科学を信仰してるだけです

(本文とは無関係)

科学を信仰してるだけじゃん

みたいな言い回しが後を絶たないな。
この言い回しそのものがおかしいという事を小学生にも分かるように書きたいのだが、
全然うまい事思いつかねー。
こういうのをうまく説明できる頭の良い人がうらやましいな。
でもあきらめずにもうちょっと考えてみよう。

(科学を信仰してるだけじゃん)

 思いつかなくても仕方ない、というか思いついたらすごいよ。それは近代以降の科学哲学の基本だから。ひさびさに『表現の自由を脅すもの』より。

 宗教活動家達はしばしば、自由科学体制(「世俗的ヒューマニズム」)はそれ自体信仰の一形態、一つの信念体系であり、だから特別の位置づけには値しないとこぼしている。彼らは半分正しい。自由科学を信じることも、一つの信仰であるが、しかしそれは特別の位置づけに値する。(中略)異端審問が無くなったのは、人々が信仰無しでやっていけるようになったからではなく、自由社会制度を信奉することを学んだからであった。何人もチェックを免れることはなく、また何人も自分一人が決めるとは言えないというルールに自らを委ねたのである。こうして人々は、意見の相違を解決する権力は特定個人の手には存しないという自由知識社会の傑出した政治的事実を確立したのであった。そうした大きな権力を委ねても絶対に安心だと言えるような特定個人は決していないのである。

 そうだとすれば、科学のルールは、その本性上、知的権威主義の政治的正統性を粉砕する。「真理は使徒達及びその後継者に特に委ねられた」と教皇ヨハネス・パウロ二世は1989年に宣言した。自由な文化の中では、そうした種類の主張、というより実は権力奪取は、不法であり忌むべきものである。(中略)自由社会では、誰が正しいかを決める唯一の方法は、批判と質問を通じて互いに公然とチェックし合うという、何の制約もつけないやり方である。それはちょうど、民主主義社会で、政治権力の唯一正当な判定者は、何の制約もつけない民衆の投票であるのと似ている。これ以外の主張は皆インチキである。たとえ教皇、宣伝家、反共主義者、反人種差別主義者であれ、何人であれ、誤った考えの人々を権力から遠ざけるために批判を封じてしまいたいとか、議論を統制したいと思う者は、道徳的権利を持たず、これを無視するより他に仕様がない。

 前に公理の話をしたが、科学を行うにも数学の公理のように根拠なしに信じなければならないことはある。

 まず、なんらかの実在論

 実在論というのは平たく言えば「すべては幻なんだよ!」の反対。「すべては幻なんだよ!」はどうやっても否定できない。それを誰に教えればよいのかという単純だが重大な問題があるので、まともに唱えられることがないだけで。

 思考節約の原理オッカムの剃刀)もそう。

 より複雑でややこしい説明が真であるとする原理は、すぐさま無限の「正しい」答えを生み出すから実際上はナンセンスにしかならないが、だからと言って、より複雑な説明のどれかが真ではないということにはならない。「そうであってもどうでもいい」ということは確実に言えるが。

 「過去の経験から未来が推論できる」という命題もそう。

 これが真であると証明するにはどうしたらいいだろう。証明したいと思っているからには、現在はまだ真とは限らないわけだ。そして未来のある時点で真となっていてほしいわけだ。だがその時点から見て過去である現在「過去から未来が推論できない」のなら何をしても無駄だ!

 そもそも推論できるような未来が存在するということだってそう。

 確か小松左京が2000年のカウントダウンの瞬間突然時空が終わりになるというショートショートを書いていたと思うが、これは実は単なる面白いSFというわけでもない。

 現代の宇宙論では真空相転移のような出来事が起こって、原理的に何の前触れもなくいきなり既知の物理法則が通用しない状態に放り出されるようなことは現実に(!)ありうると考えられている。確率が限りなく低いので完全に無視できるだけで。

 公理とはちょっとずれるけど、無謬性の否定というようなルールもそう。

 現代科学が無謬性を断固として拒否するのは、単に過去の経験に懲りたからであって、宇宙に無謬性が存在してはいけない理由を証明したからではない。

 来年の12月に月よりでかいUFOが飛来して、やってきた宇宙人が人間が思いつくようなあらゆる疑問に物理法則の許す限り完璧に答えてしまう、という事態がありえないことは今のところ誰にも保証できない。ない方に迷わず全財産賭けるけれども。

関連図書

おまけ

コメント

  1. 木戸孝紀 より:

    わお、地下猫さんここでは多分お初ですにゃ。
    お迎えできて嬉しいですにゃー。
    この引用部とやりとりだけから「市場」というキーワードが
    出てくるのは流石にゃりんね。(猫しゃべりここまで)
    この話は需要ありそうなんで続き書くかも。
    『表現の自由を脅すもの』はいまだに人生でもオススメ度No.1に
    君臨し続けているすっげーいい本なんですけどちょっとどこじゃない
    入手困難なんですよ。俺的復刊キャンペーンでも始めましょうかねー。

  2. 地下に眠るM より:

    おー、この引用部分ホントにいいね
    それにしても、「市場」モデルって代替品を思いつけにゃーくらいの超システムだよにゃ。

  3. 木戸孝紀 より:

    >……さん
    そうです。そういう変化に対応しつづける強さこそ自由体制
    科学・民主主義・資本主義が何ら魔術的な権威を持たないにも
    関わらず特別の地位に値するとされる理由です。

  4. 木戸孝紀 より:

    ひさびさに見たけど『表現の自由を脅すもの』の価格が無茶苦茶な領域まで高騰しとるな。
    定価1600円だぞw 復刊してくれりゃいいのに。

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