小山重郎『よみがえれ黄金の島―ミカンコミバエ根絶の記録』

よみがえれ黄金の島―ミカンコミバエ根絶の記録 (ちくま少年図書館 83)

 トラウマの話をしていたら別の思い出が甦ってきて、反射的に検索かけて注文してしまった。私の人生最初の、ものすごく面白かった記憶が残っている科学の本が、これなのである。今読み返しても素晴らしく面白い。

 子供向けシリーズとはいうものの内容は高度で、虫の生態から、フェロモン様の誘引物質を使う方法、放射線で不妊化した雄を放す方法まで多岐にわたる。しかし、それを図表・グラフ・写真・地図などを豊富に使って平易な文章で説明しているので、決して難解でもない。

 行政や住民の協力を得ることの大変さ、地道な努力の大切さ、費用対効果を考えることの重要性、科学が偶然と努力の繰り返しによって長い時間をかけて進歩していくこと等々、教訓的な話題がぎっしり詰まっている。

 沖縄について初めて意識したのも確かこの本によってだった。下の引用部に出てくる「ある人」のエピソードも強烈に記憶に焼き付いていて、ああこれは自分の人格形成にかなり影響を及ぼしているなあと改めて思う。

 記憶による美化を割り引いても素晴らしい本だと保証します。全体の印象をよく伝える一節を引用するので、興味を持った人は今からでも読んでください。子供に読ませるのにはもちろん、大人でも十分面白いはずです。

本土出荷をさまたげるミバエ類

 こうして、せっかく沖縄の農業が、野菜や果物の本土出荷に希望を見いだしたというのに、これをさまたげるものがありました。

 それは、ミバエという害虫です。ハエのなかまで、漢字では「実蝿」と書きます。いろいろな果実のなかに卵を産みこみ、幼虫が果肉を食いあらす、おそろしい害虫です。

 沖縄には、これからくわしくお話しするミカンコミバエと、もうひとつウリミバエという、二種類のミバエ類がすんでいます。どちらも日本本土にはいません。

 ミカンコミバエはミカン、オレンジなど、かんきつ類の害虫です。ウリミバエは、カボチャ、キュウリ、メロン、スイカなど、ウリ類の害虫です。また、ピーマンやトマトには、ウリミバエもミカンコミバエも、ともに被害をあたえます。だから、ミカンコミバエは野菜の害虫でもあるのです。

 これらのミバエは、沖縄の果物や野菜に被害をおよぼすだけではありません。この虫がいるおかげで、沖縄の野菜や果物は自由に本土に出荷することができないのです。

 なぜでしょう。

 ミバエ類は、たいへん繁殖力の大きい害虫です。たとえば、一九七二年にウリミバエが沖縄本島に侵入したときには、本部半島で一ぴきみつかってから約一年で全島にひろがり、どこでもウリ類に多くの被害がみられるようになりました。そして、わずか二年後の七四年には、海を越えた鹿児島県の奄美群島の一帯が、この虫のすみかとなってしまいました。

 もしこのミバエが、日本本土に上陸したらどうなるでしょう。きっと野菜や果物に大被害をあたえるにちがいありません。そこで、ミバエの本土上陸を許さないために、ミバエのいる沖縄や奄美群島でつくられた野菜や果物は、本土への自由な出荷が禁止されました。

 やっかいなことに、ミバエの卵は小さく、しかも果実のなかに産みこまれますから、外からは一見、正常にみえる果物でも、ミバエの卵や幼虫が入っているおそれがあります。

 そこで、ミバエが寄生していようがいまいが、自由な出荷を許さないというのが原則なのです。だから、沖縄の農家は、本土にいないミバエという害虫に直接悩まされるだけでなく、沖縄にミバエが一ぴきでもいるかぎり、たとえ健全な果物や野菜でも出荷できないという、二重の苦しみを背負ってきたのでした。

 もし、ミバエが一ぴきもいなくなったとしたら、どれだけ農業収益が多くなるかを、縄県庁で計算したことがあります。それによると、一年で約六〇億円という数字がでてきました。自由な出荷によって、栽培面積がもっとふえることまで考えると、この数字はさらに大きくなることでしょう。

 第二次世界大戦のときには、沖縄は日本の最前線として、地上戦がたたかわれ、多く人が殺されたことを前にのべましたが、ミバエ問題でも、沖縄の人びとは本土にない苦しみをなめなければならなかったわけです。

 わたしが沖縄で仕事をするようになってから、だいぶあとのことですが、ある宴会の席で出た話です。

 沖縄県で長いあいだミバエ防除にたずさわってきたある人が、わたしのそばに来て、こういいました。

「沖縄は、いつまで本土のために犠牲にならなければならないのでしょう。この前の戦争のときもそうでしたが、ミバエにしても、本土にいないから野菜や果物が出荷できない。もし本土にミバエがいれば、こういうことはないはずです」

 わたしは、この人はいったいこれから何を言いだすのかと、だまって聞いていました。

「これは、あくまでも冗談として聞いてもらいたいんですが、わたしは本土に出張するとき、ミバエを生きたままびんにかくし持っていって放そうかなと思うことが、よくありますよ。そうすれば、本土にもミバエがふえて、沖縄の果物や野菜が特別あつかいされなくなるのではないですか」

 この人は、これまでミバエ防除に懸命にとりくんできた人です。そしてわたしは、その仕事に協力するため、わざわざ本土からきた人間です。そのわたしにむかって、とんでもないことをいうものだと、最初のうち腹を立てそうになりました。

 しかし、この人の、けっして悪気で言っているのではない顔を見ながら、考えました。

 本土から遠くはなれて、戦争のときも、こんどのミバエ問題でも、いつも不利な目にあってきた沖縄の人たちのほんとうの気持は、本土に住んでいた人間にはわからないのかもしれません。野菜や果物の本土出荷で、ようやく沖縄農業が生きていこうとしているのに、ただ一ぴきのハエが理由になって、健全な果物さえ自由に出荷することを許されないのです。

 それに、わたしがミバエ防除のために本土から来て、熱心に努力していることを見て、この人なら話しても理解してくれるだろうと、信頼して胸のうちを語ってくれたのではないでしょうか。

「わたしも沖縄のミバエ防除のために一生けんめいやりますから、あなたもどうかよく理解して、日本全体からミバエを追い出すのに協力してください」と、頭をさげたのでした。

 沖縄から自由に野菜や果物を本土に出荷できるようにするためには、二種類のミバエ一ぴきのこらず撲滅しなければなりません。沖縄の日本復帰と同時に、その「根絶防除業」が、費用の九〇パーセントを国庫補助金で、残り一〇パーセントを沖縄県が出してはじまったのは、こうした沖縄農業の苦しみをとりのぞくためでした。それは同時に、日本本土へのミバエの侵入を防ぐためでもありました。

 二種類のミバエのうち、ウリミバエの根絶防除は、沖縄の久来島で一九七二年から七七年まで実験的におこなわれ、みごと成功しました。その経過は、当時、中心的役割をはたして、いまは名古屋大学に移られている伊藤嘉昭さんが、『虫を放して虫を滅ぼす』(中公新書)という本に、くわしく紹介しています。

 わたしは、もうひとつのミカンコミバエについて、これからお話ししようと思います。

おまけ

 やっぱり子供の頃の感受性って全然違うよなあ。

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