パスカル・ボイヤー『神はなぜいるのか?』を読んでから、二つの観点が頭に残り続けている。
- 宗教というのは極めて現状追認的なものであるということ。
- 宗教的概念として受け入れ可能なものは、人間の持つ直感的な分類カテゴリーに違反するような属性が、ひとつだけ加わったものであることが多いということ。
前者は、多くの人が貧しく苦しかった過去の時代には苦難をよしとするような宗教が流行り、「人間には無限のエネルギーが備わっている」というような底抜けにポジティブな新興宗教は、豊かで発展した現代先進国でこそ生まれた、という程度の話。
本の中ではそんなに大きく取り扱われていたわけではなかったが、別の知見と合わせて気になってきた。これについては、また稿を改める。今回は後者について。たとえば、
- 遺体(生きているという人間の属性を失って自然物のようになった人間)
- 親以外から生まれた人間(人間の属性のひとつに違反する人間)
- 人の願い事を聞く杖(人間の属性を持つ道具)
- 供物を放り込むと喜ぶ川(人間の属性を持つ自然物)
のようなものは、その人の属する文化に関わりなく宗教的感情の対象として“ありえそう”と感じる。しかし、
- 村の全員の噂話を聞いているが全て忘れてしまう大木
- 毎週水曜日にだけここに存在し他の時間は全ての場所に存在する彫像
- 祭壇に肉を供えると怒って罰を与える山
- 卵で繁殖するが石斧の赤ちゃんを産むこともある喋るアザラシ
のようなものは“ありえない”と感じる。単に異常であればいいというものでもなく、そもそもどんなカテゴリーのものも持っていないような属性や、あまりにもカテゴリー違反が多すぎるものは宗教感情を刺激するものにはならないのだ。
「当たり前すぎるだろ!」と思うかもしれないが、当たり前すぎるということは非常に強固に人類共通(ヒューマン・ユニバーサル)な何かが存在することを示唆するわけで、やはり面白いことだ。宗教と言わずとも、たとえば水からの伝言は呪術としてよくできている(参考)と言われていて、確かにその通りだが、
- 言葉を理解し反応する自然物。(人間の属性を持ち、自然物のカテゴリに違反する。)
として宗教として“ありえそう”なパターンにもきっちり当てはまっている。他にも下のように様々なデマや流行語に対して幅広く有効な視点だと思うのである。
- レミングの集団自殺
- 単純そうな動物なのに本当は自殺する。
- マイナスイオン
- “マイナス”そのもののイメージなのに本当は体によい。
- フリーラジカル
- 自由で活動的な素晴らしいイメージなのに本当はダメージを与え老化をまねく。*1
- ○○を食べるだけでやせる○○ダイエット
- 何かを食べると太るはずなのに本当はやせる。
- メタボリックシンドローム
- メタリックで格好良さそうな名前(笑)なのに本当はぼてぼてぶよぶよのお腹の意。
- KY
- 実にかっこよさそうな字面(笑)なのに本当はノリの悪いやつのこと。
*1:フリーラジカルはマイナスイオンと違って実在するし、老化を招くという考えにもかなりの妥当性があるが、今は通俗的な使われ方の観点からの話。
おまけ
人間の属性を持つパン。
コメント
>TTNM
同意できます。
関係ないですがこのブログのタイトルの
最終候補の一つは『カオスエッジ』でした。
宗教感情にしろエンターテインメントにしろ、人間は"Edge of Chaos"な領域にある刺激に、本能的に魅かれるのではないかと最近考えています。
>ナナシさん
誤字は直しました。どうもです。
メタボの項も音の響きに注目していることを強調するため
若干表記修正しました。
かっこよさそうじゃないですか?
>かっこよさような
>メタボリックシンドローム=メタリックで格好良さそう
……?