2008 3/9

イルカと話す日

第25回】 【目次】 【第27回

 ではジョン・C・リリー著『イルカと話す日』を読むことにする。

 日本での出版は1994年だが、原著Communication Between Man and Dolphin: The Possibilities of Talking With Other Speciesは1978年の刊行であるので時代を意識する必要があるときは78年の方に脳内時計を合わせなければならないと注意しておく。*1

序言――シロイルカからの招待――  アントニエッタ・L・リリー

 数年前から、私はクジラとイルカに関するおびただしい量の情報に接してきた。セーブ・ホェール、グリーンピース、ドルフィン・エンバシーといったさまざまな組織がアメリカ全土に連絡網をめぐらせている。さまざまな地域の人びとが、この愉快な生き物に興味をいだき、イルカについての知識を深めたいと考えて、私の夫、ジョン・リリーのもとにやって来て助言と情報を求めてきた。というのも夫のジョン・リリーは、イルカには人間並みの知能があるが、その知能は海生動物ならではの独特な形をとっていると最初に主張した人物だからだ。

 しょっぱなからメチャクチャ重要なポイントだよ! はてさて「人間並み」と言いつつ同時に「海生動物ならではの独特な形をとっている」というのは一体全体どういう意味なのだろう? 人間は海生動物だっただろうか? 火星人ならそう聞き返すだろう。さあ彼女は何を言わんとしているのか?

 これはある意味、この本全体を通じて一番重要な点である。あなたは読み終わる頃までには、この問いに答えられるようにならなければならない。今から考え始めておこう。スティーブン・ジェイ・グールドならなんて答えるだろうか?

 二〇年間にわたる独自の科学研究の末にリリーが得た結論は、すでに多くの人ぴとに知られている。人間はもはや知性を備えた唯一の生物ではない。イルカにも知性が備わっている。私は、サンディエゴの研究所で経験したある感動的な出来事によって、この事実を目の当たりにした。

 最近、私たち夫婦はヒューマン=ドルフィン・ファウンデーションを設立した――イルカとのコミュニケーションを推進するための新しい研究機関である。またそのいっぽうで、私は、個人的にもこの目標を達成したいと考えていた。私にとって、イルカとのコミュニケーションは現代における最も興味をそそる、重要な試みなのである。

 次の部分ひときわ振るってます。注目。

トニ・リリー

 一頭のイルカが水から頭を出して、こちらを見つめた。私も相手の目をまっすぐに見つめた。突然、イルカが口から水を吹き出した。水鉄砲は私の顔と肩に命中し、ゆっくりと全身を濡らした。それは愛情あふれるふれあいだった――もっと親しくコミュニケーションをしようという誘いだった。それは、これまで人間から受けたどのようなアプローチよりも官能的な誘いだった。私は無意識に手で水をすくって口に含むと、そのイルカに水鉄砲のお返しをした。そのあと数分間の喜びは、書き留めてもおよそ意味をなさない。

 私はイルカの白い肌に手を触れ、キスできるようになった。これこそ私が体験したかったことなのだ。私は境界を越えて新たに開かれた世界に入り込み、充足感に満たされた。分かち合える世界を持とうというこのイルカの誘いは、生物同士を隔てている亀裂の彼方にかいま見える、ある世界のビジョンを私に授けてくれた……いつの日かすべての生物が一体化される時が来る……そこでは、かつて隔てられた生物たちが再びひとつにまとめられる、平和な楽園、「平和の王国」が実現する。生物は種ごとに孤立化し、その孤立を高めていく。やがてそこから生命の凝縮と拡散の過程が生まれ、思いもよらぬ形でクジラ類との一体化が起こる。

 しかと見よ、ガイア教徒に約束された千年王国の姿! いきなり「彼女は頭がおかしい」と片づけてしまいたくなった人もいるだろうが、さて彼女は頭がおかしいのか? いーや、ちっとも。仮に百歩譲っておかしいとしたって、信仰を持つキリスト教徒の誰よりもそんなに顕著におかしいとは言えない。

 私がここの記述で連想するのはイザヤ書の一節*2だ。彼女が、自覚しているかどうかはともかく、このような伝統的イメージの影響を受けていないと考えるには特別な理由が必要だろう。私にはその理由は何も思いつかない。

 ……ところで、だ。こんなささやかな千年王国の到来すら邪魔しようとする奴らがいるよなあ? 他人んちの裏庭の海*3までわざわざやってきて、血まみれの口で「お前らの信じる天国など妄想だ! お前らの生は無意味で、終わりにあるのは虚無だけだ!」とゲラゲラあざ笑っている悪魔のような、いや、悪魔そのものの奴らがなああ? いったい誰だっけそんなけしからん奴らは? めっちゃ許せんよなあああ!?

 白いおばけたちは不思議なほど愛情がこまやかで、水中で悪戦苦闘している私を気遣ってくれた。彼らは、太古の冷たい海を泳いでいた私自身なのである。細胞が組織され、陸に上がってくる以前のはるか遠い過去に、私は海の住人であったのだ。彼らと過ごしたこの日、私は水中に住んでいたころの過去の自分を取り戻した。

 過去にさかのぼり、彼らとともに自分の起源についての新知識を語り合い、彼らと一緒に人間とクジラを長いあいだ隔ててきた壁を打ち破りたいと私は願っている。

 見てわかるように、いちいち突っこんでいたらきりがないので何も言わない。しかし、これじゃあアクア説は、裏付ける証拠がいっさいなくても、あまりにも素敵なのでどんどん信じちゃいたくもなるってもんだよね。

序文  バージェス・メレディス

イルカのコミュニケーションの分析用に作られたコンピュータ

 (前略)リリーの自宅の隣には、一部屋半の広さしかない小さな実験室がある。ここでは、一週間のうち五日間、アメリカとカナダのさまざまな地方からやって来た若い科学者たちが、リリーの指導を受けながら無報酬で働いている。彼らはソフトウェアとハードウェアとを連動させる仕事に取り組んでいた。また、ファウンデーションが購入したさまざまな種類のコンピュータやハイドロフォン、計算用の機器の調整、研究結果を使った科学的な実験の準備などの、より簡単な仕事も行なった。

 ファウンデーションで働く者は、選ばれてこの研究に参加しているという誇りを感じていた。ファウンデーションの研究は重要な進展を見せているという噂が流れ、実際に高い地位にある人びとが訪れてきた。

 コンピュータが激しく時代を感じさせてくれる。今日の社会から「大きな脳」に対する強迫観念が消滅してしまっている――まさに今話題にしているような間接的な影響をいくらか残して――という事実も、我々が猛烈な勢いで小型化かつ高性能化するコンピュータを見ながら育った、という時代背景の間接的な記録に過ぎないのではないか? という思いが生じる。

 人間よりも大きな頭脳を持つ動物(地球においても他の惑星においても)とのコミュニケーションの達成には巨大な可能性が秘められており、現代の地球における「人間のかくも長き孤独」に終止符が打たれるとすれば、もちろん歴史的な大事件となるに違いなかった。

 つまるところ、私たちはクジラとイルカが絶滅する前に、彼らと話ができるようになろうと努力しているのである。ギリシャ悲劇のように、そこには凄まじい緊張感があり、どんな結果が出るかはまだ明らかではない。

(中略)

 故ジョン・スタインベックは『コルテスの海』の中でこう書いている。「人間は足元の潮だまりを見つめるべきである。ついで星を眺め、また再び潮だまりを見つめるべきなのである」。

 宇宙から海への神秘の移行は第12回でもちょっとだけ触れたが、どうも私の深読みしすぎというだけでもないようだ。関連する時代背景としてはアポロ11号の月着陸は1969年。

 ジョン・リリーはこれと同じことを別の言い方で語っているのであり、私たちの多くが彼に惹きつけられるのも、彼のそうした主張によるものなのである。「人が心の中で真実だと感じるものには、最初から真実であるものと、しだいに真実となるものとがある。いずれの場合も、その真実には、一定の限度が設けられている。そしてこうした限度こそが理性では説明のつかない信念というものなのである」

 これが高度に悲惨な自虐的ギャグに聞こえるとしたら――私には聞こえるのだが――それは単に私たちがすでに結果を知った上で読んでいるからに過ぎないことに注意しなければならない。それを忘れて彼らを変人と笑うのは、誰よりもまず私が許さぬ。

 今日の我々がイルカ・クジラが人間以上*4の知能を持っているとは考えないことに何らかの自信を持っているとすれば、そのことは、

 かつて彼らのような立派な技術と知識を備えた大勢の人たちが「イルカ・クジラには人間以上の知能があるはずだ。あって欲しい。」という最大限の予断と偏見を持って臨み、それでもなお失敗したという事実を知っている

 という以外の何事をも意味しない。

*1:個人的な話だが、私は1979年生まれなのでちょうど私が生まれた頃にあたることになる。
*2:「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」11:6〜9
*3:オーストラリア人から見ての感覚
*4:それが何を意味するのだろうかという問題はひとまず置いて。

第25回】 【目次】 【第27回

おまけ

 キリスト教原理主義は反捕鯨とは関係ないというのはこの動画一つ見てもわかるだろう。宗教原理主義など信じていそうな保守的な人というのは、どちらかというと、左派的なガイア教には一番懐疑的な人間だ。

 もちろんこのおっさんが原理主義者だというわけではないが、どんな反捕鯨活動家よりもそちらに近いタイプの人間であることは論を待たない。

by 木戸孝紀 tags:


“ガイア教の天使クジラ26 ジョン・C・リリー『イルカと話す日』 1/8”へのコメント 13

  1. 1. わんこ

    これがテキサス親父さんか・・・噂には聞いてたけど初めて見た。カウボーイハット被って、髭をはやしてカウボーイスーツをはいてる姿を想像してたよw
    >「人間並み」と同時に「海生動物ならではの独特な形」
    あれだ。天使ってことでしょ。天使も人の姿に似ているけど、羽を生やしている。信仰対象にするには「人間並みの知能=人間と同等」というだけでは不充分で、+αが必要なんだ。わけがわからない=神秘性が。

  2. 2. 木戸孝紀

    >わんこさん
    一つの正解ではあると思うけど、ここで問いたいのはちょっと違うというかそれ以前の話。
    ヒント。「イルカの知能」が「人間並み」であると同時に「海生動物ならではの独特な形」 ってのは、“普通”に考えるとそもそも両立しうることだとは思えないんだが? 言葉通りに素直に解釈すると、人間は海生動物なのか? 火星人ならそう聞き返すだろう。
    彼らは(そうなったらいいなとかそうだったらいいなとは思ってるだろうけど)そうは言ってない。にも関わらず、この言葉が「トースターのの性能は芝刈り機並みだが屋内ならではの独特の形を取っている。」みたいなまったく何の意味も持たない寝言ではなく、何らかの意味を持っていると見なすためには、ある前提の共有が必要だ。それはなんだろう。

  3. 3. わんこ

    うーん。ヒントをいただいたらなおさらわからなくなったw
    これの回答はこれからのお楽しみということですね。

  4. 4. わんこ

    ×回答 ○解答
    ×カウボーイスーツ ○ウェスタンブーツ
    「人間並(の知能)」と「独特の形(の知能)」が「普通に考えたら」両立しないねぇ・・・?ということは普通の考え出なければ両立するということか・・・。それを両立可能にする考え、前提、世界観とは何か・・・?うーんうーん。

  5. 5. わんこ

    ×人間は海棲生物だった
    なら
    クジラ・イルカ類は人間だった。
    ・・・まさかね。

  6. 6. 通りすがり2号

    いつも大変趣き深く拝見させていただいております。
    おそらく「人間とクジラの知能を、そしてもちろん他の動物の知能とも比較することができる、比較できなければならない」という信念のようなものだと思います>ある前提の共有
    「現存する社会の階層は正当なものであり、必然的なものであるとするために、理性に、あるいは宇宙の本質に訴えることが歴史上しばしばなされてきた」
    ガイア教の天使クジラ21で引用されたグールドの言葉を、現時点での仮の回答とさせてください。

  7. 7. TTNM

    細かい事で済みませんが、原文でも「シロイルカからの『正体』」なのでしょうか?
    雰囲気的に『招待』のような気がするのですが。

  8. 8. 木戸孝紀

    >TTNMさん
    もちろん間違いです。ありがとうございました。

  9. 9. Gungnir

    彼等は多らしい神を創造しようとしているのだろうか?

  10. 10. Gungnir

    ×多らしい
    ○新しい
    一行コメントで、この体たらく・・・。すんません。

  11. 11. ブリキの

    久し振りに覗いたら鯨だらけでイルカになりました。
    >「イルカの知能」が「人間並み」であると同時に「海生動物ならではの独特な形」
     イルカの脳は、人間その他のように地球の三割しかない陸地に適応した形式ではなく、七割ある海に適応した形式で存在している。
     →イルカは(知能は同じである人間よりも地球では)凄いぜ!
     →人間は(貴く、本来あるべき形の)イルカにはなれなかったぜ!
    という主張なのかな、と思いました。マシンパワーは同じでも対応しているソフトウェアが(地球では)正規、というような感じで(この解釈だと第10回の方に近くて、戦闘能力下っ端と遂に現れた四天王リリーさんが似たようなことを言ってることになってしまう?)。

  12. 12. 匿名

    人間も、イルカも、進化の頂点にいるって事が前提かね?
    すでにダルイですな
    喰える動物は、「人が食っても良いように下等に作ってある」と捉えてるわけだ

  13. 13.

    >>「人間並み」と同時に「海生動物ならではの独特な形」
    >>ある前提の共有が必要だ。それはなんだろう。
    「イルカには人間並みの知能がある」と信じる前提なら推測ができます。
    今でも結構通じているのではないでしょうか。
    直感で思いついたガイア教の最重要人物は外しましたが、こちらは当たりそうなので、次回の更新を楽しみにしています。

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