2008 10/20

(今日の一コマ)

第29回】 【目次】 【第31回

 前回で、ついに“脳”を介して歴史上三つの大いなる存在の連鎖が全て一本に繋がるところまで来た。いい機会なので少し俯瞰してまとめてみよう。

 いつの時代も――少なくとも何万年という長きにわたって――ずっと変わらないものがある。それは、自分と自分たちの共同体が、宇宙の中で特別の歴史を持ち・特別の使命を帯び・特別の地位を占めていると信じたい人間の心である。

 それは直接目に見えるものではないが、もっと変化しやすい物事を通して、間接的に見ることができる。それはある時代には、

  • 我が部族は大地の誕生と同時にその裂け目から飛び出た偉大なる雄牛の子孫である

 というような神話の形をとって現れ、またある時代には、

  • 全能の父なる神が御自身の姿に似せてアダムとイヴを創られた

 という宗教の形をとって現れ、またある時代には、

  • 生命はアメーバから人間に向かって一直線に進化の階層を駆け上がってきた

 という学説の形をとって現れ、またある時代には、

  • 人類は進化史上のある時期イルカやクジラと仲良く水の中で暮らしていた

 という珍説の形をとって現れるのだ。

 これは私見だが、どうもある時期から一方的にしょぼくなっていくばかりみたいだな。この凄まじい喪失の埋め合わせが、誰かをナチ呼ばわりしたり・漁網を破ったり・酪酸をぶつけたりする程度で済んだら、奇跡に近い僥倖だと思わないか? 私は自分をほとんどあらゆる事柄に対して楽観論者だと考えているが、奇跡を期待する気にはなれないのだ。

 今日の鯨類に、時に人間以上の地位にすら登るという離れ業を可能にさせたのは、もちろん単一の要因などではなく、すでに言及したこと・まだ言及していないことを含め、必然・偶然の様々な要素がロイヤルストレートフラッシュのごとく絶妙に噛み合った結果である。

 しかし、その中でも一番重要な絶対不可欠の要素が“大きな脳”であったことは、間違いないと言ってよいだろう。

 脳科学神経科学は、半世紀前とは比較にならないほど進歩した*1今日でさえ、まだまだ発展途上にある。十分満足できる信頼のおける情報が与えられているとは到底言えず、いまだ半世紀前と同じく理性と神秘の境界線上に載ったままである。

 それゆえ、脳の写真には今日にもいまだ「魔力」がある。*221世紀の人間にとってさえもそうであるのなら、リリー博士をはじめとする当時の人々がこの「魔力」の前に為す術もなかったとしても、いったい何が不思議なのだろうか。

 リリー博士の生まれた時代に注意を向けるように以前伏線を張っておいたが、1915年といえば第一次大戦中だ。ヒトラーが伝令として戦場を駆け回っていた頃だ。

 リリー博士は脳をこの世で最も精妙な装置と表現したが、その脳について確実にわかることといったら、限度を超えた力でぶん回せば豆腐みたいに潰れるというぐらいのことだった。(そうでない物体があるとでも?)

 彼が脳について定量的に何か言うために使える基準は、19世紀の学者たちにとってそうであったのと同じように容積ぐらいしかなかったし、それ以外にできることといったら、顕微鏡で脳細胞を覗いてほとんど違いがない*3と確認することぐらいだった。

 さて、ここで何にでも優劣をつけたがる人間の性向に迎合して、あえてどちらかが狂っていると決めなければならないとしたら、狂っているのはどちらだ?

 時代精神に則って自分の想像力を少々飛躍させただけのリリー博士か? それとも、現在の自国の常識がいつでもどこでも通用すると思っている我々現代日本人か? 個人的には断然後者の見方を支持したいね。

*1:余裕があったら、wikipediaに記載されている知見・研究手法の中で、当時のリリー博士に利用できたものがどれだけあるか数えてみると面白いだろう。
*2:参考:Rauru Blog ≫ Blog Archive ≫ 脳MRIイメージで説得力アップ
*3:当たり前だ。細胞が顕微鏡で見て一目瞭然に違うようなら、イルカはシリウスから来たという主張を真面目に検討しなければならないところだ。

第29回】 【目次】 【第31回

おまけ

 ヒトラー→独ソ戦

by 木戸孝紀 tags:


“ガイア教の天使クジラ30 狂っているのは我々の歴史に対する感覚であって彼らの頭ではない”へのコメント 2

  1. 1. ダイモン

    大きな脳ですか。奴ら、原爆開発やミサイル弾道計算に使ったような2部屋もあるコンピューターを神と崇めるのか?おれのポケットのiPhoneの方が優秀だなんて言ったら不敬罪で八つ裂きかなあ。

  2. 2. 木戸孝紀

    >ダイモンさん
    逆でしょう。コンピュータがそんな風に進歩したから
    今日「大きな脳」信仰が、こんな間接的な影響しか
    残ってないほど廃れたんですよ。
    宗教ってのは想像以上に現状追認的なものなんです。

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