちょうど全体の趣旨の説明としてふさわしいと思うので引用しておく。

 私がこのささやかな本を書くのは、あるひとつの問題に対する幸いなほど単純、かつ、まったく平凡な解答を述べるためである。どんな問題も、感情と歴史の重荷に苦しめられすぎると、明瞭な筋の通った小道が論争と混乱のもつれで藪に覆われてしまうことがある。私が本書で取り扱う問題とは、「科学」と「宗教」とのあいだにあるとされている対立である。この論争は、人々の心と社会的な実践のうちにのみ存在するのであって、科学と宗教という互いに全く異なり同等に大切な主題の論理や適切な有効性のなかに存在するものではない。本書で述べることは基本的な議論であって、私の独自の見解は何一つ加えていない(ただし、例を選ぶのは若干の工夫をしてみたい)。なぜなら本書での議論は、科学界と宗教界の指導的な思索家によって、何十年も前から認められてきた確固たるコンセンサスに従っているからである。

 私達人間には、物事を総合したり統一して考える傾向がある。しかし、それゆえに、しばしば見えなくなっている問題がある。それは、私達の複雑な人生における切実な問題の解答は、多くの場合、原理に基づく敬意を伴う分離、という正反対の戦略の中に見つかるということであうる。

 善意の人々は、科学と宗教が平和的に共存し、私達の現実の生活と倫理的な生活を、ともに手を携えて豊かにしてくれることを願っている。この尊重すべき前提から出発して、互いに協力して活動するのだから方法論と主題も共通しているはずだ、という誤った推論がしばしばなされている――なんらかの壮大な知性の枠組みが、たとえば信仰というものの知りうる事実の部分を自然に組み込むことによって、あるいは宗教の論理を無神論を不可能にするほど無敵なものに作り上げることによって、科学と宗教はひとつになるだろうと思いこんでしまう。

 しかし、人間の身体を維持するには食べ物と睡眠の両方が必要なように、どのような全体も適切に維持されるためには、それぞれ独立した部分の本質的に異なる働きに頼らなければならない。現代的な多様性を謳歌する隣人達の暮らす数多くのマンションで、それぞれが各自の一生を充実したものにしていかねばならないのである。

 私には、科学と宗教が、どのような共通の説明や解析の枠組みにおいてであれ、どうすれば統一されたり統合されたりするのか理解できないが、しかし同時に、なぜこのふたつの営みが対立しなければならないのかも理解できない。

 科学は自然界の事実の特徴を記録し、それらの事実を整合的に説明する理論を発展させようと努力している。一方、宗教はといえば、人間的な目的、意味、価値、――科学という事実の分野では、光を投げかけることはできるかもしれないが、決して解決することのできない問題――という、同等に重要であり、しかしまったく別の領域で機能している。同じように科学者も、自分たちの営為に特徴的な、何らかの倫理的な原則に従って仕事をしているはずだが、この原理の有効性を、科学によって発見される事実から引き出すことは決してできない。

 この本はドーキンスの『神は妄想である―宗教との決別』とセットで語られることが多い。

 2人の意見の違いはいつものように些細であると同時に本質的でもあり、見比べてみるととても面白い。セットで読むことをおすすめする。

 ちなみに私はこの問題については100%グールドを支持するが、これらの本が主に英米の読者を想定して書かれているために、日本では非常にわかりにくいこと、および、むしろドーキンスが普通でグールドが過激なことを言っているかのように見えてしまうことがあり得ることを承知している。

 しばらくは機会があるごとにこの2冊と周辺の話題について書いていくことにしたい。

*1:今考えると「道徳の教科書」というものはなかったはずなので、副読本か何かであろうが。

おまけ

 ひいいい! 後ろに誰かいるっ!!(笑) これは面白い感覚。

コメント

  1. 木戸孝紀 より:

    >SASAKIさん
    『ゲノムと聖書』はまだですが面白そうですね。
    読みたい本リストの上位に入れておきます。
    このエントリの話は続きを書くつもりだったんだけど、
    全然書けていませんね。
    最近神は妄想であるに出てきたような本を
    他にも読んでみようということで、
    パスカル・ボイヤーの『神はなぜいるのか?』を読みました。
    予想外の話はなかったですがすごく丁寧でよかったですね。
    これについては近々書きます。

  2. SASAKI より:

    初めまして。
    検索でたどりつきました。
    小生もドーキンス、グールドとセットで読んで、この二人のうちどちらがより自分の考えにフィットするかと言われれば、断然グールドだなと思っていました。
    最近NTT出版から出た『ゲノムと聖書』(フランシス・コリンズ著』は読まれましたでしょうか。
    必ずしもドーキンスやグールドを論破しているとは言えないものの、心情的にはとてもしっくりきました。
    木戸様がコリンズをどう読まれるか興味があります。ぜひコリンズも合わせて語ってください。

  3. mzsmsの雑記 より:

    [読書][思想っぽいメモ] ドーキンス『神は妄想である』

    僕は、ある種の唯物論に傾いているから、「神は存在しない」ということは同意できる。また、有神論者でなくとも、道徳的でありえることに同意する。 しかし、ドーキンス自身も先回りして書いているが、「なぜ、そこまで執拗に宗教を攻撃するのか?」ということが良く分から

タイトルとURLをコピーしました