「テレビは幼児の発育に悪影響がある」という主張に対する反論をしたいのだが、真面目にやるとすごい長さになってしまうので、ポイントを絞って3点だけ。
そもそも検討に値する主張ではない
- 発育が良いとは何であるか?
- 子供がどう育つのが望ましいのか?
ということがまったく曖昧なため、そもそもこの主張は反証不能である。「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」としか言いようがないのである。
しかし、すでに影響を受けてしまっている人はそれでは納得しないだろうし、今回は一般家庭での実践の問題であって、厳密な話ではないので「発育が良い」とはどういうことかは、常識の範囲でどう捉えても問題ないとしておこう。
良い刺激はビタミンと同じ
悪影響がありうるとすれば、その原因はテレビ視聴の【存在】ではなく、人――あるいは一般に視聴覚以外の刺激をもたらしたり相互作用ができるもの――との接触の【欠如】である。
テレビの【存在】が積極的な害をもたらすと本当に信じるならば、大人もテレビを見るべきではないことになるが、そのような主張はあまりないようだ。
人との接触がすでにある程度確保されているなら、従来テレビを見ていた時間にテレビを消したからといって、より退屈になるだけである。知能に悪影響はあっても良い影響があるとは考えられない。
テレビを消した分の時間が全て(他人との遊びのような)より情報密度の高い活動にあてられるなら、もしかするともしかするだろうが、少なくとも一般家庭では、そんな条件はありえないだろう。
バイアスは大きく「悪い」側にかかっている
もうひとつ重大な要素がある。
テレビの世帯普及率を調べてみよう。1955年以前はほぼゼロだ。
そして、現在偉い学者というのは大抵50代〜60代の老人である。主に働いているのがもう少し下の世代であったとしても、彼らの仕事を評価するのは結局その上の世代だ。
つまり現在の偉い学者は幼児の時テレビを見ていない。
偉い学者にとって、テレビが幼児教育に悪いということは自分は後の世代より賢いということに等しく、テレビが幼児教育に良いと認めることは、自分は後の世代よりバカだと認めることに等しい。
そして「自分が育ってきた環境が知的教育に悪いと認める教育学者」など、「自分の属する人種は知能が劣っていると主張する人種差別主義者」と同じぐらい稀だと考えられる。
たとえ本当の正解がどうだったとしても、今現在の偉い学者からのテレビの評価には、悪い方に極限までバイアスがかかっている*1ことを割り引かなければならない。
*1:ただし今後このバイアスは急速に消えていくことが予想される。
コメント
>ただし今後このバイアスは急速に消えていくことが予想される。
「漫画」がまさにそうなっていますよね。