【第6回】 【目次】 【第8回】
プロローグ
地球は生きている。
地球は意志を持っている。その昔、私たち人類は、この世に存在するすべてが神の創造物であることを認識していた。生あるもの、生なきもの、鉱物や植物、動物、そして木々のざわめきや木漏れ日の中にも、神の神聖なる力が宿り、魂が存在することを知っていた。それとともに人類も、母なる地球と深く深くつながっていたのである。
今、私たちは再び遠い記憶を呼び起こし、いつのころからか人類だけがはずれて行った調和の道へかえろうとしている。私たちに求められるのは、自己の神聖さに目覚め、己の内に平和を見出すことである。それが地球全体のヒーリングにつながる。
私たちのすべてが、あらゆる存在の中に神の側面を見出し、その一つ一つに尊敬の念を持って接することができたとき、この地球に本当の平和が訪れ、さらなる進化がもたらされるだろう。
(『イルカのアヌーからの伝言』P9)
私がこのシリーズを通じてすべての人に認識してもらいたいことは、
反捕鯨問題は宗教問題である
ということに尽きる。この一行を本当の意味で理解してもらえるなら、もう他の部分は全く読む必要はないと言っても過言ではないのである。
「反捕鯨運動は宗教だ」
私がこう言うとき、全く言葉通りの意味で「宗教だ」と言っている。
- 反捕鯨運動は宗教“みたいに熱狂的”だ
- 反捕鯨運動は宗教“のように非論理的”だ
のように、無意識に言葉を補って読まないように強く意識してほしい。比喩でも皮肉でも婉曲表現でも全くない。私は、
- ユダヤ教は宗教だ。
- キリスト教は宗教だ。
- イスラム教は宗教だ。
- ヒンドゥー教は宗教だ。
- 仏教は宗教だ。
という各文における「宗教だ」と完全に、100% 同じ意味で「宗教だ」と言っている。前にも言ったが、反捕鯨をただの文化帝国主義だとか、ただの人種差別だとか、ただの反日運動だとか、勝手に矮小化してはいけない。
「反捕鯨運動は宗教だ」
私はこれを100回でも繰り返す決意がある。最終的に捕鯨擁護の立場を取るにせよ反対の立場を取るにせよ、これだけは正しく認識してもらわなければ困る。無意味な議論に時間と労力が費やされるからである。
しかし、ただ単純に100回繰り返しても伝わらないのもよく分かっている。我々の、宗教に対する固定観念は非常に強固である。私が、彼らの一連の信仰を仮にガイア教と名付けているのは、それをわずかでも異化するためだ。
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おまけ
これはタイトルだけでうけるw
コメント
むしろ、キ○スト教ガイア派