人類の歴史はたったいま変曲点を通り過ぎたところ

NHKスペシャル 映像の世紀 SPECIAL BOX

 固定リンクのURLを見ているとこのエントリが300個目のエントリになるようなので記念にちょっと大風呂敷を広げてみることにする。

 このブログへは「ポルポト 笑ってはいけない 泣いてはいけない」等の検索フレーズでのアクセスが毎日のようにある。多くが映像の世紀に関連する検索だと推測される。(参考)

 こんな特に意識もせずに書いたエントリに未だにアクセスがあるということは、映像の世紀がいかにすごい番組だったかを顕著に示すものだろう。

 21世紀版映像の世紀が作られるとしたら、それについて確実に言えることはツインタワーに突っ込む航空機から始まるだろうということ以外に何かあるだろうか。私はあると思う。

 それは20世紀版より面白くないだろうということだ。

 文明は進歩する。今日は昨日よりも、明日は今日よりも進歩する。同時に進歩の速度そのものも早くなっていき、全体としては指数関数的な成長をする。

 当たり前だと思うかもしれない。これを不変の真理だと思っている人もいるかもしれない。

 いや、かもしれないどころではなく実際にそう思っている人はいる。つい最近も「文明の発達はどんどん加速して指数関数的に成長して特異点に達するから人類は21世紀中には滅亡するかもしれない」と大真面目に語っている本を書店で見た。

(5/25追記:『今世紀で人類は終わる?』という本だったっぽい。愛・蔵太の少し調べて書く日記より)。

 確かに文明は今日まで指数関数的に成長してきたように見える。だからそれが今後も永久に続くかのように思ってしまうのも無理もないことではあると思う。

 しかし、よく考えればそんなはずはないことはわかる。地球も宇宙も自然法則も無限ではないから指数関数的な成長はいつまでも続けられない。必ずどこかに限界はある。

 限界がある成長はシグモイド曲線で描かれるような経過を辿る。

 この場合も明日は今日より、今日は昨日より徐々に進歩していくということは変わらない。しかしある時点を過ぎればこれまで常に加速していた進歩の速度が減速に転ずることになる点(グラフ上の変曲点)がどこかにあり、それをいつか通り過ぎることになる。

 それはいつだろう? そもそも文明の進歩やその速度に明確な定義が与えられるかどうかが怪しいとしても、私はかなりの確信をもってそれは20世紀のどこかであったろうと考える。すでに通り過ぎているのである。*1

 21世紀版映像の世紀もきっと面白いだろうが、20世紀版ほどには面白くないだろう。22世紀版はもっと、23世紀版はもっともっとつまらないだろう。

 5000年後にも、10万年後にも、56億7千万年後にも、半永久的に映像の世紀は最も面白い映像の世紀であり続けるだろう。

 我々は人類の(ことによると宇宙の)歴史上最もドラスティックな時代に生きていたのだというのが私の予想だ。

 「そんな馬鹿な話があるか!」という反論がありそうな気がする。「お前は何を言ってるんだ! 世界を見てみろバイオもITも何もかもますます加速して進歩し続けてるじゃないか。

 確かに無限の指数関数的成長があり得ないというのはわからないでもない。しかし何らかの限界に近づいて速度が鈍り始めるなんてのはまだまだ先、少なくとも何千年・何万年単位の未来の話だろう」と。

 まったくその通りだと思う。私もずっとそう思っていた。今のように考えるようになったのはいつの頃からか忘れたが、たぶんまだ10年は経っていない。

 このような反論に答えて納得してもらうのは果てしなく大変だと思う。この結論に至るまでの道筋と結論から導かれる思考は多岐にわたるので、これから折に触れて書くことにする。

*1:考えている時間スケールからすると今通り過ぎようとしていると言った方が適切かもしれない。

おまけ

 スケールの壮大な話だったので荘厳な音楽を。パイプオルガンはかっこいいなあ。

コメント

  1. 木戸孝紀 より:

    >微妙にさん
    結論としては別に珍しい主張というわけではないはずなので聞いたことがあってもおかしくはないですが、ある程度まとまったものがあれば私も見てみたいと思っています。思い出したら教えてください。続きは何かきっかけがあれば書きたいと思っています。

  2. 微妙に より:

    似たような主張を聞いたことがあるような、ないような。
    私は、どんどん進歩しているんじゃないの?とか思っていたので
    ぜひ続きを聞きたいです。
    というわけでリクエストでした。

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