ガイア教の天使クジラ49 アーサー・C・クラーク『海底牧場』 4/5

第48回】 【目次

 さて前回、何を考えてこんな読解問題に答えてもらったか。まあ、とりあえず答え合わせから。

答え合わせ

1:× 人間以外の動物は人間のために存在している

「有史以来、人間は、ほかの動物は自分たちのために存在しているのだ、という考えをいだいてきました。」と言って、以下ずっとそういう聖書的動物観を批判しているので、当然×だな。

2:○ 牛・羊・豚等の家畜を殺すこともいずれは止めるべきである

「生きるもの悉く、生きる権利を持って」いて「牛、羊、豚――そのほか(中略)すべての動物はどうなのか?」に対して「どこかで発足」して「徐々に推進してゆく」と言っているのだから、もちろん○だな。

3:○ スヴェン・フォインの日記よりもダンセイニ卿の作品の方がより興味深いものだ

 これは単純な引っかけ問題だな。前者は「興味あるご意見ですな」「彼と議論をする機会を持ちたいものです」という社交辞令を「冷淡に言った」きり全く無視してるが、後者には「人類に対する、深遠な寓意があると、わたしは信じます」とまで言ってるんだから、もちろん○だよな。

4:× 高等な生物の命を助けるためなら下等な生物を殺すことは正当化される

 もろに「では、わたしたちは、理性がないことになる。」と言っているので、そのまんま×だな。まあそりゃ仏教者なら害虫だからって前歩いてるだけでわざわざ踏み潰しに行くようなのを「理性」とは認めないわなあ。

5:× 食物か倫理かの二者択一は避けることができない

 これもそのまんまだな。「二者択一を迫られることは、もはやありません。」と言っているので当然×だな。

 

 というわけで答えは×○○××の2つ。楽勝だね? 違う?

 そう、違うんだなそれが。

答え合わせの答え合わせ

 実はこの問題1-5のうち4つまでは、本当に問題にしたい箇所についての解釈を、出題意図から逆算することなく、そのまま答えてほしいがためのダミーである。

 こんな回りくどいことをした理由は、私の予想では、おそらく8割方の現代日本人読者は、その箇所を完全に正反対に誤読すると踏んでおり、それが捕鯨・反捕鯨問題に対して重要なことを示唆すると考えるからだ。

 その箇所とは、

 4. 高等な生物の命を助けるためなら下等な生物を殺すことは正当化される

 である。正解は○である。マハ・テーロは「より高等な生物の命を助けるための殺生は正当化される」と信じている。

 んなアホなと思うだろう。よろしい。まずは多くの人が答えた通りに、テーロはここで「高等な生物の命を助けるためなら下等な生物を殺すことは正当化される」という信念が誤りで悪であると信じており、それを粉砕するために批判しているとしてみよう。

 この部分の会話を、現代では道徳的にはすでに決着がついていて異論がない別の問題、たとえば奴隷制で置き換えてみよう。「黒人は奴隷でいる方が幸せだ」と主張している――この場の出任せではなく歴史的に実際あった主張である――アメリカ南部の農場主に、奴隷制反対論者がこう言うとする。

「では、わたしたちは、理性がないことになる。黒人は奴隷でいる方が幸せだと信じています――しかも、そういう場合は、驚くほど稀なものです。」

 ……むちゃくちゃ不自然だ。「しかも、そういう場合は、驚くほど稀なものです。」の付け足しに全く意味が通らない。

 前提となる論理が間違いであり悪であると信じているならば、稀だと主張する意味はない。むしろ活動家的には多いと言いたいぐらいのはずだ。捕鯨問題で「長時間苦しんで死ぬ鯨は驚くほど稀です」と主張するシーシェパードが想像できるだろうか?

 そして、捕鯨反対派が「長時間苦しんで死ぬ鯨が多い」と主張し、そして賛成派が「そんなことはない少ない」と主張する場合――これも全然仮定の話ではないが――彼らはそれぞれ「苦しむ時間はより少ない方が良い」という論理に賛成なのか、反対なのか、どちらだろう?

 そう、(他の条件が同じであれば動物の)「苦しむ時間はより少ないほど良い」という命題自体には、前提として双方とも同意しているからこそ、この食い違いは起きるのだ。*1

 ここでテーロが「稀だ」と加えるのは、その前提となる論理は正しいと、つまり頻繁であれば自分の主張にとって都合が悪いと思っているからだ。テーロは「高等な生物の命を助けるためなら下等な生物を殺すことは正当化される」(されてしまう)と考えているのだ。

 まだ信じられないと思う。それでよい。ここで読者がみんな「あそっか、そりゃそうだよな」と思うようでは私の主張にとっても都合が悪い。

 確かに、この誤読を助長するような他の要素もいくつか重なっている。偶然とは言えないまでも、おそらく意図的にではなく。

 ひとつは、直後に犬と蚊の話題が出ることで、これがいかにも生命に「高等」も「下等」もないというような、普通の現代日本人が持つ直感、仏教的というか東洋的というか、少なくともキリスト教的ではない直感に合う(合ってしまう)こと。だが、これはあくまで誤解だ。*2

(今日の一コマ)

 もうひとつは、翻訳時に日本語的な主語の省略が行われていること。この部分の原文はこうである。

Then we are not reasonable. We believe that killing is only justified to save the life of a higher creature―and it is surprising how seldom that situation arises. But let me get back to my argument; we seem to have lost our way.

 最初のWeは、

  • 「害虫なら殺すけど害がないなら逃がしてやる」と言いつつ「人間に害を及ぼしていない鯨を殺す」という理の通らないことをしている(フランクリンを含みテーロを含まない)わたしたち人類一般

 であり、2番目のWeは、

  • 鯨がより高等な生物である人間に害を及ぼすならば殺すのも正当化されるが、そうではないので殺すのは正しくないと考える(フランクリンを含まずテーロを含む)わたしたち反対派

 なのである。原文でも、Weの語の持つ解釈の曖昧さによって、翻訳文とまったく同じ解釈の余地が生じているので、誤訳とは言えないが、おそらく原文以上に誤読を招きやすくなってはいるだろう。

 ……これでも信じられないだろうか? たぶんすぐには信じられないだろう。「いや確かにその解釈の方が筋は通る気もしてきたが、でもそんな馬鹿な」という感想の人の方が多いと思う。

 今はそれでよいので、とりあえず『海底牧場』最後までの続きに付き合っていただきたいが、その前に、前回と同じ引用部分(の一部)を使った発展問題を、ここでさらにひとつだけ追加させてもらおう。答えられるだろうか?*3

発展問題

 以下の“単なる博愛主義以外の何か”とは何か答えなさい。*4

「一世紀たらずのうちに、われわれは必ず太陽系の外へ出ていく。そうなれば早晩、われわれよりも、はるかに高度な、しかし様式はまったく異質な、知的生命体にいろいろ出くわすことになります。やがて、その時がきたら、人間がより高等な生物から受ける待遇は、おそらく、人間が自分の世界のほかの生物に対して、どのように振舞ってきたかによって定まるのかもしれません」
 その言葉は、非常におだやかに言われはしたものの、非常に確信にみちたものだったから、フランクリンの心を、突然冷たいものが貫いた。初めて、相手の意見にも一理あるのかもしれないと感じた――つまり、単なる博愛主義以外の何かがだ(だが、博愛主義は、“単なる”ものであるのか?)。

*1:そして双方とも同意しているからこそ、本当は重要であるはずなのにあまり意識されない。
*2:次回でもう少し説明する予定。
*3:次回は今回ほど間は開かないと思うが、もしコメント欄で答えていただいた場合、次回の公開まで非公開とさせていただく。
*4:なお、ストーリー中にこれへの回答は書かれていないので本を最後まで読んでもネタバレはしない。むしろ、まだの人は次回までに読んでおいてほしい。

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