「無能で説明できる現象に悪意を見出すな(直訳:まさか、愚かさによって充分に説明できるものを悪意のせいにする必要なんかありません。)」
Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity.
というのは、オッカムの剃刀(=思考節約の原理)の系で、レベルの低い陰謀論退治にとりわけ良い道具のひとつ。それは別にいいのだが、これが『まっとうな経済学』の中ではナポレオンの言葉ということになっていた。
ぱっと見にはナポレオンよりRobert J. Hanlonの方がデータが充実しているので、そちらの方が正しそうだが、こういう時はどう考えたらいいのだろう。
『捏造された聖書』で出ていた話だが、研究者が聖書の異本の中に意味の通りにくい文と意味の通りやすい文を見つけた場合、まずどちらがオリジナルに近いと見なすかというと「意味の通りにくい方」なのだそうだ。
というのは、意味の通りにくい部分を意味が通りやすいように書きかえる良心的な書記はよくいるが、意味の通りやすい部分をわざわざ意味が通りにくいように書きかえてしまう悲劇的に無能な書記はほとんどいないからだ。
伝聞の過程で、無名人の言葉を有名人が言ったことにして権威づけしようとすることはよくあるだろう。だが、その逆をする人はまずいないだろう。意図的でなくとも、思わず有名人と記憶違いしてしまうということはありえても、なぜか無名人と取り違えるということはあまりないだろう。
だからいろは歌がなぜか弘法大師の作になっていたり、一休さんが別人の言葉を取ってしまったり、日本SUGEEEE!!なただの変なコピペがなぜかアインシュタインの予言になったりする。
つまり聖書本文解釈と同じような論理で、ある格言の出所を無名な人物とするものと有名な人物とするものがあったら、とりあえず無名な人物とするものの方が正しいと考えるのがよさそうだ。この場合、やはりハンロンの方が正しく、ナポレオンの方は単なるデマだとほぼ断定してよいと思う。
追記(2/25)
アップ当初『まっとうな経済学』のところが『ヤバい経済学』になっていましたが、私の記憶違いでした。お詫びして訂正いたします。
関連図書
おまけ
たとえ誰の作であろうがいろは歌は素晴らしい。
コメント
>望月衛様
それは主観的にも客観的にもa)でしょうねー。
まったくメタなオチをつけてしまいました。
いや、オレはかまわないんですが、a) 「ヤバい」のほうが「まっとう」より有名な場合: 身をもって実例を示された
b) 「まっとう」のほうが「ヤバい」より有名な場合: 身をもって反例を示された
という興味深いケースになっているなと思った次第。
>望月衛様
そうでした。私の記憶違いで別の本と混同していました。大変失礼しました。お詫びして訂正いたします。わざわざご指摘ありがとうございました。
間違ってるって話なんで気になるんだが、ヤバ経のどっかにナポレオンの話なんか出てきたっけ。出てきたとしたら訳すときにすっ飛ばしてるんでけっこう大変なんだが、どこに出てきた?