ガイア教の天使クジラ48 アーサー・C・クラーク『海底牧場』 3/5

第47回】 【目次】 【第49回

現代文の問題

 『海底牧場』最終回のつもりだったが、ひとつ試してみたいことができたので、一回分増やしてワンクッション置く。

 以下は、第46回で取り上げた視察の帰りの飛行機内での、主人公フランクリンとマハ・テーロとの議論である。シリーズの観点から見て、この作品で一番興味深い部分と言える。

 これを読んで、次の問題に答えてもらいたい。決して引っかけ問題とか、ひねったネタではない。純粋に作者が書いていることを読み取れと言っているだけである。引用についても開始・終了箇所を選んだということ以外、一言一句変えていない。中略もしていない。

 たとえばセンター試験の国語の問題であるつもりでやってみて、コメントにでも回答してみてほしい。(ただしネタバレ・影響防止のため基本的に次回をUPするまで非公開の予定。)

 「さて、ご尊師」と、フランクリンは切り出した。ちょうど飛行機が、雪をかぶった山脈の上空へ上昇し、ロンドンとセイロンへの帰路についたときだった。「こんど集められた資料を、どのように使われるつもりか、お伺いできますか?」
 いっしょに過ごした二日間で、僧と行政官は、互いにある程度の友情と敬意を抱くようになっていた。フランクリンにとって、これは愉快であると同時に驚くべきことだった。彼は人を見る眼があるつもりだが、彼の分析力の及ばない深さが、このマハナヤケ・テーロにはあった。それはおくとしても、いま彼は直覚的に自分が、力ばかりか――こんな陳腐で貧弱な言葉を使うほかないのだが――善の権化の面前にいるのだと感じた。彼は、いつ確信に深まるかもしれぬ、畏敬の念の高まりをおぼえながら、いま自分の連れであるこの人物が、やがては聖人として歴史に残るのではなかろうか、という考えさえ抱きはじめていた。
「何も隠しだてしているものはありません」と、テーロはおだやかに言った。「それに、ご存じのように、偽りは仏陀の教えに背くことです。わたしたちの立場はきわめて単純です。わたしたちは、生きるもの悉く、生きる権利を持っていると信じているのです。これからすると、あなたがたのしておられることは、誤ったことになります。したがって、中止の運びになればと願っているわけです」
 それは、フランクリンが予期していたことだったが、言明されたのは初めてだった。彼はかすかな失望を覚えた。もちろん、テーロほどの頭のある者なら、そんな運動がまったく非実際的なものであることは、気づいているにちがいない。なぜなら、それは、世界の食糧供給の八分の一を削減する結果を招くからだ。それに、そのことなら、なぜ鯨だけをやめよと言うのか? 牛、羊、豚――そのほか、人間が飼い殖やしては、都合次第で殺している、すべての動物はどうなのか?
「考えておられることはわかります」と、彼が異論を口に出せないでいるうちに、テーロが言った。「その結果起こる、いろいろな問題も、十分承知していますし、したがって、徐々に推進してゆく必要があることもわかっています。しかし、どこかで発足せねばなりません。そして牧鯨局が、わたしたちの問題を、もっとも劇的な形で提示してくださっているのです」
「光栄ですな」と、フランクリンは突っぱねた言い方をした。「しかし、公平なことでしょうか? ここでご覧になったことは、地球上のあらゆるところで起こっています。操業の規模がちがうからといって、問題の性質に変わりはありません」
「まったく同感です。しかしわたしたちも、実際家であって、狂信的な人間ではありませんから、それに代わる食糧源が見つからないうちは、世界中の食肉供給を中止するわけにはいかない、ということはよくわかっています」
 フランクリンはかぶりの振り方に、意見の相違をつよく見せて、「残念ながら、たとえ供給の問題を解決できたとしても、地上の人間をすべて菜食主義者にすることはできませんよ――火星や金星への移住を積極的に奨励なさるならともかく。わたしなどは、ラムチョップや、ウェルダンのステーキが、もう二度と食べられないとなったら、ピストル自殺もしかねませんね。ですから、あなたがたのプランは、二つの面で必ず失敗します――人間の心理的な面と、食糧生産ののっぴきならない実情の面で」
 マハ・テーロはすこし気分を害した表情になった。
「局長さん、そんな明白なことを、わたしたちが見落としているなどと、まさか考えてはおられないでしょうね。しかし、その実施方法を説明する前に、まずわたしたちの見解を、最後まで聞いていただきたい。わたしは、あなたの反応を興味ぶかく見守ることにします。というのは、わたしたちが受ける消費者のレジスタンスの、あなたは最も有力な代弁者だからです」
「結構です」と、フランクリンは微笑した。「わたしをこの仕事から改宗させられるかどうか、やってごらんなさい」
「有史以来、人間は、ほかの動物は自分たちのために存在しているのだ、という考えをいだいてきました。幾種類かの動物は、すでに絶滅させてしまいました。ときにはまったくの欲望のために、またときにはその動物が農作物を荒らしたり、ほかの活動を妨害したためにです。たいていは正当な理由があったことも、しばしば選択の余地がなかったことも否定はしません。しかし、時代が下るにつれて、人間は、動物界に対して犯した罪で、その魂を黒く汚してきました。そして、六、七十年前に、その最もはなはだしい形、たまたまあなたが職業としておられたこの形において、それは極まったのです。わたしはいくつかの実例を読みましたが、これなどは、銛を打ちこまれた鯨が、数時間にわたって、あまりにもひどい苦しみをつづけた後に死ぬので、その肉は一片も使えなかったというのですその動物の断末魔の苦悶から生まれる毒素が全身にまわってしまったためです」
「非常に例外的な場合です」と、フランクリンは言葉をはさんだ。「とにかく、わたしたちはその問題をすでに解決しています」
「そのとおりですが、その債務は、いま履行せねばなりません」
スヴェン・フォインでも、あなたのご意見には賛成しないでしょう。話は一八七〇年代にさかのぼりますが、彼が爆薬を装填した銃を発明したとき、それを完成したことを神に感謝するという一行を、日記に書き留めています」
「興味あるご意見ですな」と、テーロは冷淡に言った。「彼と議論をする機会を持ちたいものです。ご承知のように、人類を二分する簡単なテストがありますね。誰かが道を歩いていて、踏みそうなところに甲虫がはっているのを見るとします――彼は歩調を乱して、踏まないようにすることもできるし、踏みつぶしてしまうこともできます。あなたなら、どうされますな、フランクリンさん」
「甲虫によるでしょうね。それが有毒なものか害虫だとわかっていれば、殺すでしょうが、そうでないとすれば逃がしてやります。理性のある者なら、誰だってそうしますよ」
「では、わたしたちは、理性がないことになる。殺生は、より高等な生物の命をたすけるためにのみ正当化されるものだ、と信じています――しかも、そういう場合は、驚くほど稀なものです。いや、本論にもどりましょう。横道にそれたようです。
 百年ほどまえに、ダンセイニ卿というアイルランドの詩人が、『人間の効用』という劇を書いています。これは遠からず、わたしたちのテレビ番組の一つとして、見られることになるでしょう。この劇の中で、一人の男が夢を見て、魔法の力で太陽系から連れ出され、動物たちの審判法廷に引き出されます――もし彼が、二人の弁護者を見つけ出せないと、人類は全滅の運命を与えられるのです。犬だけが進み出て、主人をかばいます。その他のものは、昔の悲しみを思い出して、人間がこの世にいなかったら、もっとしあわせに暮らせただろうに、と考えます。絶滅の宣告が、まさに下されようというとき、第二の支持者が折よく間に合って、人間は救われます。人間にも何か役に立つところがあるという、この二番目の唯一の支持者は――蚊なのです。
 そんなものは、単なる戯画にすぎないと思われるかもしれません。ダンセイニもそのつもりだったにちがいありません――彼はたまたま、狩猟の名人でした。しかし詩人というものは、しばしば、自分でも意識していない、隠れた真実を語るものです。そして、このほとんど思い出す者もいない劇には、人類に対する、深遠な寓意があると、わたしは信じます。
 一世紀たらずのうちに、われわれは必ず太陽系の外へ出ていく。そうなれば早晩、われわれよりも、はるかに高度な、しかし様式はまったく異質な、知的生命体にいろいろ出くわすことになります。やがて、その時がきたら、人間がより高等な生物から受ける待遇は、おそらく、人間が自分の世界のほかの生物に対して、どのように振舞ってきたかによって定まるのかもしれません」
 その言葉は、非常におだやかに言われはしたものの、非常に確信にみちたものだったから、フランクリンの心を、突然冷たいものが貫いた。初めて、相手の意見にも一理あるのかもしれないと感じた――つまり、単なる博愛主義以外の何かがだ(だが、博愛主義は、“単なる”ものであるのか?)。彼は、自分の仕事のクライマックスを、好ましく思ったことは一度もない。なぜなら、彼はずっと以前に、すでにその巨大な預りものに対して、強い愛着を感じるようになっていたからだ。しかし、その都度、彼はそれを必要悪と見なしてきたのだった。
「ご意見はまことにごもっともなことです」と、彼は認めた。「しかし、好むと好まざるとにかかわらず、人生の現実は認めなければなりません。“自然は血みどろの闘争の場”という言葉は、誰が言いだしたのか知りませんが、それが自然のありようです。そして、世界の人間が、食物か倫理か、どちらかを選べとなったら、どちらが勝つかきまっています」
 テーロは例の神秘的な、静かな微笑を浮かべた。意識してかしないでか、代々の芸術家たちが、仏陀の象徴としてきた慈悲の眼差しを、それは反映しているように思われた。
「しかし、問題はまさにそこにあるのです、フランクリンさん。二者択一を迫られることは、もはやありません。われわれこそは、古い輪廻を打破して、罪なき生き物の血を流すことなしに満足できるものを食べうる、最初の世代なのです。それがどういうものかを知るために協力してくださったあなたに、心から感謝しております」
「わたしに!」フランクリンは大きな声を出した。
「そのとおりです」と、テーロが言った。いまや彼の顔には、ほんものの仏画よりもゆったりした微笑がひろがっている。「さて、ごめんをこうむって、わたしは眠ることにしましょう」

問題

 上の文を読んで、次の5つのうち、マハ・テーロの考えとして正しいものがいくつあるか答えなさい。

  1. 人間以外の動物は人間のために存在している
  2. 牛・羊・豚等の家畜を殺すこともいずれは止めるべきである
  3. スヴェン・フォインの日記よりもダンセイニ卿の作品の方がより興味深いものだ
  4. 高等な生物の命を助けるためなら下等な生物を殺すことは正当化される
  5. 食物か倫理かの二者択一は避けることができない

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コメント

  1. steelfan より:

    1.×
    2.〇
    3.×
    4.×
    5.×

    で問題の答えとしては『一つ』でいいのでしょうか。
    マハテーロの「では、わたしたちは、理性がないことになる。殺生は、より高等な生物の命をたすけるためにのみ正当化されるものだ、と信じています」という台詞は、フランクリンの「甲虫によるでしょうね。それが有毒なものか害虫だとわかっていれば、殺すでしょうが、そうでないとすれば逃がしてやります。理性のある者なら、誰だってそうしますよ」という回答を受けたものであってマハテーロ自身の思想ではないと考えられます。

    要するに「お前は価値観Aを信じているがそれだったら行為Bをやるのはおかしいんじゃねえの? 行為BやめるかA主義者やめたら? 俺は価値観C信じてるから行為Bやっても問題ないけど」という理路ですね。

    「お前いま『高等動物である人間に害がないときのみ下等生物である甲虫を生かし、害になる場合は殺す』と言ったよな? その理屈で言えば『より高等な動物であるクジラに(相対的に下等な)人間が害をなしているとき、お前は人間殺さなきゃ筋通らない』はずだよな? 俺は『人間に害があろうとなかろうと甲虫を殺さない』から『クジラに害があろうとなかろうと人間殺す必要もない』けどな」

  2. やまだ より:

    ×○○××で2つ……としか思えませんが、何か罠があるんですよねたぶん(笑)。

  3. 木戸孝紀 より:

    >やまださん
    いや、そんなことはないと思います。

    もちろんその作品の一部分なので、
    本全体を読んでいるかどうかで、
    何らかの影響は出ると思いますが、

    全くこの引用部分しか読まなくても答えられるし、
    読んだからといってそこに答えが
    書いてあるというわけではないです。

  4. やまだ より:

    この本を読んでいないと正解できないですか?

  5. 匿名 より:

    1×
    2○
    3○
    4×
    5×

    で2?

  6. より:

    2,3で2つだと思いますが。

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