【第7回】 【目次】 【第9回】
近頃オーストラリア政府が捕鯨監視に軍隊を出すといって話題になっている。第5回で強調したように、これは単なる選挙対策であり、私はことさらにそれを非難することはしない。
だが、さすがにビックリするような話ではあり、日本のネット周りでの反発は「こいつら狂ってやがる」とかなんとか、それはそれは強烈である。
多少冷静そうな人でも「クジラが相対的に見て可愛くて賢いことは認める。だけど所詮ちょっと大きい動物じゃないか。この強硬さはちょっと理解できない。」ぐらいのことは言う。気持ちはわかる。非常によくわかる。だが、ちょっと待ってもらいたい。
あなたはおそらく、過去の数限りない宗教戦争を、愚かなことだとは思っても「狂っている」の一言で片づけたりはしないだろう。現在も世界中で起きている宗教紛争を、悲しいことだとは思っても必ずしも「狂っている」なんて言わないだろう。
共産主義国が反革命運動の弾圧に軍隊を出すことを、よくないことだとは思っても、別に「狂っている」とは言わないだろう。民主主義や人道主義を守るために軍隊を出動させよという主張を特に「狂っている」と非難したりはしないだろう。
それなのに、捕鯨反対派が捕鯨船を監視するために軍隊を出せと主張することだけを「狂っている」と言うのならば、それは私の考えでは、彼ら反捕鯨者に対する不当な差別であり、また危険なあなどりである。
あなたは、コーランが破られたとか預言者ムハンマドを侮辱するような漫画や小説が載ったとかいう事態に際して、時には放火や殺人にまで発展するイスラム教徒の抗議に対して、
「ムハンマドが相対的に見て偉人であることは認める。だけどコーランなんてちょっと良い紙を使っている本に過ぎないじゃないか。この強硬さはちょっと理解できない。」
なんて、決して言わないだろう。*1
これはイスラム教徒とその社会にとって、預言者やコーランがどういう意味合いを持っているか・どんな役割を果たしているかを、たまたま私たちが比較的よく知っているからである。
政祭一致の強固なイスラム国家では、それらはただの人物と本ではなく、人間を社会と宇宙の中に位置づける全ての秩序の源であることを、すでにある程度まで理解しているからである。
イスラム教徒――あるいは他のどの伝統宗教の信徒でも――を「理解できない」わけではないのに、反捕鯨運動を「理解できない」などと言うのならば、それは私たちの無知と偏見を意味するものでしかない。
想像に難くないいくつかの理由によって、ガイア教は自身が宗教であることを認めたがらずむしろ隠すので、日本人がそれを理解できないことについては、かなり情状酌量の余地があるにしてもだ。
宗教は安心を与え、不安と恐怖を解消してくれる。自分たち人間が宇宙の虚空に偶然生まれた、小さな泡のように孤独で・儚く・無意味な・くだらない存在ではないと言ってくれる。本当かどうかはともかく。
宗教は血縁もなければ一面識もない大勢の人々が、同じ宗教を信じているというだけで団結することを可能にしてくれる。同時に同じ宗教を信じていないというだけで、都合の悪い集団に属する人々をどんなに非道に扱っても、躊躇したり後悔したり良心の呵責に苦しんだりする必要がないようにしてくれる。*2
宗教は罪を赦してくれる。先住民を皆殺しにして奪った土地で、母なる地球をレイプ(笑)して産出した石油をどか食いして排気ガスをまき散らす車を乗り回し、地球温暖化を引き起こす牛を育てて血の滴るステーキを食っているという、普通なら到底許されそうにない罪を、綺麗なお船に乗ってのんびりとクジラを眺めながら、たぶん似たような肌の色をした仲間たちと一緒に鯨喰いのジャップ死ねと叫ぶことで帳消しにしてくれるのだ。(なんといううまい話だろう!ありがたすぎて涙が出そうだよ!)
これでもまだあなたはオーストラリアのガイア教徒たちの真剣な訴えを「狂っている」などと言うつもりだろうか?
これでもまだそう言えるというのならば、たぶんあなたは人間の弱点についてあまりにも無自覚でありすぎる。あなたがその無自覚を他の分野で他の誰かに向かっても叩き付けていないことを願うばかりである。
私は彼らの主張を、狂っているどころか、ほんのわずかでもバカげているとも奇妙であるとも思わない。彼ら信仰を持つガイア教徒にとってクジラはただの動物ではない。動物ですらない。
自分たちが宇宙の万物を支配する階層秩序の中の素晴らしく高い地位――実際上の最高位――にいて、さらに無限の向上を約束されていることのしるしなのである。それを護るために軍隊を使うなと言うのなら、一体他の何に使えと言うつもりなのか?
*1:皮肉や冗談としてわざとわからないフリをしているのでなければ。
*2:このことは過去においては、おそらく我々が近現代を基準に想像するよりも、ずっと大きな利点だったのではないかと思われる。{参考:デーヴ・グロスマン『戦場における人殺しの心理学』
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おまけ
ラスト付近にビックリ(グロではない)注意。
コメント
>Blueさん
何事にも段取りというものがあって、
この回はあくまで反捕鯨運動とイスラム教を比較したり
並列に考えることすらしない(したことがない)人を
対象としたメッセージです。
そのように並列して考えて、
「俺は単に全ての宗教の存在が信じられないだけだぜ!」と
考えるようになっていただけたのであれば、
とりあえずこの段階では(おそらくやや珍しい)
一つの意見として「あり」です。
後にそのような意見も批判することになりますが、
もうちょっと先です。
今度こそ本当に再開の準備をしていますので、
お待ち下さい。
「ムハンマドが相対的に見て偉人であることは認める。だけどコーランなんてちょっと良い紙を使っている本に過ぎないじゃないか。この強硬さはちょっと理解できない。」
にまったく違和感がない。むしろ
「ムハンマドなんてただの人間じゃないか。コーランなんてただの本に過ぎないじゃないか。この強硬さはちょっと理解できない。」
という認識。
反捕鯨もイスラム教も他の宗教も同程度に狂っているとしか感じない。
この回については、理解できなかったなー。
>himoikuさん
当たり前のことのような気がしますが非常に筋はいいと思いますよ。
続きにご期待。
>Atさん
最終行の意味がよく分かりませんがほぼ同意。
やはり続きにご期待。
>柵原さん
なによりです。
>まぼさん
代弁どうも(笑)。
まあそうです。「牛肉を売るため」とかとんでもない陰謀論を
信じているような人が山ほどいる状態で正否なんか
論じようがないよね。
これはたとえるなら「地下鉄サリンは大ニュースを作るための
マスコミの自作自演なんだよ!」とかいうレベルのとんでもなさであって、
行動としてはどう見ても地下鉄サリンの方が狂ってても、
オウムをそういう意味で理解できてない人なんていないでしょ?(ゼロじゃないけど)
>たったひとつ前のエントリで?
まあ一般論として、別の条件に変えてから別の意見を言われても、
そうですかとしか言えないのは確か。Atさんの言いたいことはわかるし
ほぼ同意なんだけど。
>ガイア教徒たちに「狂ってる」と言いたくてたまらない
言い“たい”のはわざわざここ読んでるような人ほぼ全員だと思う。
>himoikuさん
正否なんて論じてないと思いますよ。そんなのを論じてるなら、
「なんといううまい話だろう!ありがたすぎて涙が出そうだよ!」
という思いをもっと論旨のメインに据えてるはずだし。
木戸さんは、まさに「地下鉄サリンのほうがまだ理解しやすい」と
感じている人たちに向けてこのエントリを書いてるんだと思います。
>Atさん
たったひとつ前のエントリで「これはひたすら宗教問題だ」と
重ねて訴えているのに「宗教意識の薄い人間から見れば」という
書き出しはどうなんだ?w
……うーん。
ガイア教徒たちに「狂ってる」と言いたくてたまらない俺は、
あきらかに「人間の弱点についてあまりにも無自覚」だなw
「ガイア教の天使クジラ」の一連の記事を読みまして、彼らにとっての鯨がどのように位置づけされているか理解することが出来ました。
しかしながら、やはり日本人としては鯨は眺める、崇めるものというよりも食物なので、「食べ物」を崇めている人間を、理解するのは難しいと思います。
しかしながら、理解は出来なくとも知識としてなぜ鯨を崇めるかを知っていることはよいことだと思います。
宗教意識の薄い人間から見れば宗教の違いに起因する戦争は例外無く「狂っている」と感じるのですが…。
それも、「人間の弱点について」自覚の上で、それを克服する事を願っての「狂っている」評価です。
表現の良し悪しは兎も角、本当の気持として理解して欲しい。
宗教の思想と、それをベースにした行動の正否は別に考えるべきです。
そもそもそうでないと宗教をベースにした犯罪(地下鉄サリンンなど)を裁けません。
我々は「悪魔の詩」に死刑判決をだしたことや、輸血を拒否して患者をしなせてしまったことに関して、それが宗教だと理解していても眉をひそめるのではないでしょうか。
現代には現代の思考、倫理があるのではないでしょうか。
もちろん私を含めた大衆がそんな立派な倫理を持っているわけではもちろんないわけで、自分で思うより偏見にみちているでしょうが、そういったものが宗教でなく、「本当おかしい人」から身を守る手段なのではないかという気もします。