2017 10/18

第41回】 【目次

 また1年以上間が開いてしまった。このまま年に1回のようなペースだと、100歳まで長生きしても未完に終わってしまいそうなので、なんとしてでもペースを上げようと考えている。

 今回取り上げるのは、今度こそ、押しも押されもせぬSF作家の正真正銘SF小説、ロバート・A・ハインライン異星の客』(1961)である。

 前回同様、いま読んで面白い小説だとは言いがたいので、長くなりすぎるのを防ぐため、大胆に要約・省略しながら行く。

 ネタバレも気にしないので、自分で読む気がない人は、先にあらすじと基本設定ぐらいはWikipedia等で予習してもらいたい。特にハインラインの項目は詳しく、このシリーズの観点からも有益な記述をいくつも含む。

 主人公のヴァレンタイン・マイケル・スミス(マイク)は、第一次有人火星探査のクルーが消息を絶った25年後、第二次探査によって発見された彼らの遺児であり、遺伝的には地球人だが、誕生直後から火星人に育てられ、地球や人間を一度も見たことがなかった。

 第一次クルー達のものだった莫大な株と特許を相続し、さらに法のいたずらで火星全土の所有権を持つことにさえなるかも知れないマイクが、赤ん坊よりも何も知らないと来れば、トラブルが起きないはずはない。このマイクが辿る生涯が、小説の本筋だ。

小説の世界観と時代精神

 まず以下は『自由諸国の世界連邦の事務総長という最高の地位にあるジョセフ・E・ダグラス閣下』(P127)が朝食をとりながら読んでいる電子新聞、という設定。風刺小説としての世界観がよく凝縮されていると思うので、ここは直接引用する。

 太陽の第三惑星は、今日は昨日より二十三万人多くの人間をかかえていた。五十億の地球人口のなかで、このくらいの増加は目だたない。連邦の協力者である南アフリカ帝国は、またしても少数民族の白人を圧迫したと、最高裁に召喚されていた。ファッション界の大御所たちがリオに集まり、スカートの裾が下がるだろうし、へそはかくすようになると発表した。連邦防衛ステーションが空中で動きを見せて、この惑星の平和を乱すものはなんであろうと殺してみせると約束した。コマーシャル宇宙ステーションが、無数の商標の商品の無限につづく騒音で平和を乱している。ハドソン湾岸には昨年の同じ日に移住してきた数より五十万も多い移動住宅が落ちついた。中国の米作地帯は連邦会議で緊急対策を要する栄養失調地区と発表された。世界一の金持ち女性として知られるシンシア・ダッチスは、六人目の夫に慰籍料を払って離婚した。
 新啓示派(フォスタライト派)教会の最高大司教ダニエル・ディグビー博士は、連邦上院議員トーマス・ブーンを導くためにエンゼル・アズリールを指名し、今日中に天の承認が下るであろうと発表。各通信社はそれをまともなニュースとして送った。過去に、フォスタライト派が何軒もの新聞社を打ちこわしたことがあるからだ。ハリソン・キャンべル六世夫妻は、シンシナチ小児科病院で仮親からただひとりの男の嗣子を得たが、幸福なこの両親はペルーで休暇を楽しんでいる。イェール神学大学の余暇芸術教授ホレース・クァッケンブッシュ博士は、信仰にもどり精神価値をつちかえと呼びかけている。ウェスト・ポイントのフットボール・チームのプロ選手の半分が、賭け競技の醜聞に巻きこまれた。細菌戦化学者三人が、トロントで、情緒不安定ということで休職になった。彼らはこの事件を最高裁にもっていっても争うと発表している。連邦最高裁は、合衆国最高裁判所の、ラインバーグ対ミズーリ州の連邦州議員がからむ党大会予選会の件に関する判決を破棄した。(P126-127)

 話の筋に絡んでくるのは「フォスタライト派」だけであり、細かい内容にいちいち論評しないが、人口問題・人種・ファッション・軍事・商業主義・性・宗教・生命倫理・政治、と様々なトピックに対して、作者の抱いている時代精神が垣間見えて面白いだろう。

 このダグラスが、マイクの財産と権利を押さえ政治的混乱を避けるため、彼を替玉の役者とすり替えて、その存在を抹殺しようとするところを、善玉サイドの看護婦ジリアン(ジル)が救出して、アナーキスト気質*1の老学者ジュバル*2の家へ駆け込むのが序盤のプロットである。

火星人とその考え方

今日の一コマ

 マイクを保護したジュバルらは、マイクを通して、火星人について詳しく知ることになる。火星人のキャラが直接本編に登場することはないが、小説全体を通して最重要要素である。

 今日の私達にとっては、「火星人」という単語がギャグやたとえ話以外の文脈で出てくる、ということだけでも、まず驚きだろう。

 意外と最近まで、太陽系の惑星のことですらよくわかっていなかったのだ、と理解するのは、それはそれで面白いことだが、今回の主題とはあまり関係ない。問題はこの火星人がいかなるものとして設定されているかだ。

 卵で生まれ、ニンフと呼ばれる毛羽だらけの球体状の幼生を経て、やがて帆を張った氷上船を思わせる巨大さの成人となる。雌雄同体で、ニンフのうちは全て女性で、成人後は全て男性に変化し、人間的な意味での性の意識はない。

 ニンフは物理的には活発だが精神はごく鈍い。大量にいて大事にはされず8/9*3までは最初の年に死ぬ。たまたま生き延びたニンフは成人に保護され、受胎・産卵を終えると成人に変わるよう指導される。成人は物理的には不活発だが、精神的には能動的である。(P160-161)

 まあこのあたりまではいい。今日たとえばハリウッドでリメイク映画化されるとしたら、火星人の雌雄はほぼ確実に逆の設定にされるだろうし、それも時代精神の興味深い変化のひとつを示唆しているが、今は置いておこう。本当に興味深いのはその先だ。

 数分、あるいは数年間の思索を必要とする火星人は、ただそのまま思索にはいる。もし友だちのひとりが彼に話しかけたいと思っても、その友だちは待つだろう。永遠の流れのなかで、急ぐ理由はありえないし、急ぐということは火星人の概念にはなかった。スピード、速力、同時性、加速、その他の永遠性のパターンの抽象概念は、火星人の数学の一部としてあっても、火星人の感情としてはなかった。反対に人類のたえまのないあせりは、数学的な時間の必要からではなく、人間の性的両極性につきもののいきりたった性急さからきているのだった。(P227)

 成人は長命で急ぐということを知らず、決して争わない。「死ぬ」ことはなく、適切な時が来たら自らの意志で「分裂」(discorporate*4して霊的存在となるだけで、事実上不死である。不要になった肉体は皆で尊敬を込めて喰われる。(P224)

 霊はごく当たり前の存在であり、肉体的に生きている成人より多い。古くからいる上級霊は「長老」(Old One)と呼ばれ、ほとんど全能である。一例として、第五惑星*5は、大昔に、長年かけて住民を悪と完全に「理解」した火星人の長老によって破壊されたことになっている。(P163)*6

 火星には病気も暴力も殺人も犯罪もなく、金銭も財産も政府も税金もない(P251)。長老の教えが完全なため、「宗教」「哲学」「科学」は火星語では不可分で「研究」とか「疑う」という概念もない。(P242)。「創作」という概念もない*7。おそらく「嘘」や「欺瞞」もない。「笑い」もない。(P252)

 生まれたときから火星人に育てられたマイクも、少なくとも当初は地球の常識を一切理解せず、火星人には遠く及ばないものの、多彩な超能力を持っている。

 念動力や空中浮揚は当然できるし、幽体離脱もできる。「悪」と認識したものを四次元の彼方に一瞬で消し去ってしまうこともできる。*8肉体を自由に操作し、脈拍や呼吸をコントロールして仮死状態になったり、感覚を遮断したり、太ったり痩せたり顔つきを変えたりできる。

 他人の視点から見る――考え方のたとえではなく実際に――ことができたり、他人にまた別の他人の視点を見せることもできる。宇宙の法則についても人間の科学者に説明することすら不可能なところまで理解している。

 「なんぼなんでも盛りすぎやろ!」……とツッコまずにはいられないのだが、それもいったん置いといて、『失われた地平線』と続けて読んでもらった*9ので、私が何が言いたいか、わかるね?

 設定の違いのために一見派手になってはいても、ハインラインとその読者達が、火星・火星人・長老に仮託しているものが、ヒルトンとその読者達が、シャングリラ・ラマ僧・大ラマに仮託していたものと、実質的に全く同じだということが。

 そしてもちろん、単に似ているとか、たまたま同じであるのではなくて、ミーム的な意味で前者が後者の子孫である*10ことが。

 もはや地上では見つけられなくなった神秘の逃げ場が、忙しい自分達「西洋人」を省みるための道具が、当時まだフロンティアだった宇宙に見いだされるようになったのだということが。

 最後におまけ的に一箇所引用。

 人間とはなんだ? 羽毛のない二足獣か? 神の姿をうつしたものか? それとも、循環のなかで「適者生存」の偶然の結果なのか? 死と税の相続人か? 火星人は死に打ち勝っているらしいし、人間的な意味での金も財産も政府ももっていないらしい。彼らにどうして税金がありうるだろう。

(中略)

 しかし、火星人の見かたからすると、人間とほかの動物を区別するのはなんだろう? 宙を飛べる種族が(そのほかになにがあるかだれにもわからないが)機械工学なんかに感心するだろうか? そうだとしたら、いちばん高く買われるのはアスワンダムだろうか、千マイルにもおよぶ珊瑚礁だろうか? 人間の自意識? ただのうぬぼれで、抹香鯨*11やセコイア樹がどんな人間にも劣らぬ哲学者で詩人ではないと証明する手だてはないのだ。
 ただひとつだけ、人間がほかに負けない領域がある。殺し、奴隷にし、いじめ、あらゆる方法でたがいに自分たちを耐えられないくらい迷惑な存在にすることに、ますます大きくさらに多くの有能な方法を発明する無限の才能を人間が示していることだ。人間は自分自身に対するいちばん意地悪い冗談なのだ。ユーモアの土台そのものが、そこに――(P251)

 これはジュバルの内省ではあるが、小説全体のトーン、ひいては著者の人間観・時代精神の一面を代弁するものと考えて間違いない。

 この本でクジラが出てくるのはこの一言のみで、他には一切絡んでは来ないものの、高知能説がすでに知られており、謙虚に考えるためのネタのひとつに過ぎずとも、少なくとも真面目に受け取る余地のあるものだったことがわかる。

*1:『彼はときの権力の邪魔をしてやると思うと、わくわくしてくるのだった。彼もアメリカ人すべてが生得の権利とともにもつ無政府主義的傾向を、人なみ以上にもっていた。惑星政府に体あたりすることに、彼はこの世紀にどんなものに対していだいたよりも鋭い熱情を感じるのだった。』(P159)
*2:『弁護士にして 医師、理学博士、善人で美食家、逸楽の徒にしてなによりも人気作家、しかも超厭世派哲学者であるジュバル・E・ハーショー』(P142)
*3:「十中八九」あるいは「大半」の意。中途半端な数なのは火星では3進法らしいため。
*4:まとまった複数部分に分かれるニュアンスが強い「分裂」よりも、「分解」の方が適切に思われる。おそらく(原文の時点で)意識して避けていると思われる既存の宗教用語を含めれば「入滅」が一番妥当か。さらに意味もずらしてよければ「解脱」でもいいかも。
*5:現実の太陽系第5惑星:木星のことではなく、火星と木星の間の小惑星帯が、かつてひとつの惑星であったとする(おそらく正しくない)仮説上の惑星。仮説自体は実際あったもので、この小説独自のものではない。たとえば『星を継ぐもの』でも重要な要素として登場する。参考:仮説上の天体
*6最強議論スレ――厨設定が集まることで有名――でもそこそこ上位に入れそうだ。
*7:『マイクがロメオは実在した人物だと信じているのがわかったし、マイクが彼に期待しているのは、ロメオの幽霊を呼びだして、現世でのその行動の説明を求めることらしいと、どうやらつかめた。(中略)創作の概念がマイクの経験の埒外にあるのだった。』(P192)
*8:実際に追っ手の警官隊やその武器・乗り物を次々消してしまう。
*9:現実時間では1年以上経ってるが……。
*10:ここで都合がいいのは、火星人が実在しないのは、少なくとも今日時点では明白で、このイメージは地球のどこかからきたものでしかあり得ない、ということだ。
*11:今はそれほど重要でないので追及しないが、ひとつ宿題。ここで鯨類代表として出てくるのがマッコウクジラであるのはなぜだろう? それは何を意味しているのだろう?

第41回】 【目次

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2016 7/16

失われた地平線 (新潮文庫)

第40回】 【目次】 【第42回

 あのハンターハンターさえ連載再開するぐらいだから自分も頑張ろうと思ってこのエントリを書き始めたら、書き上がるまでに再び休載してしもた(笑)。まあ仕方ない。始めよう。

 今回取り上げる作品、記念すべき後半戦最初の作品は、ジェームズ・ヒルトン失われた地平線』(1933)である。

 未来・SFの世界にご案内しようとか言っておいて*1いきなり普通はSFに分類される作品ではない。時代も、未来どころかリリー博士の時代から30年ほどもさかのぼる。前回のダライ・ラマの前振りがなかったら、そもそもなんで取り上げるのか全くわからないだろう。

 おまけに、小説そのものは今読んで面白いとは全く言いがたい。適当に最低限のあらすじだけ紹介しながら、このシリーズにとって意味のある点でのみ、少し引用して立ち止まることにしよう。

 物語の舞台は1931年。古い小説にはたまにあるように、何重かの伝聞という形式を取っているが、メインストーリーの主人公はコンウェイというイギリス領事。理想的なイギリス紳士(独身)である。

 彼はバスクール*2という土地に駐在していたのだが、そこで革命が起き、「白人」居住者は軍の飛行機でペシャワールへ避難することになった。

 ところがコンウェイ他4人が乗った飛行機は、操縦士がいつの間にか見知らぬ「現地人」に入れ替わっており、彼らは勝手にチベットの山奥へ連れて行かれてしまう。

 その操縦士すらも心臓麻痺か何かで急死してしまい、途方に暮れた4人は駕籠を担いだ「東洋人」の集団に出会い、シャングリ・ラのラマ教(チベット仏教)寺院へ迎えられる。

 シャングリラという名前について少し調べてもらいたい。後にどれほどの影響力を持ったかについては、モデルになったあたりの地域が実際にシャングリラ市に改名した、という一事をもってしてもわかるであろう。*3

 シャングリラは下界より遥かにゆっくりとした時間の流れる理想郷であった。シャングリラについての描写を2箇所ほど抜粋。

 ところがこのラマ僧院には、そうした中国風の装飾品の他に、まだ注目すべきものがあったのだ。例えば、それの一つとして、すこぶる快適な図書室があった。(中略)そこには世界の代表的な文学作品が洩れなく取り揃えられているばかりでなく、彼の評価の及ばない玄妙珍奇な典籍がぎっしりと並んでいるのだった。英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語の書物がふんだんにあり、中国語その他の東洋語の筆写本にいたっては、まず数えきれないほどだった。

(中略)

 とにかくプラトンのギリシャ語原典が英訳のオマー・ハイヤームと隣り合っているかと思うと、ニーチェニュートンと手をつなぎ、トマス・モアがいると、傍らにハンナ・モアトマス・ムーアジョージ・ムーア、おまけにオールド・ムーアまでも揃っているのだった。

 個別の書名や著者名にこだわる必要はない。ざっと雰囲気を掴むだけでよい。

 コンウェイがさらに驚いたことには、その小亭の内部には一台のハープシコードと最新型のグランド・ピアノとが据えつけてあるのだった。(中略)ラマ僧たちは西洋の音楽を、なかでもモーツァルトを、非常に高く評価し愛好しているとのことだった。ヨーロッパの偉大な作曲家の作品は残らずここに取り揃えてあるし、ラマ僧たちのうちにはさまざまな楽器の練達者が何人かいるという話だった。

 お、おう……。

 コンウェイは、シャングリラに滞在するうち、僧院のトップである「大ラマ」に異例の目通りを許される。

 大ラマがシャングリラの歴史を語る。普通に引用していたら長くなりすぎるので、かなり大胆に要約させてもらう。ここから次の引用部までの間、鍵括弧内が原文ママの表現。

 1719年のこと、ペローというカプチン会の修道僧が、ネストリウス派の信仰の名残を探す旅で偶然シャングリラに行き着いた。

 古いラマ教寺院をキリスト教の修道院に建て直して宣教を始め、53歳の時には定住するようになった。ローマから召喚状が来たりもしたが、もはや老齢のため従うことができず、生涯シャングリラに留まることになった。

 98歳の時には仏教の経典を紐解き始めた(最初はキリスト教信仰の立場から批判するためだったし、実際そうしたのだが)。「インド人がヨガと呼ぶ神秘的な黙想修行」の研究を始めた。108歳の時臨終の床についたが、やがて回復し始めた。

 臨死体験で、ある意義深い幻覚をこの世へ持ち帰ったペローは「直ちに厳格な自己訓練を開始し、しかも奇妙なことにも、それと平行して麻薬に耽溺し出した」「いまや谷間の寺院では『感謝聖歌』と『南無阿弥陀仏』とがこもごも洩れ聞こえるようになった」

「そんな馬鹿なことが……」と彼は吃りながら言った。(中略)
「わが子よ、いかがなされた?」
 ゆえ知らぬ情感のため体が震えるのを覚えつつ、あえてその震えを押さえようともせずに、コンウェイは答えた。
「あなたはまだ生きていらっしゃる、祖師ペロー様!」

 200歳を軽くを超えるペロー神父その人であることが明らかになった大ラマが語るシャングリラの魅力。大事なところなので少し長めに抜粋。

 私が描いて進ぜた見通しは、魅力的なものでしょう。ながいながい静謐の境涯にあって、俗世の人々が時計の鳴るのを聞くと同じ気持ちで、それよりもはるかに心労のない態度で、あなたは夕陽の沈みゆくのを眺めていることだろう。時は来たり、年は去り、あなたは肉体的な享楽から解脱して、漸次より厳しい、それでいてそれに劣らぬ満足を与えてくれる境地に入って行かれることでしょう。(中略)あなたは深い静けさを、老熟した叡智を、そして明晰な記憶力の陶酔を味わうことになるなる筈です。そして、なによりも貴重なことは、あなたが『時』を獲得なされるということですぞ。よろしいか、あなたがた西洋の国々が追求すればするほど見失ってしまっている、あの得がたく貴重な贈物を……なのですぞ。まあ、考えてもごらんなされ、あなたは書物を読む時間を得られる……もはや二度と、時間を惜しんで、頁から頁へと拾い読みをしたりすることはありますまい。また、あまり熱中しすぎないようにとの配慮から、なにかの研究を控えるというようなこともなさらなくなるでしょう。(中略)楽譜も楽器もが、妨げられず果てしない『時』とともに、その最も豊潤な香りをあなたに捧げるべく、すべて用意されてあるのですよ。(中略)賢明で波立たぬ静穏な交友、いつもあわただしく人を呼び立てる『死』を恐れることのない、久しく温かい心と心の交わりというものを考えられて、あなたは心をひかれることはありませぬか?

 ひとつめのポイントは、この大ラマことペロー神父の語り、ひいてはジェームズ・ヒルトンが抱き、当時の欧米人が共感したイメージは、かなり普遍的な魅力を備えている、ということだ。

 多くの個人差・地域差・時代差があるにしても、説明する必要のない明白な問題点に引っかかるのは割り引かなければならないとしても、これに魅力を感じ、心をひかれない読者がいようか。(私ももっと書く時間取りたいよ!)

 ふたつめのポイントは、強調部に表れている(西洋)文明批判の側面だ。ここを補完する場面として以下の引用を見てほしい。話の順序が前後するが、シャングリラ到着翌日に4人のうちのひとりが早く帰りたがっている、という場面。

「誰かがよっぽど機敏に立ち回ってくれないと、とても今日中には出発できそうにないな」などと、マリンソンは呟いていた。「あの連中は典型的な東洋人だからね。ちょっとやそっとで事をてきぱき敏活に処理させられるもんじゃないからなあ」
 コンウェイは黙ってその言葉に頷いてみせた。マリンソンはもうイギリスを出てから一年近くにもなるのだ。二十年も東洋に住んでいたとしてもおそらく繰り返すだろう同じ結論に、もうそろそろ到達してもよかろうと思われる頃だ。そして、実際に、彼の言葉はある程度正当だった。ただコンウェイの見るところでは、必ずしも東洋の諸民族が異常なまでに遅鈍なのではなくて、イギリス人やアメリカ人が常軌を逸した熱にうかれて、間断なく地球上を駆けずり回っているように思われてならないのだった。こうした考え方には彼と同じ西洋人たちが同感する筈もないのは、彼にだってわかってはいたが、年を追い経験を積んでゆくにつれて、彼のその見解は強められてきていた。

 この東洋観が差別的だ、というような見ればわかることを言いたいのではない。私たちが過去について誤った期待を抱いていない限り、それは1933年が1933年であるという自明の事実を意味するに過ぎない。

 オリエンタリズム一般について、ここで説明することもしない。例によって、このシリーズの観点から重要な点に絞ってまとめよう。

 この時点において「東洋(人)」は「西洋(人)」に対して、平等な関係・対等の選択肢として存在するのではない。あくまで忙しい自分たち(「西洋(人)」)を省みるための小道具に過ぎない。実際の「東洋(人)」は、ある意味どうでもいいと思われている。

 実際チベットの扱いは極めていい加減だ。私はチベット仏教の教義について何も知らないが、それが「麻薬をやりながらゆっくり西洋の文学や音楽を楽しもう」というようなものではない、と断言しても、文句は来ないと思う。(枝葉末節だが『南無阿弥陀仏』も唱えないと思う。)

 このような「東洋」の扱いは決して珍しいものではなかったし、この作品は、そのような創作の中で最も有名なものでも最も洗練されたものでもない。*4それでも私が時代精神の代表としてこの作品を選んだ理由は、一番最後でまとめよう。

 大ラマは、そもそもコンウェイらが連れてこられたのも偶然ではなく、外部の人間を招くため計画だったことを明かしてくれる。

 まず大体から申して、この土地の高度や其の他の条件に馴らされているチベット人は、外部の人種の人たちほど感覚が鋭敏ではありません。(中略)百歳以上の寿命を保つ者はどうも少ないように思われます。中国人はまだよろしいようですが、それでも失敗する者はかなり多いようです。最も成績のよろしいのが、ヨーロッパの北部の人たちやラテン系の種族でして、アメリカ人もほぼ同じくらい適応性があるのではないかと思われます。

 わっはは、チベット人は鈍いからダライラマに向かないか。中国人に替わってもらった方がましだな。

「その理由は、ちゃんとあるのですよ。(中略)それこそが、この偶然寄り集まった異邦人たちのこの群落にとって、寿命を越えてまで長生きすべき理由のすべてなのです。(中略)われわれには一つの夢があり、幻想があるのです。(中略)かつて一七八九年に老ペローがこの部屋で臨終の床についておったときに、その枕頭を訪れた幻想だったのですよ。(中略)そうした追想を通して彼が感じましたのは、すべて美しいものがはかなく滅びやすく、この世の戦乱や欲望や獣性がいつの日にかそれらをことごとく破砕してしまうかも知れぬ、という憂慮だったのです。(中略)つまり、この世界の国々が、叡智においてではなく、卑俗な欲情や破壊の意志において、次第に強化されてゆくさまを見ていたのです。機械の力が倍加して行って、ついには武装したただ一人の人間が大君主ルイ十四世の全軍にも匹敵するようなことになるだろうことを見て取ったのです。

(中略)

殺人の技術を手にして驚喜した人類が、この世界の隅々まで荒れ狂いまわって、(中略)書物も絵画も音楽も、二千年の歳月を通じて貯えられた、微小で繊細で防御のすべを持たぬすべての宝物が、(中略)破壊されてしまうだろう……とな。

(中略)

 おそらくこの破局は、あなたが今の私ほどの年齢になられるよりも前に、やって来ることでしょうから」
「それで、このシャングリ・ラがその破局を免れることができると、そうお考えなのですね?」
「おそらくはな。(中略)ここには、われわれが育み護って、やがて残し伝えるべき遺産があります。その時がやって来るまで、お互いに人生を楽しみ味わうことにしようではありませんか?」
「そして、その時が来ましたら?」
「その時には、よろしいか、強者どもが相互にむさぼり合って果てたその時には、初めてキリストの倫理が履行され、柔和なる者は幸福なるかな(マタイ伝、第五章、第五節)……ということになるのですよ」

 1933年はヒトラーがドイツ首相に就任しナチスが政権を取った年であり、日本が国際連盟を脱退した年でもあることを参考にどうぞ。

 また、時代の反映であると同時に、時代を越えた普遍的な魅力を備えてもいる。間もなく来る破局、そして復活というテーマは、古くからよく知られているものだ。このミームを受け継いでいる未来の「子孫」を思いつく人も多いだろう。*5

「これから来たらんとしている暗黒時代は、この世界全体を一つの棺衣でおおい包んでしまうのです。遁れる道もなければ、隠れる場所もなく、ただ見出しかねる僻地か物の数に入らぬささやかな場所のみに、助かる見込みが残されるのみでありましょう。シャングリ・ラは、そのいずれでもありうるわけです。大都市に死を運ぶ飛行士とても、(中略)ここを爆弾を一発投下するだけの価値がある土地だとは思わぬでありましょうからな」

 「なんでこいつら最終戦争が起こっても山奥にこもってるだけで大丈夫だと思ってるの? ばかなの? 死ぬの?」と思った人いませんかね? 私は初めて読んだ時に思いましたよ。

 でも、ちょっと考えて気づきましたね。馬鹿は我々の方です。1933年には、核兵器という概念は、一部の先進的な物理学者やSF作家の想像の中にしかなかったのです。死の灰とか核の冬という概念も当然まだありません。この「一発の爆弾」は核爆弾ではなく通常爆弾なのです。

 この場面の直後、大ラマはコンウェイを自分の後継者に指名して亡くなる。小説の筋としては、ここからあともうひと盛り上がりあるのだが、このシリーズの観点からはどうでもいいので無視する。

 まとめに入ろう。

 繰り返すが、東洋(人)観が差別的だとか、見ればわかることを言いたいのではない。80年以上も先から振り返っている未来人である我々の目には、そのような問題点はあまりにも明白であり、大まじめに説明するのは野暮というものだ。むしろ馬鹿にしているのかと怒られかねない。

 何より、そのような問題点に今日一番敏感なのは、日本人以上に、まずガイア教の支持層である欧米のリベラルな人々であろう。

 たとえば現代のワトソン船長がどれほど自意識の肥満した男であっても、自分がダライ・ラマの後継者に指名されるとは絶対に期待していないだろう。もはや馬鹿らしすぎて冗談にもならない。

 それでもこの作品が当シリーズの観点から有用なのは、まさにその古さゆえだ。このシリーズで着目すべき重要な変化――私がガイア教の本質と考える変化――のスタート地点およびそこから向かう方角を、見事に捉えたスナップショットと見なせるからだ。

  • 地上*6に神秘が残されていた最後の時代であるが、それがまもなく消えてしまうのではないかという予感はある。
  • 伝統的な差別――白人種の他人種に対する優越・西洋文明の他の文明に対する優越・キリスト教の他の宗教に対する優越――はまだ自明のものだった最後の時代。だが、それが正しくないのではないかという意識も芽生えている。
  • 第二次世界大戦もまだ起きておらず、核兵器が存在しなかった最後の時代。しかし、文明の全てを破壊するような最終戦争が起きるのではないかという恐怖はすでにある。

 このスタート地点と、今現在あなたが生きている瞬間と、それが書かれた時代を三角測量することによって、これから見ていく作品を、よりよく理解することができるだろう。「オリエンタリズム」の糸においてだけでなく、このシリーズの最後の最後まで重要な視点となるはずだ。

*1第39回
*2:ちょっと調べた限りではどこのことかわからなかった。架空の地名?
*3:ついでに個人的なことも言うと、私はその名を冠するホテルチェーンに何度も宿泊したことがある。参考:シャングリ・ラ・ホテルズ&リゾーツ
*4:たとえばエーリッヒ・ショイルマン『パパラギ』(1920)の方が、どちらにおいても上であろうと思う。
*5:私が真っ先に連想するのは『風の谷のナウシカ』のヒドラの庭園だ。
*6:ここでは「地下・海中を除く地球上」ぐらいの意味。

第40回】 【目次】 【第42回

by 木戸孝紀 tags:

2015 6/29

第39回】 【目次】 【第41回

 ここまで『存在の大いなる連鎖』という一本の柱に沿って、時系列に進んできたこのシリーズだが、ここからは、詳細に分け入る代償として、多少複雑にならざるをえない。

 このシリーズでは、過去と未来で何が変化して何が不変であるかを常に意識することが、理解にあたって重要だ。*1しかし、完全に過去から現在へ進みながら、多岐にわたる話を扱うと、話があちこちに飛びすぎてわかりづらいことになる。

 折衷案として、織物でいえば縦糸とでも言うべきいくつかのキーワードを選び、縦糸を次々と取っ替え引っ替えしながらも、その糸の範囲では時系列を(ほぼ)維持するという方針を取ることにした。

イルカと話す日

 最初の糸の先端を、またリリー博士から再開させていただこう。

 中間テストでも予告したジョン・C・リリー『イルカと話す日』のエピグラフ。2本あるうちの最初のひとつはこれだ。

「公衆が科学研究の努力と成果とを、意識的かつ分かりやすい形で体験する機会を与えられるということは、大変意義深いことである。一握りの専門家だけが研究成果を利用し、洗練して、応用するだけでは十分ではない。知識をわずかな数の専門家だけに独占させることは一国の国民の哲学的精神を衰退させ、精神の貧困をもたらすことになる」

――アルバート・アインシュタイン

 アインシュタインに極端な愛憎を抱く――おそらくは単に彼が世界一有名な学者であるというだけの理由で――というトンデモ科学者のステロタイプをまたしても連想させる内容だが、今回着目するのはこちらではなく、並列されているもうひとつのエピグラフの方だ。

 「人間の親指にも満たない大きさの内なる精神、プルシャは、あらゆる生物の魂に永遠に宿っている」

――『ウパニシャッド

 最初に現在の本筋でない部分を断っておく。『イルカと話す日』を扱っている際に、本の巻頭にあるこのエピグラフを、あえて見せなかった理由は、おそらく理解していただけると思う。

 今日の日本人にとって“プルシャ”という単語は特定のエピソードを連想させすぎる。このシリーズ全体の主旨と無関係というわけではないが、あの段階で予断を持たせるのは、マイナスの効果の方が勝ると思ったからだ。

 さて、この2本の引用元の選択には、科学に対して愛憎半ばする感情と東洋思想への傾倒という、当時のリベラルな人々が共有した精神をよく代表している。第24回の内容を憶えていれば、たとえ当てられずとも予想外とは言えないはずだと思う。

 中間テストに回答を寄せてくれた数少ない奇特な人たちの中で、「ダライ・ラマ」と回答した人が複数いた。「方向性さえ合っていれば正解とする」と予め言っておいたのはこの回答を予想してのことであり、私はこれを正解に数えたいと思う。

 ダライ・ラマが欧米で有名になったのはリリー博士より後のことだが、少し時代がずれていたら、ここにウパニシャッドの代わりにダライ・ラマ14世の言葉が入っていても、まったく不思議はなかっただろう。

dalai_lama

 確か2008年頃だったか、シーシェパードの公式ホームページに行くと、サイドバーにダライラマの写真が貼ってあった。

 現在は見られないが、当時のスクリーンショットを保存したものがあったので貼っておこう。

 知っての通り――知らなければ見ての通り――ダライ・ラマ14世は、宗教的・政治的にどうかはともかく、個人的・外見的には典型的なモンゴロイドのおっさんである。

 シーシェパードのような反捕鯨運動が、一部の人々の言うように、キリスト教白人至上主義の陰謀であるのならば、黄色人種の仏教指導者がトップページでアピールされるのはなぜだろう。

 おそらく、捕鯨反対の日本人は、これを単にシーシェパードやあるいは一般的に反捕鯨運動は人種差別などではない証拠と見なすだろうし、反反捕鯨派は「日本差別を人種差別と言わせないための偽装だ」とかなんとか苦しい言い訳をするであろうと思う。

 もちろんこの場合、どちらかと言えば、圧倒的に前者が正しい。何度も言っているが、シーシェパードやその支持者は、伝統的な意味の人種差別主義者ではない。むしろ、そのような人種差別には最も批判的な層に属する人々だ。

 話がこれで終わりだったら、どんなに良かっただろう。だが、私はこれから、残念ながらそうではないという話をしなければならない。一本目の糸となるキーワードは『オリエンタリズム』だ。

  1. ジェームズ・ヒルトン『失われた地平線』(1933)
  2. ロバート・A・ハインライン『異星の客』(1961)
  3. アーサー・C・クラーク『海底牧場』(1957)

 3本の作品を通して、リベラルな欧米人のオリエンタリズムの対象が、アジア(東洋人)から宇宙(火星人)へ追いやられ海(クジラ)へ戻ってくる変遷、人種差別・宗教差別意識の今昔、鯨肉のカニバリズム感と高知能説*2の関係、等々を描こう。

*1第36回
*2:今後このシリーズで単に「高知能説」と言った場合、ジョン・C・リリーを発端とする鯨類高知能説を指す。

第39回】 【目次】 【第41回

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2015 6/6

第38回】 【目次】 【第40回

 大きな鍵*1を逆向きに使うことで、鏡のように「普通」の日本人の態度もよく理解することができる。一本の柱から離れて次の段階に進む前に、一度自分たちを振り返っておこう。

鏡その1

 以下は、このシリーズ開始以前に、ネットのどこか*2で見かけた会話である。記憶からの再現なので一字一句正確ではないが、概ねこのようなものであった。

A「なあ、これはもちろん仮定の話だけどさ、もし本当の本当に、奴らの言うとおり、クジラやイルカが人間並みの知能を持っていることが判明したらどうなると思う?」
B「さあ? たぶん日本がすぐに捕鯨やめて、代わりに白人どもが血相変えて絶滅させようとすんじゃねーの?」

 「そうだそうだ!」と思うだろうか? それとも「レイシストきめえ!」と思うだろうか?

 私の意見では、このB氏は、目先の恐怖を紛らわすため、特に深い考えもなく、憎悪に任せて適当に威勢のいいことを言ってみただけであろうと思う。

 しかし、それでも彼は、おそらく自分でも気づかないまま、なまじ訳知り顔で冷静ぶっている人々もしばしば見落としている重要な真実の一端に、手を掛けている。

 つまり、人間より賢く偉い動物がいる――それも眼に見えぬ世界の霊的存在としてではなく、地上に肉体を持って――などというのは、本来*3西欧・キリスト教文化よりも、むしろ日本・東洋文化*4の方にこそ、ずっと似つかわしい発想だということだ。

 意外かな? そうでもないと思うのだが。「奴ら」*5一般にキリスト教が嫌いで、東洋的・オリエンタルな思想が、西洋のそれより優れていると、近代以降初めて本気で考えた人々なのだ。本当なら日本人の方が進んで信じたいような思想であるのは、むしろ当然ではないか。

鏡その2

 このニュースを覚えている人はいるだろうか。ちょうどシーシェパードが初めて捕鯨船に乗り込む事件を起こした翌年だったので、それなりにネットで話題になった。

 捕鯨賛成派というか反反捕鯨派の側は、

  • 「そら見ろ! 奴らは日本非難に利用できるときは保護しろなんて言うが、自分が見て不愉快だとなりゃカンガルーと同じであっさり殺しちまうんだ! クジラなんて人種差別の口実にすぎないことの何よりの証拠だ!」

 とかいうようなことを言った。

 無論、この意見は間違っている。*6しかし、ただ単に間違っているだけで、何ら興味深い意見とは言えない。むしろ興味深いのは、これに対する捕鯨反対派の側の意見だった。彼らは、

  • 「安楽死なんて捕鯨問題と何の関係もねえだろこのバーカバーカ」

 ぐらいの(字義通りには概ね正しい)ことはもちろん言ったが、総じてあまり元気がなく、どちらかといえば、こんなことはしてほしくなかったと思っているように見えた。*7

 少なくとも、

  • 「オーストラリア人グッジョブ! これで自分も勇気百倍で捕鯨賛成派を説得できるよ! ありがとう!」

 というような感想を持った日本人は、ひとりもいないようだった。

 しかし、この状況はどう考えても何か変ではなかろうか。

 なぜオーストラリアの当局は、ただでさえ日本では少数派である同志たちに元気を無くさせるような処置を、わざわざ取ったのだ? 日豪の防衛協力を妨げるために、中共の工作員がオーストラリア当局に潜り込んで、両国の関係をさらに悪化させるべく暗躍でもしているのかね?

 そうではないというのなら、誰か(ひとりだけとは限らない)が何か(ひとつだけとは限らない)深刻な誤解をしているはずだ。

 この誤解は、日本とオーストラリアとか、捕鯨賛成派と反対派とかいう対立構図に捕らわれてる限り決して解けない。

 必要な視点は、やはり宗教だ。この状況の中にある一番本質的な断絶は、アボリジニの歌と安楽死の間にあるということに気づけるかがカギだ。

 長さの関係でここであまり深い議論はできないが、西洋文明における動物の安楽死は、今でもキリスト教的な論理に支えられている。*8

 生命(生死)よりも(苦痛の)意識(≒魂*9)を重視する傾向*10、動物は神からの賜り物だから人間が正しく管理しなければならないという”stewardship“(直訳すると「執事魂」*11)の精神、いずれも強くキリスト教の影響下にある。

 つまりアボリジニの歌を聴かせてから薬殺安楽死という、まさに木に竹を接いだような対応は、日本や捕鯨と一切関係なく――多くの反捕鯨日本人の主張通り実際直接には関係がない――それ自体がすでに大きなねじれを含んだものなのだ。

 むしろ、このような問題では、シーシェパードのような動物愛護団体*12は、ザトウクジラの安楽死にも、コアラやカンガルーの間引きにも反対する側であることが多く、日本人の反反捕鯨論者と同じ側に立って、同じ相手を非難していることが多いのだ。

鏡その3

 今回の本筋からは若干外れるけれども、第38回の続きでクレアさんの話も片付けておこう。

 第12回で取り上げた『クジラの歌が聞こえる』のクレアが病院で目覚めて以降の結末部分を換骨奪胎して、日本人好みに書き換えてください。一字一句書き換えなくても「大体こんな感じ」程度でよいです。

 この中間テストの第9問は、正解があるタイプの問題ではないが、私だったらこうするだろうという答えはある。私なら、変えるのは一箇所だけでいい。

 もう一度、クレアは本当におこったことを話したいという気持ちにおそわれた。ところが、まったく急に、そんな必要などないということに気づいた。
 真実を知っているだけでいいではないか。自分が見たり、やったりしたこと、すべてについて、自分自身の心の中で確信していさえすればいいのだ。

 となっているところで両親とは適当に話を合わさせ、最後の一文は

 クレアは心の中でつぶやいた。「でも、私は本当に南極海に行ってクジラを助けたんだからねっ!」

 みたいな感じにするだろう。

 一見、ほんの些細なニュアンスの差だけであり、物語全体は何も変わったようには見えない。仮にこっそり差し替えた本を読まされても、ほとんどの人は気づきもしないだろう。

 しかし、生のクレアさんを流石に受け入れられない「イルカ・クジラの大ファンで水族館のイルカショーに通いつめ、もちろん捕鯨には大反対の若い日本人夫婦」*13に取っては、これだけの違いで受け入れる余地が大幅に広がると、私は考える。

 このほんの些細なニュアンスの違いが、感じ方の大きな変化をもたらすのはなぜかというと、ここがまさにキリスト教(というより一神教的宗教文化)と日本文化(というより非一神教的宗教文化)の差に関するキーポイントだからだ。

 キリスト教の一神教文化では、あらゆる善・あらゆる正義が、GOD――全宇宙の創造主であり最後の審判の主宰者でありキリストや聖霊とひとつである全知全能の父なる神――にぶら下がっている。

 もし、GODに繋がっていない神秘があったとすれば、どんなに神秘的であっても、いや、あればあるほど、人々を正しい神から遠ざける、邪悪な異教の力・悪魔の力だ。善か悪か二つに一つ、どちらでもないということはありえない。

 ここでクレアがザトウクジラに対して感じている神秘は、もちろん悪いものではなく善いものである*14ので、その先には全知全能の神がいる。作者本人は意識していないだろうし、明示的に聞かれればむしろ否定するだろうが、必然的にそうなるのである。

 だから、この場面で両親に対して適当に妥協したりするのは、神に背く罪深い行為ということになる。そんな面従腹背の態度では、今はおとなしくしていても、いつ気が変わって寝首を掻きに来るかわかったものではない。そんな子供は信用ならない・反社会的な・悪い子である。

 両親なんて、人の短い一生の間のかりそめの関係に過ぎない。永遠の神に忠実である方がずっと大事だ。伝統宗教ではそんなに珍しい考えではない。第17回でも言及したことだし、日本人でも、よっぽど視野の狭い人でなければ、納得はせずとも理解はできるはずだと思う。

 ところが、キリスト教というより一神教的文化がない日本の通常の感覚では、これは逆になる。たとえ捕鯨反対が100%正しいと信じていたとしても、それはGODに繋がった究極の善とは関係がない。自分の善に固執して両親を無視する子供は、信用ならない・反社会的な・悪い子である。

 文化の違いでお互いを悪と見なしてしまうという、教科書に載りそうな典型的な状況だ。この話は、むしろ「無神論者がどうして道徳的であり得るのか」などと言い出す伝統的宗教保守派*15の感覚を理解する上で役に立つだろう。

鏡その4

 中間テストで、

 いわゆる白人国家でも、いわゆるキリスト教国でもない国の中で、最もガイア教が盛んな国はどこでしょう? 検索その他調べ物は自由です。

 という問題を出した。調べ物は自由と書いたが、本当は何も見ないで即座に答えを出してほしいところだ。

 ここまで来たらもうわかるね。おおむね豊かで環境問題や動物愛護に気を使う余裕があり、西側・リベラル・左派的で、近代・西洋化されていると同時にオリエンタル・東洋趣味でもあるという、ねじれた精神状態にある国「日本」だ。

 第34回で、リリー博士の意見が誰かさんたちにそっくりだと言ったな。あれはもちろん嘘ではない。文字通りにはまったく正しい。だが、本当の因果関係は逆だ。リリー博士が誰かさんたちに似ているのではない。誰かさんたちがリリー博士に似ているのだ。

 地球最先端を行くアメリカで思想を先導した教養ある天才科学者たちの認識が、半世紀かけて極東の中学二年生ですら弁えている一般常識になったのだ。

 今日、誰かさんたちが「欧米人」に対する批判になると思ってコピペしているような文章は、まさにガイア教を作ったのと同じ人達によって最初に書かれたものなのだ。

 いますぐ信じろとは言わない。ここで「はいそうですか」と納得するような単純な読者であってほしくない。このあたりの機微をもっとよく理解してもらうために、またしても脳内タイムマシンの旅を再開しよう。

 しかし、以前も強調した*16ようにここは既に現代だ。一体どこへ行こうというのか? もちろん未来へだ。SF小説じみていて荒唐無稽な世界から、本物のSF小説の世界へお連れしよう。現在と未来・現実と空想の狭間にある、さらなる驚異と恐怖の世界を味わっていただきたい。

*1第36回
*2:おそらく2ちゃんねる。
*3:ここでは単に「現在のそうではない期間よりもずっと長く、過去にそうであった」という程度の意味で言っている。そちらの方が正しいとか、これからもそうあるべきだとは言っていない。
*4:このくくり方が乱暴であることは重々承知であり、そのこと自体も後に重要なテーマとして取り上げる。
*5:私がガイア教徒と呼ぶ層とほぼ同じ人達だと思われる。
*6:どう間違っているかも、ここまで読んできた読者にはもうわかると思う。
*7:どうしても主観の問題になるが、私の偏見とは言えないと思われる。いま久しぶりにググってみても、捕鯨反対の立場からはっきりそう表明している人が複数確認できる。
*8:動物の安楽死それ自体は、文化と無関係に、大昔からあっただろう。たとえばマンモスに踏まれて助からない猟犬を安楽死させる、とかいうようなことは、クロマニヨン人だってしていただろう。
*9:伝統的キリスト教では動物に魂はないとされてきた、という話とはまた別。
*10:ずっと後になるが、これは捕鯨が「残酷」か否かを巡るシリアスな議論でも重要なポイントになっていたりする。
*11:ふざけて見えかねない字面だが「本来自分の所有物でないものを預かり忠実に管理する」というニュアンスは正確に表現されていると思う。
*12:シーシェパードが典型的な動物愛護団体であるかのような印象を与えたくはないが、今の文脈では不適当とは思わない。
*13第13回
*14:ビクター・ケラハーがザトウクジラを邪悪なものと描いていると思う者はひとりもおるまい。
*15:繰り返しになるがいわゆるガイア教の支持層とは重ならない。
*16第24回

第38回】 【目次】 【第40回

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2014 3/22

ジェフ・ベゾス 果てなき野望

 ジェフ・ベゾスおよびAmazon.comの伝記。すごく面白い。

 内容そのものは本を読んでもらうとして、ひとつ本の内容とは直接関係のない大予言ごっこをしたいと思う。話半分に聞いてほしい。

 ベゾスは近いうちに不老不死の研究を始める。関連技術の支援に資金援助(資本参加?)するのはもちろん、一番のネックは技術ではないということにも気づいて、思想的キャンペーンも同時に行うだろう。

 その際に組む対象はブライト運動、いわゆる新無神論しかない。おそらく初めて本気で新無神論を支援する超大金持ちとなるはず。

 ジョン・テンプルトンが伝統宗教を支援してテンプルトン賞を作ったように、新無神論を支援する、ベゾス賞あるいはドーキンス賞といったものを設立するかもしれない。

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2013 3/10

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来

 イベントも見に行ったほど好きなジャレド・ダイアモンドの新刊。いわゆる国家以前の「伝統社会」から現代人が参考にできることがあるのではないかというテーマ。

 例によってshorebird先生が読書ノートを連載中であるので詳しい内容はお任せ。

 自分は特に気になったところと個人的に参考にしようと思ったところだけピックアップする。

第1部 空間を分割し、舞台を設定する

 唯一意外だったのは、山の民が、

 ここにくるちょっと手前、尾根の北側のところで、小さな廃屋と荒れた畑をみたのを覚えているか。あの小屋と畑をつくったのは河の民だ。悪い人間である河の民は、ああいった方法で、尾根の南側ばかりか北側の土地にも自分たちに領有権があると主張しているのだ。

 と語る場面。私は、こういった最近よく聞く領有権争いのやり方というのは、もっと後の時代に、つまり国家による国内支配や国家間外交が進んでこそ生まれたものだと無意識に考えていた。

 現状維持(≒物理力行使が行われないこと)を何よりも尊重するような国際機関、あるいは国際規範といったものがないのなら、ちゃちな構築物など作ってもすぐ奪われるか壊されてただの作り損ではないか。

 マスコミで見聞きする15秒のニュースで領有権争いに関する意見を形成する、多数の無関心な国民、地球の裏側の外国人を意識する必要がまったくないとしたら、こんな形で先取権を主張したところで、まったく無駄ではないか。当の相手は経緯を全部知っているのだから。

 なんとなくそのように思っていたのだ。このような考えが間違いだとすると、所有や領有といった概念は、もっと古い進化心理学的起源を持ち、それに即した戦術だということか? 言われてみれば当然な気もするが、興味深い。

第3部 子どもと高齢者

 老人が大切にされる条件のところで思ったこと。

 自分の職業コンピュータプログラマは、明らかに老人の智恵が重要でない方の業界だ。大抵の場合、最初からより新しい知識を学んだ後進の若い人間の方が有用である。

 年齢を重ねても自分の価値を維持するためには、単純にプログラミングだけ勉強していても駄目かもしれない。

 もちろんしなければ駄目なのだが、それだけでなく年齢を重ねるごとにどんどん有利さが蓄積されるような得意分野を何か持たないといけないような気がする。

第4部 危険とそれに対する反応

 「建設的なパラノイア」一度ではほぼ起きないような確率の小さな事象も何度も繰り返せばいつかは発生してしまう。骨折などの大怪我をすると、死ぬか完治不能の障害を負うしかない環境に住む人は、危険に関してとても慎重であり、変に強がって見せたりはしないという。

 渋谷駅と会社の間で朝晩一回ずつ信号のないところを渡っていたが、それをやめて遠回りすることにした。

第5部 宗教、言語、健康

 宗教の様々な機能の中には、小規模部族の時から重要だったもの――物事に説明を与えたり苦悩や恐怖を和らげる等――と、中央集権が進んできてから重要になったもの――戦争や権力の正当化や内部抗争の抑止――がある、という説明は、おそらくこれまでなかったというわけではあるまいが、納得がいくものだ。

 バイリンガルはやはりいろいろな点で有利らしい。英語の勉強にもっと身を入れるべきか。

 食に関することは大体知っていた。が、カップラーメンを食べるときスープまで飲み干したりするのをやめることにしよう。

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2013 2/21

鑑賞のためのキリスト教美術事典

  1. 『公正世界信念』のTweetについて、社会心理学者からの疑問 – Togetter
  2. ヨブ記タグについて – 東瀛倭族拝天朝

 1を見て2を思い出し、見に行ったが、消えてしまっている。リンクはInternet Archiveに張っておく。

 伝統宗教というのは一見古臭くて不合理に見える。見えるというか、もちろんある意味ではその通りである。

 しかし、もっと古くから存在する――進化心理学的な意味で――有害な素朴倫理学を否定する「進歩的」な要素を備えていることもある。これはその格好の例だと思うのだ。

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2013 1/31

『さっさと不況を終わらせろ』★★★★

 ポール・クルーグマン著。やはり素晴らしい。

『American Pie―Slice of Life Essays on America and Japan』★★★★

 ケイ・ヘザリ(Kay Hetherly)著。NHKラジオ英会話で有名な人らしい。英語も簡単で内容もわかりやすく興味深い。学習者におすすめ。

『ファインマンさんの流儀』★★★★

 ローレンス・M. クラウス著。ファインマンさん系はひと通り読んだことがあるはずだが、それでも非常に面白い。専門的でなくてもいいので量子力学についての予備知識がちょっとあった方がより楽しめるかも。

『ゆとりの法則 – 誰も書かなかったプロジェクト管理の誤解』★

 トム・デマルコ著。同著者の他の本ほどではなかったけど、面白い。

『鑑賞のためのキリスト教美術事典』★★★★★

 早坂優子著。素晴らしい量と質(とそれに対するコストパフォーマンス)。美術以前にユダヤ教・キリスト教の基礎知識集としても十分役立つ。超おすすめ。

『世紀の空売り THE BIG SHORT』★

 マイケル・ルイス著。東証Project経由。

『コンピュータ囲碁 ―モンテカルロ法の理論と実践―』★★★★

 美添一樹著、山下宏著。サブタイトル通り理論・実践ともに詳しい。囲碁もコンピュータ囲碁も自分ではやってないけど面白い。やってる人は必読だろう。

『人類は衰退しました』★★

 田中ロミオ著。ニコ動で見たアニメが良かったので。1巻までの感想としては、一気に全巻読みたくなるような感じでもないかな。でもちょっとずつなら読みたいかも。

『エレクトリックな科学革命―いかにして電気が見出され、現代を拓いたか』★

 デイヴィッド・ボダニス著。個別の内容はどこかで見たことあるような気がするし、もっと良かったような気もするが、なぜか捨てがたい。

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