デーヴ・グロスマン『戦場における人殺しの心理学』

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

 うーん、これは非常に面白かった。私なりの要約。

 研究によると古今東西の兵士は想像以上に敵を殺せていない。というより殺そうとしていない。殺せても強烈なトラウマに悩んで社会不適合になったりする。それは人間には殺人に対する凄まじい心理的抵抗が存在するからだ。

 そのような抵抗を持たない“生まれながらの兵士”も1%とか2%とかそんな割合で存在し、優秀な兵士となる。しかし多くの普通の兵士に敵を殺すことができるようにするためには相当の訓練を要する。

 この抵抗はかなりの部分本能的なものであり、進化が“知らない”近現代戦では効果がなくなってくる。

 たとえばナイフで刺し殺す等の近接戦闘では非常に強いが、ライフルで遠くから狙撃する等の状況では弱くなり、レーダーに映る船に向かってミサイルを撃つとか、はるか上空から爆弾を落とすとかいう状況ではまったく働かない。

 実際にはより多くの人間を殺していることを理屈ではわかっていても「自分は殺していない」と自分自身をごまかすことができる余地があるから大丈夫なのだ。

 このように単に心理的なものであっても効果がある。たとえば人間以下・人間以外の存在だと考えようとするだけでも抵抗を弱める効果をもたらす。

 兵士が敵兵を蔑称で呼ぼうとするのもそのためだし、敵国民を残虐非道で生きるに値しない奴らだと教え込むことは単なるプロパガンダでなく歴とした軍事訓練なのだ。

 軍隊というものは有史以来少なくとも数千年の歴史の中で普通の兵士に敵を殺すことができるようにする方法を学んできた。たかだか20年前後の人生経験しか持たない新兵は赤子同然だ。

 半ばネタ扱いされているハートマン軍曹みたいな鬼軍曹の精神的・肉体的シゴキも決して伊達や酔狂でやっているわけではない。

 命令系統への服従を教えるというだけでなく、生身の人間からの剥き出しの悪意や暴力に対する免疫をつけるという意味もあるのだ。ボクシングやラグビーのような生身でぶつかり合うようなスポーツが推奨されるのも同じ理由だ。

 近年になってさらにその知識の武器庫に加わったのは条件反射の利用だ。射的の的をただの丸ではなくて本当の人っぽく見えるものにするなどだ。その結果ベトナム戦争では敵を殺すことができる兵士の能力は大きく改善した。

 しかし、当時は兵士のトラウマとそのアフターケアに関する知識はまだ不十分であった。ケアどころか逆に自国民から「この赤子殺し!」的な非難を浴びせられて、いわゆるベトナム帰還兵問題を生むことになった。現在イラク戦争でブッシュを口を極めて罵る人でも決して兵士を非難しないのはこの苦い教訓によるものだ。

 もったいないのは、最後の章のゲーム批判の部分だけ突然「本当に同じ人間が書いたのか?」と思うような思考停止的な結論ありきの議論になってしまっていること。どんな人にも盲点はあるなあ。

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