パスカル・ボイヤー『神はなぜいるのか?』

神はなぜいるのか? (叢書コムニス 6)

 原題は『説明される宗教』(Religion Explained)。原題の方が内容に忠実だ。全体の趣旨は私なりに思いっきり要約するとこう。

従来の説明

  • 宗教は説明を与える。
  • 宗教は安らぎを与える。
  • 宗教は社会に秩序を与える。
  • 宗教は認知的錯覚である。

 これらはみな一理あるが不十分である。このような現在「宗教の特徴」と言われて思いつくようなものは、いくつかの大宗教の特徴であるに過ぎず、宗教全体の中では時間的にも空間的にもむしろ稀な特徴だ。

 実際には、宇宙の創生にも・人間や共同体の成り立ちにも・魂の救済や死後の世界にも関心がない、あるいは薄い宗教がたくさんある。安心をもたらすよりむしろ不安を強化するような信仰対象が多いように見えるし、社会組織との関連の仕方も千差万別だ。

 宗教が認知的錯覚だというのも「そこに説明すべきことがある」という以上のことは何も言っていない。これだけではただの名前の付け替えである。

新しい説明

 人間の脳は生き延びて子孫を残すため自然淘汰によって磨き上げられてきた。その実態は、高度に専門化された仕事をこなす各モジュールの集合体である。個々の部品の仕事は、「意識」には上らない。意識しようとしてもできない。

 各モジュールから出力される最終結果を単純に説明し、同時に各モジュールに豊かな推論を生み出させるような仮定がミーム淘汰に生き残る。生き残った仮定が科学的事実と一致していれば常識と呼ばれ、一致していなければ宗教と呼ばれる。

 人間が直感的分類に使用する概念テンプレートはごく少なく、人・動物・道具・植物/自然物程度で全て満たされてしまうように思われる。そして宗教的概念というのはこのカテゴリーからの推論に違反する属性がひとつ(だけ)加わったものであることが多い。

 ……というあたりの話は、「よく広まるトンデモは多くの事実に一つだけ直感に反する情報が付け加わったものだ」という経験則を連想させて面白い。連想させるというより実際に同じメカニズムなのだろう。(参考)

参考リンク

おまけ

 500万再生記念&宗教つながり。

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