2010 1/28

ニューエイジについてのキリスト教的考察

 ニューエイジが日本人にとって極めて理解しにくい理由は、それが基本的に西洋思想、とりわけキリスト教と近代科学に対するアンチテーゼだからだ。

 ある程度まで当たり前で、仕方のないことだが、日本人はキリスト教についてよく知らない。*1「○○」をろくに知らないのに「○○への反発」を正確に理解できるはずがない。

 そこを上手いこと補うために推薦できるいい本がないかとずっと探していたのだが、

 経由で知ってついに発見した。これは素晴らしい。まさか教会そのものが出しているとは思わなかった。灯台下暗しとはこのことだ。

 全体で170ページしかない薄さに、ニューエイジの基礎に加えて、「キリスト教とニューエイジそれぞれが、互いをどのように見ているのか」という、日本人にとって最もわかりにくく、かつ重要な部分が濃縮されている。

 ニューエイジ関係の話題――うちでもガイア教シリーズがもろに関わる――ちょっとでも興味がある人には最適の本だ。断然おすすめする。というかもはや必読。

 ただし、聖書に対する最低限の知識は前提として必要。たとえば「旧約聖書と新約聖書って何が違うんだっけ?」とか「ピラトって誰?」とか思うようなら、阿刀田高の「知っていますか」シリーズぐらいでもいいので、一通り予習してからにした方がいいと思う。

 また、教皇庁の手になるものなので当然立場はカトリックであるが、プロテスタントとの違いが重要になる局面はこのレベルではないので、あまり気にしなくていい。

*1:近代科学についてもよく知らないが、それは幸か不幸か――不幸に決まっているが――どこでも共通だ。

おまけ

 つながりわかる人いますか?

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2009 4/14

エコ・テロリズム―過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ (新書y)

 上の記事で見てようやくこの分野の入門書として本当におすすめできる読みやすい本が出たかなと思って早速借りてきたが正解。全体で200ページとちょっとの新書だが、変な陰謀論やポジショントークに陥ることなく、歴史的・思想的背景を幅広く取り上げている。

 また参考文献の表記が非常に充実しており、この分野で重要な本がほとんど一覧できると言ってもいいぐらいだ。この問題に興味を持った人のための最初の一冊としてベストと言えるのではないか。

 どちらかというと環境運動の側に同情的で、タイトルに反発を憶えるような人にもおすすめできる。著者は、

 素朴に、それこそFBI的に(もっとも彼らは政策的意図からそうしているのだが)「エコ・テロリズム」という概念のみを用いて分析していくことは、歴史的背景を、そして事の本質を、見誤ることに繋がるだろう。

 と述べており内容もそれに沿っている。おそらくタイトルは、商業的事情から著者の意図に反しても派手にせざるをえないのだろう。

 ちなみに参考文献のひとつ池上俊一氏の『動物裁判』は『針の上で天使は何人踊れるか』を発見するまでここで使おうと思っていた本だし、「はじめに」では『地球が静止する日』と黙示思想の関係に言及されたりしていて、一瞬お前は俺か感に捕らわれた。

関連図書

おまけ

 確かに「市民的不服従」は(というか「市民」自体も)日本では全然理解されてない概念だ。

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2009 1/24

人類最後のタブー―バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは

 宗教右派と自然崇拝の左派、双方からのバイオテクノロジーに対する反発に対する、分子生物学者の立場からの批判。この手の話に慣れている人にとっては改めてすごい話は出ないと思うが、その分網羅性が高く、どんな人にも非常におすすめである。

 原題は“Challenging Natrue – The Clash of Science and Spirituality at the New Frontiers of Life”。『挑戦しがいのある自然 生命最前線における科学と霊性の衝突』ぐらいの意味合い。原題の方が内容をよく表している。派手すぎる装丁とタイトルは明らかに失敗だと思う。

 参考リンクの雨崎さんが怒っているようにリチャード・ドーキンス的な一種の傲慢さや、議論の乱暴さが見られることは確かだ。が、それでも私の立場は著者のものにかなり近い。もちろんこの本では比較対象が左右の両極端だから必要以上に近く見えているだけである可能性もあるが。

 著者のような基本的に科学・技術・人間・未来を信頼する楽観論に、若干の適切な抑制を加えたところが自分の理想とする立場である。「若干の適切な」なんて付け加えたら何も言ってないのと同じじゃねーか! と突っこまれそうだが、微妙な話なので慌てずに追い追い書いていく予定。

 ちなみに著者が文中で「ポスト・キリスト教」と呼んでいるものは、私がガイア教と呼んでいるのとほぼ同じものだ。表紙の影絵で、キリスト教の神を表している(と思われる)巨大な手と並んで下から突き出ているのはクジラの尾だ。原著にはないようなので著者の意匠ではないだろうが。

参考リンク

関連図書

おまけ

 アビー・ブリタニー姉妹の話も出てきます。

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2008 11/25

(今日の一コマ)

 前回でリリー博士に関しては最大の山場を越えたが、まだいくつか興味深い部分が残っているので『イルカと話す日』から抜き書き風に進めよう。

第一章 イルカに関する新学説の展開

 イルカに関する学説を最初に記録したのはアリストテレスである。その著作『動物誌』の中で、アリストテレスはイルカに関して鋭い観察を数多く書き記しており、イルカが胎生であること、授乳すること、呼吸をすること、水中で音をやりとりしてコミュニケーションを交わすことなどを述べている。

 これは本当。さすがは万学の祖と言おうか、一般の学者たちがアリストテレスの観察に追いつくには、その後1800年ぐらいかかっている。第17回で少し言ったが、知識が時間を追うごとにどんどん進歩するという常識は、近代以前に関してはあまり通用しない。

 アリストテレスはさらに「少年たちとイルカとはおたがいに愛情を抱いている」とまで述べており、背中に少年を乗せて海中を泳ぐイルカの話を紹介している。(中略)現代になってこのアリストテレスの観察の正しさは裏づけられたが、それは私がイヴァン・トースと一緒に、彼の映画『フリッパー』をバハマ諸島で撮影中のときのことだった。

(中略)

 私たちが水に入るとすぐにイルカたちは近づいてきて、二人の少年たちは母親イルカの背びれのうしろに乗れるようになった。母イルカは二人を乗せて海の深い方まで連れていくと、水中に潜ってみせたが、二人の息が切れる前に水面に上げてやり、また海岸の端の浅瀬に送りとどけた。(中略)その結果は映画『フリッパー』全編と、同じ題名のテレビの連続番組(邦題は『わんぱくフリッパー』)にうかがえる。こうしてアリストテレスの観察の正しさは証明されたのである。

 私たちは水中で人間に遭遇した現代のイルカが、二〇〇〇年前のイルカと同じ行動をとることを明らかにした。紀元前四〇〇年頃から一九六二年まで、イルカと人間の関係は変化していないのである。その間実に二〇〇〇年以上もの時間が経過しているのだ。アリストテレスのイルカについての学説は、海で本物のイルカを観察したことが基盤になっている。アリストテレスのイルカについての記述のほとんどが正しかったことが今世紀に入って確認されている。しかしそれ以前、彼の観察は疑いの目で見られていた。

 リリー博士の名は知らなくても『わんぱくフリッパー』を見たり聞いたりしたことがあるという人は珍しくないはずである。彼が作ったものと知ってショックを受ける人もいるかもしれない。

 後で見るように彼の思想は(それなりに)真面目な学問の世界にも少なからぬ影響を残したが、今日のガイア教にはむしろこうした大衆文化を通じて与えた影響の方が重要である。*1

 それにしてもイルカ・シャチのショー及びその映像に慣れ親しんでいる我々の感覚からすると、イルカに乗る人間が数十年前までファンタジーと見なされていたというのは、とても不思議な気分だ。我々は彼が作った*2世界の中で生きている。あまりユリカさんを笑えないようだ。

イルカのペニス

 少年たちがイルカに乗るところを自分の目で観察しておきながら、それを信じることができないなどというばかな話があるだろうか。こうした権威主義的な物の見方はいまでも横行していて、イルカについての研究を阻んでいる。

 十九世紀の終わりから二十世紀の初めにかけて、いくつかの水族館がイルカ類を飼育していた。ビクトリア期のイギリスではイルカのショーが禁止された。イルカの性行為を一般公開してはならないというのが禁止の理由であった。どうやらこのイルカたちは、今日水族館に入れられたイルカ同様にさまざまな形の性行為をしきりと見せたようだ。

 この記述だけで言うわけではないが、リリー博士のイルカの性に関する描写からは、彼が性的に自由奔放であることを「善い生物」の属性と見なしていることは明らかである。*3

 これもまた彼の属したニューエイジ的文化の特徴にフリーセックスが含まれていること(第24回)を踏まえていなければ意味不明になってしまうところだ。

 皮肉ではあるが、彼の言うとおり時代に応じて変わったのはイルカではない。ロンブローゾがかつてそうしたように(第23回)、そして我々が現在もそうしているように、人間が勝手に擬人化してその時々の文化的基準を自然・動物に投影しているのである。

 このことはまたリリー博士も時代の子であり、ただ単に狂っていたわけでも本当に異星文明からやってきたわけでもないことの傍証ともなるだろう。我々の倫理観はリリー博士のそれとは様々な点で違っているかもしれないが、ビクトリア朝のそれに比べれば、互いに遙かに似通っているのだ。

第二章 実験で得られた新学説

グレゴリー・ベイトソン

 セント・トーマスの研究所が完成した頃、人類学者のグレゴリー・ベイトソンがイルカの研究に興味を示してきた。ベイトソンはセント・トーマスへの移住に同意し、研究所の運営にたずさわった。(中略)ベイトソンは研究所に一八ヶ月間勤務して、三頭のイルカの行動を観察し、いくつもの重要な発見をした。

 グレゴリー・ベイトソンって知ってるか? ポストモダン界隈ではむしろリリー博士より有名な人物だ。彼はこのシリーズにそれほど重要な役割は果たさないが、そのベイトソンの妻はかの有名なマーガレット・ミードなのだ。

 後でもう少し詳しく取り上げるように、いわゆる「マーガレット・ミード的」な原始社会および性に関する見方は、世界中のリベラルな人々の間で広く受け入れられ、ピークはとうに過ぎたとは言え、現在もガイア教の重要な構成要素となっている。「世間は狭い感」(第23回)を感じてしまう場面である。

 『人間とイルカ』は一九六〇年に執筆された。アメリカで出版されたあと、この本は数ヵ国語に翻訳された。ロシア語訳はロシアの科学者や大衆のあいだで広く読まれ、漁業大臣が黒海とアゾフ海でのイルカの捕獲を禁止するほどであった。フランス語版(“L’Homme et Dauphin”)が出版されたことで、ロベール・メルルの『イルカの日』が生まれた。この小説はおそらく私たちの研究をもとに書き上げられたものである。その後、一九七〇年代になって、この小説はアメリカで映画化された。(中略)一九六六年、私は『イルカの心』を執筆し、私たちの研究の進展を詳しく述べ、多数の科学論文をも掲載した。

 いい加減信じてもらえるようになってきたと思うので言うが、リリー博士は当時、決して異常な例外でも孤立した狂人でもなかった。私が叩きやすい対象としてわざわざ可哀想な老人を捜してきて晒し者にしているわけではないのである。

 逆に、今まで私に対してこの程度の疑いも持っていなかった人はちょっと人が良すぎる。そんな人は今は私の意見に賛成してくれても、別の誰かに別のうまい話を聞かされたらまたコロッとそっちに転ぶに決まっているので、私にとってあまり有り難い読者ではない。(つづく)

*1:もっとも今回の文脈では学問と文化の区別は必ずしも明白ではないのだが。このことも、もう実例を見てもらって納得してもらうしかない。
*2:重要とは言えないまでも決して無視できない一部分を。
*3:仮にイルカが、長い婚約期間や複雑な求愛儀式を要求し、飼育下では絶対に交尾しないような「お堅い」動物(実際にそういう動物は珍しくない)だったらそのエピソードを同じように本で取り上げただろうか。もちろん憶測にしかならないが、私は否だと思う。

おまけ

 イルカ→ジャンプ→飛び込み

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2008 10/27

(今日の一コマ)

 歴史上存在した生物の由来に関する理論は、創造論と進化論のふたつだけというわけではない。

 もちろんそれは最も重要な境目には違いないが、『種の起原』が出版されたと同時にスイッチが切り替わるように前者が後者に置き換えられ、以後そのままであるかのような印象を抱いているなら誤りだ。

 それはあくまで第28回で少し触れたような、我々が歴史を理解しやすくするために必要な簡便法に過ぎない。

 実際には、生物学が聖書を捨て去ってから現代の進化論にたどり着くまでには様々な紆余曲折があった。その中で今回の話は、進化論の歴史に常につきまとってきた、今日でも完全に消え去ってはいない根深い一つの誤りに関係がある。

 なんだか大げさな話になってきたように聞こえるだろうが、そんなに身構えることはない。実はそのことに関する話はすでに大部分終わっているからだ。

 その間違いとは、第2回からずっと注目してきた2番目の存在の大いなる連鎖の時代の考え方、つまり「生命は下等な生物から始まって、より高等な人間を目指して一直線に進化の階層を向上してきた。」とする見方である。

 この人間中心の進化観では“万物の霊長”たる人間のような、大きな脳を持ち、高い知能と高度な精神を有する生物に到達することが、良いことであり、進化の目標であると考える。

 したがって、人間が属する哺乳類は“進化の進んだ高等な生物”であり、他の生物も、

  • 人間に似ているか?
  • 人間の祖先に系統が近いか?
  • 人間のように脳が大きいか?

 という基準に従って、鳥類・爬虫類・両生類・魚類の順でより“進化の後れた下等な生物”であると、一直線的にランクづけされることになる。

 では、一度も人間の先祖であったことのない鳥類は、なぜ爬虫類の上・哺乳類の下にランクづけされるのか?

 もちろん鳥類は、哺乳類と同じく爬虫類を祖先に持ち、人間の属する哺乳類と同じく温血だから、爬虫類より「高等」である。しかし、どう見ても哺乳類より脳が小さく頭が良くないので、哺乳類よりは「下等」である。

 現在の地球で最も多種多様な生態学的地位を占め、圧倒的な繁栄を謳歌している節足動物(昆虫*1など)が、なぜ魚類より下にランクづけされるのか?

 そりゃあ人間と類縁のかけ離れた、脳と呼べるほどのものさえ持たない虫けらだから「下等」に決まってるだろう。もちろん全く脳など持たない植物はさらに「下等」である。

 うむ、偶然だけど(笑)科学以前から人間が抱いてきた先入観ともピタリ一致するな。でも客観的な科学がそう言うんだから仕方ないね。これで安心、めでたしめでたし。

 ……とまあ、このような今日の視点からすると非常に人間中心的・目的論的で、単なる偏見と宗教的ドグマの影響を受けまくりの素朴な進化観は、意外に最近まで大手を振ってまかり通っていた。そして多くの社会政策にまでも直接・間接に影響を及ぼした。その一部はこれまでも見た通りだ。

 生物学が様々な技術・理論の進歩によって進化の本当の仕組みを知り、真の系統樹を突き止め、実際の生物界の多様さを理解するようになって、このような見方を脱却したのは、本当についつい最近の出来事なのである。

 このあたりの話は非常に面白くかつ重要なことなので、どんなに詳しく取り上げてもやり過ぎということはないのだが、それではいつまで経ってもここから先に進めないので、興味がある人は独自に勉強してほしい。私はここでリリー博士に戻ろう。

 さて、第一次(二次じゃないぞ!)世界大戦中に生まれ、歴史上第2と第3の存在の連鎖間の橋渡しを主導する役割を果たした彼は、もちろん自分自身の片足をまだこの第2の連鎖の考え方に突っ込んでいる。*2

 そろそろ次の展開が予想できるだろう。この言わば一つ古いバージョンの進化論に基づいて考え直せば、博士のイルカ・クジラに対する推論は、俄然違った色彩を帯びてくるのである。

(やる気がある人は次の段落に進む前に前回の引用部をもう一度読み直してこよう。)

 進化というのは人間のような大きな脳・高度な知能を目指して前に進むものである。したがって、人間よりも大きな脳を持つクジラ・イルカは、当然人間よりも知能が高く・進化の進んだ生物である。そしてクジラ・イルカより小さな脳しか持たない人間は当然クジラ・イルカより知能が低く・進化の後れた生物である。これは全く自明の単なる事実である。推論ですらない。

 「進化が進む」とは万物の霊長たる「人間に近づく」ことと同義である。したがって、近づくどころか人間以上の大きさの脳にまでに進化が進んでいるイルカは、当然話ができる。そうでなければおかしい。人間は話ができるからだ。イルカに話ができないように見えるとすれば、それは人間の方に知能が足りないからだ。*3全く自明の理である。そうでないなんてことはありえない。それは進化論に反する。

 イルカ・クジラは高度な思考や推論を働かせている。なぜなら人間はそうしているからだ。そうでなければ理屈に合わない。イルカ・クジラは高度な道徳や倫理を持っている。なぜなら人間が――鯨類に比べれば不十分とはいえ――そうだからだ。全く自明の(以下同文)。イルカ・クジラは口承伝承を子孫に教え込んでいる。なぜなら人間が(以下略)。

 どうだろう? あなたの想像力が十分なら伝わるだろう。このぞっとするような首尾一貫性が。自分の常識とまったく相容れない別の一貫した体系というのは不気味で怖ろしく感じるものなのだ。

 この恐怖と引き替えにいくつかの教訓を得ることができよう。

 まずひとつ目の教訓としては、イルカの知能なんて割とどうでもいい――と言ったらリリー博士には怒られるだろうが――話題ですらこんなにも不気味に感じるのだから、それが社会の安定・宇宙の運命・自分の永遠の魂に関することだったらどうかは、もう言うまでもないだろう。

 過去あるいは現在の宗教紛争がどんなに無茶苦茶で非道に見えたとしても、安易に「狂っている」だなんて言うべきではないということだ。(第8回)それは自分の想像力不足による思考停止の責任を相手に押しつけているだけだ。

 ふたつ目の、より重要な教訓は、人間の思考に対して働く時代精神の制約がいかに強力なものであるか、ということだ。彼ほど

「人類は人間中心のものの見方から脱却しなければならない! 人間だけが偉いという古い思い上がったドグマを捨てなければ人類に未来はない!」

 と熱心に説いた人もいないというのに、その彼の思想の前提となっていたのは、率直に言って今日のどこの中高生にも劣る、どうしようもなく人間中心的な生命観・進化観だった。

 なんともやりきれない話だ。*4これはガイア教が抱える多くの“ねじれ”の中でも最大のもののひとつで、リリー博士から学ばなければならないもっとも重要な教訓でもある。

 例によって、私たちがこうして「教訓を学ばなければならない」などと言って上から目線で見ていられるのは、21世紀の後知恵でハリネズミのように武装しているからに過ぎないということを忘れてはならない。

 こうした考察に接すると、義憤にかられ、人間であることに罪悪感を覚える科学者や篤志家もいることだろう。だが、この地球上でこうした現状を認識しているのはごく限られた人びとでしかないことを思えば、現状が変革されるとは思えない。十分な知識を備えた人びとはいくらかはいるだろうが、もはやクジラ類の殺戮を止めることはできないし、クジラ類との協調を図り、彼らとコミュニケーションを取ろうとする新プログラムに着手するとしてもいまとなっては手遅れである。

 本書はこうした著者の学説の基盤を説明し、現状を可能なかぎり詳しく報告しようとしたものである。著者としては、本書の内容が広く知られ、クジラ類とのコミュニケーションの研究プログラム発足の手助けになってほしいと思う。こうしたプログラムを組み立てれば、クジラ類の正体を明らかにし、その思考を解明し、彼らの話の内容を理解することができるようになる。プログラムの発足を公表し、研究結果を発表すれば、殺戮を止めさせることもできるだろう。その時になってはじめて、クジラ類を教育し、クジラ類から教えを乞うという人間の欲求が実を結んで、新しい学校や産業、政府が生まれることだろう。そこで本書では、現在までにわかっている事実を紹介し、人間とイルカとが種の違いを越えて将来協力し合うための指針を提案することにする。

 次の世代の人間が、異種間コミュニケーションこそは、おそらくは現在の地球が直面している最も偉大で高貴な試みなのだと認識してくれれば幸いである。現状を打破して、他の種の動物の思考、感情、行動、言語を理解できるようになることは、人間や地球の概念をも変える偉大で高貴な行為である。地球の表面の七一パーセントは、クジラ類の棲む海で蔽われている。いまこそこの地上の七一パーセントとのつきあい方を学習し、知性と感受性に富み、長い年月を生き抜いてきたイルカ・クジラ類となごやかに共生するすべを学ぼうではないか。

 これはちょうど前回の引用部の直後に続くものだが、我々よりリリー博士に生きていた時代が近く、21世紀の後知恵を知る術もないが、

 義憤・罪悪感・篤志・ごく限られた人びと・変革・新しい政府・偉大・高貴・打破・共生

 などという言葉は現在と同じく大好きだった当時の人々の耳に、この声がどのように響いたか、想像に難くないはずだ。山場は過ぎたもののリリー博士からはまだまだ学ぶことが沢山ある。(つづく)

*1:神学者から、生命の研究から読み取れる神の性質はどのようなものかと尋ねられた、生物学者J.B.S.ホールデンは「甲虫に対する法外な溺愛」と答えた、という有名なエピソードがある。
*2:他のどこに突っ込めというのだ? 創造論か?
*3:「彼らはおそらくかしこい。しかし、それを解明できるほど人類はかしこくない」
*4:ただし、別の、より楽観論的な見方をすれば「時代の進歩に応じてどこの中高生でも昔の天才以上になれる。」ということだから希望のある話と考えることも可能であろう。これはコップの水が半分しか入っていないのか、それとも半分も入っているのかというのと同じ話で、どちらかが正しくてどちらかが間違っているという類のものではない。

おまけ

 人類に未来はないつながり。

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2008 10/25

イルカと話す日

 ではまた『イルカと話す日』の続きから始めよう。次の部分はちょうど第29回の引用部分の直後に続くもので、ガイア教徒の鯨類に関する中心信条とでも言うべきものである。

 機会があれば後で実例もお目にかけるが、驚くべきことに――そろそろ驚かなくなってきていてもらえると嬉しいのだが――今日時点ですら、これをほぼそのまま信じている人は大勢いる。

 このような考察を推し進めていけば、イルカとクジラについての新しい学説が生まれる。

  1. クジラ類の脳の大きさは大小さまざまだが、最も小型の脳を持つクジラでも類人猿と同程度の思考力を持っている。
  2. 人間と同じ大きさの脳を持つクジラ類(ハンドウイルカなど)は、人間と同じ思考力を持ち、人間と同じ程度に過去と未来に思考をめぐらせて現状を判断することができる。
  3. 人間よりも大きな脳を持つクジラ類(シャチ、マッコウクジラなど)は人間を凌ぐ思考力を持っており、人間以上に遠い視野で過去や未来を見つめて現状を考えることができる。
  4. 現在の人間が共有しているクジラ類に関する知識は、あまりに不完全である。クジラ類の知性と思考力についての人間の知識は初歩的で不十分であり、クジラ類を絶滅から救う必要性についての認識も欠けている。しかも人間は、クジラ類が認識している地球環境の実態すら理解できずにいるのである。クジラ類がこうした認識を持っていることは、遠い昔に彼らが生き残りをかけて決断を下したことから明らかである。クジラ類は少なくとも人間同様に巧みに環境への適応を果たしてきたし、しかも人間が地上に出現してからの期間の少なくとも二〇倍もの時間を生き抜いてきたのである。
  5. クジラ類は繊細で豊かな感受性を持ち、倫理観にすぐれ、思慮深く、古代から伝わる「肉声による」歴史を持っていて、これを子孫に教えこんでいる。
  6. クジラ類の人間に関する知識は、海上で船舶やヨット、キャッチャーボートなどと遭遇したり、戦った経験に限られている。陸上で人間と接触したあと、海に戻ってきたクジラ類はきわめて少ない。したがって海の中での人間とのコミュニケーションや、人間に関する知識は不十分なものである。クジラ類が人間に関する知識を獲得するのは、捕鯨についての体験と情報交換、イルカの捕獲、海中での爆発、原油の流出、コミュニケーションの妨げとなる船舶の航行音とスクリュー音、潜水艦と戦闘機を使った海上での戦争によるクジラ類の殺傷などの事柄を通じてである。
  7. クジラ類は人類が非常に危険な存在だということを知っている。こうした考えを持っているために、クジラ類はたとえ極端な挑発をされても、倫理的に行動し、人間の身体を傷つけたり、破壊したりしない。もしクジラやイルカが水中で人間を傷つけたり、殺しはじめるようなことがあれば、彼らは間違いなく、人間が海軍を使って、捕鯨産業よりも素早く自分たちを滅ぼそうとするだろうと考えているのである。
  8. したがって、クジラ類は断片的ではあるが人間についての知識を持っており、その知識を使って直接的な体験から理論を引き出し、推理を働かせていると思われる。またその推論の方法は、人間がクジラについての知識を形成するやり方と同様であると考えられる。文字や具体的な記録を持たないにもかかわらず、クジラ類はおそらくその巨大な脳のおかげで、並外れた記憶力を持っており、記憶を統合する能力は人間並みかそれ以上のものがあるのである。
  9. 古生物学上の証拠を見れば、イルカ・クジラ類は人間よりもはるか以前から地球上に生息していたことかわかる。イルカ(現在のハンドウイルカ)類はおよそ五〇〇〇万年前に地球上にあらわれ、脳の大きさも現在の人間並みかそれを上回っていたようだ。特定の種類のクジラやイルカの脳が、現代の人間と同等の大きさに達し、それを上回るようになったのはおよそ三〇〇〇万年前のことらしい。ヒトの頭蓋骨で、現代人と同じ脳容積を持ち、完全な形で多量に見つかるのはわずか一五〇万年前のものである。つまり、人間は地球上ではいまだに進化の過程にある新参者であることがわかる。人間はクジラ類ほど長期にわたって地上に生息することはできないかもしれない(しかも人間は次の世代かその次の世代でクジラ類を絶滅においこんでしまう可能性すらある)。

 ……ううむ、なんとも凄まじい推し進め方だ。確信者にしか持ちえないこの圧倒的なパワー、何度読んでも目眩がしそうになる。

 私が、初心者をいきなりこれに触れさせることを危険と判断し、シリーズの最初の方に持ってこなかった理由を、少しは理解していただけるようになってきたのではないかと思う。

 もちろん21世紀の後知恵でもって、これをバカげた妄想と斬って捨てるのは容易い。しかし、それでは重要な歴史の教訓を見逃すことになるし、彼が後世に与えた影響力について正しく認識することもできない。*1またかなり長くなると思うが、しばらくこれに真剣に取り組まなければならない。

 リリー博士の思想には、この本の上記部分以外にも、他の本にも、

「イルカ・クジラは人間よりはるか以前から地球環境に適応して暮らしてきた、進化の進んだ先輩であり、進化の過程にある新参者の人間が教えを請うべき存在である。」

 という見解が繰り返し繰り返し現れる。これは一体どういう意味なのだろう?

 私は、ここでは読者に中学の理科程度の知識しか前提として期待するつもりはないので気楽に答えてほしいのだが、おそらく意味不明だと感じるはずだ。*2

 「人間は進化の過程にある」ことまでは認めてもよかろう。(そうでない生物がいるとでも?) しかし、新参者とか先輩というのは一体なんなのだ? 普通*3の進化に関する理解では、

 ひとつ、今日生きている全ての生物――異星文明からやってきたというリリー博士を例外とすればだが――は、全生命の共通祖先から始まって同じ*4三十数億年間の進化をして現在に至っている。どちらかが、たとえ一日でも進んでいるとか後れているとかいうことはありえない。

 ふたつ、今日生きている全ての生物は、全て自らの生きてきた地球環境に適応してきた。適応できなかった生物は死んで、もういない。進化というのは突き詰めればそれだけのものだ。*5

 「ある生物がある期間、特に進化しなかった」ということは、単に「その生物がその期間、特に進化を起こすような淘汰圧に晒されなかった」というだけのことでしかない。

 みっつ、5000万年前とか3000万年前とか150万年前とか、あるいはどんな数字であろうとも、それはたまたま発見された、特定の化石の年代を元に人間が決めた、人為的な区切りであるに過ぎない。

 イルカやクジラがこんな姿をしていた4,5千万年前にも人間の祖先は(多くのサルとの共通祖先として)暮らしていたのだし、「人類が地球に現れたのはつい最近(あるいは大昔)の△△△万年前である」というような言い方は、全く恣意的なものに過ぎない。

 人類進化の研究において便宜的に区切りをつけなければならないという文脈ならばともかく、全く系統の異なる鯨類と比較してそのようなことを言っても、話者がそのように見たがっている、という以上の意味はない。

 たとえば、彼の研究当時、ルーシーはまだ発見されておらず、アウストラロピテクスは初期人類として理科の教科書に載ってなどいなかったが、その発見によって、人類は以前よりクジラを尊敬する度合いを減らしてもよくなったのか?

 仮に、明日アウストラロピテクスが人類の祖先でなかったと判明したら、明後日からもっとクジラを尊敬しなければならなくなるのか?

 5000万年どころか、何億年も形態を変えずに生きてきたシーラカンス・カブトガニ・ゴキブリ・バクテリア*6に教えを請わないのは、彼らのあまりにも偉大すぎる調和は人間ごときには畏れ多いから、クジラ程度のしょぼい調和で我慢しとけってことなのか?

 馬鹿な。このような議論をいくら続けても意味がない。明らかに間違っている。私たちの彼に対する理解が、だ。

 リリー博士はどこからどう見ても進化論否定論者ではないし、未来の弟子と違ってイルカがシリウスからやってきたなんて考えていないし、自分に関しても少なくとも肉体は進化してきたものであることを否定したりしていない。

 ならば、これらの基本的な事実については、程度の差はあれど私たちと同様に認識していたはずなのに、どうしてまるっきり話が通じないのか? 概ね同じ知識を元に全く異質な結論にたどり着くとしたら、違っているのは途中の過程である。

 私はこれから、このような現代の常識からはどう見ても狂っているとしか思えない考えに、当時はそれなりの、おそらくあなたの想像以上の整合性があったことを示そうと思う。

 答えから言ってしまうと、実は、当時のリリー博士が前提として考え・話している進化論は、今日中学・高校で教えられている進化論とは実際にかなり異なったものなのである。(つづく)

*1:それができないと結局それを埋め合わせるために、あるはずのないものを探して、また食肉業界がどうとかCIAがどうとかいう陰謀論にはまることになる。
*2:もし「わかる!」という人がいたら自分はいささかヤバいことになっていると気づいていただきたい。まだ間に合ううちに。
*3:この言葉を使うときは、いつどこの誰にとっての“普通”なのかよくよく考える必要がある。
*4:厳密に同じ! このことにはトンデモでない畏敬の念を持っても許されると私は思う。
*5:だから生命から意味が奪われるのを嫌がる創造論者は「適者生存などというのは何も意味してないトートロジーだ!」と言って進化論を否定したがる。なんでそれで否定したことになると思えるのか正直よくわからないのだが。
*6:あまり関係ないが、スティーブン・J.・グールドは「地球は過去も現在も未来もバクテリアの惑星である」というような言い回しを好んだものだった。

おまけ

 魚類つながり。神ゲー海腹川背の神プレイ。

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2008 10/20

(今日の一コマ)

 前回で、ついに“脳”を介して歴史上の三つの大いなる存在の連鎖が全て一本に繋がるところまで来た。いい機会なので少し俯瞰してまとめてみよう。

 いつの時代も――少なくとも何万年という長きにわたって――ずっと変わらないものがある。それは、自分と自分たちの共同体が、宇宙の中で特別の歴史を持ち・特別の使命を帯び・特別の地位を占めていると信じたい人間の心である。

 しかし、それは直接目に見えるものではないので、もっと変化しやすい物事を通して間接的にしか現れない。それはある時代には、

  • 我が部族は大地の誕生と同時にその裂け目から飛び出た偉大なる雄牛の子孫である

 というような神話の形をとって現れ、またある時代には、

  • 全能の父なる神が御自身の姿に似せてアダムとイヴを創られた

 という宗教の形をとって現れ、またある時代には、

  • 生命はアメーバから人間に向かって一直線に進化の階層を駆け上がってきた

 という学説の形をとって現れ、またある時代には、

  • 人類は進化史上のある時期イルカやクジラと仲良く水の中で暮らしていた

 という珍説の形をとって現れるのだ。*1

 今日の鯨類に、時に人間以上の地位にすら登るという離れ業を可能にさせたのは、もちろん単一の要因などではなく、すでに言及したこと・まだ言及していないことを含め、必然・偶然の様々な要素がロイヤルストレートフラッシュのごとく絶妙に噛み合った結果である。

 しかし、その中でも一番重要な絶対不可欠の要素が“大きな脳”であったことは、間違いないと言ってよいだろう。

 脳科学神経科学は、半世紀前とは比較にならないほど進歩した*2今日でさえ、まだまだ発展途上にある。十分満足できる信頼のおける情報が与えられているとは到底言えず、いまだ半世紀前と同じく理性と神秘の境界線上に載ったままである。

 それゆえ、脳の写真には今日にもいまだ「魔力」がある。(参考)21世紀の人間にとってさえもそうであるのなら、リリー博士をはじめとする当時の人々がこの「魔力」の前に為す術もなかったとしても、いったい何が不思議なのだろうか。

 リリー博士の生まれた時代に注意を向けるように以前伏線を張っておいたが、1915年といえば第一次大戦中だ。ヒトラーが伝令として戦場を駆け回っていた頃だ。

 リリー博士は脳をこの世で最も精妙な装置と表現したが、その脳について確実にわかることといったら、限度を超えた力でぶん回せば豆腐みたいに潰れるというぐらいのことだった。(そうでない物体があるとでも?)

 彼が脳について定量的に何か言うために使える基準は、19世紀の学者達にとってそうであったのと同じように、容積ぐらいしかなかった。それ以外にできることといったら、顕微鏡で脳細胞を覗いてほとんど違いがない*3と確認することぐらいだった。

 さて、ここで何にでも優劣をつけたがる人間の性向に迎合して、あえてどちらかが狂っていると決めなければならないとしたら、狂っているのはどちらだ?

 時代精神に則って自分の想像力を少々飛躍させただけのリリー博士か? それとも、現在の自国の常識がいつでもどこでも通用すると思っている我々現代日本人か? 個人的には断然後者の見方を支持したいね。(つづく)

*1:これは私見だが、どうもある時期から一方的にしょぼくなっていくばかりみたいだな。この凄まじい喪失の埋め合わせが、誰かをナチ呼ばわりしたり・漁網を破ったり・酪酸をぶつけたりする程度で済んだら、奇跡に近い僥倖だと思わないか? 私は自分をほとんどあらゆる事柄に対して楽観論者だと考えているが、奇跡を期待する気にはなれないのだ。
*2:余裕があったら、wikipediaに記載されている知見・研究手法の中で、当時のリリー博士に利用できたものがどれだけあるか数えてみると面白いだろう。
*3:当たり前だ。細胞が顕微鏡で見て一目瞭然に違うようなら、イルカはシリウスから来たという主張を真面目に検討しなければならないところだ。

おまけ

 ヒトラー→独ソ戦

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2008 10/13

(今日の一コマ)

 しばらくの間、全く無関係ではないとはいうものの死刑問題に浮気していたり、やっぱりもうちょっと年代順を続けた方がわかりやすいかと思って構成を変更していたりと色々事情があってずっと停止していましたが、そろそろガイア教シリーズを再開しようとしています。

 しかし、やはり最速でも週一・週二ぐらいしか更新できないので、待ち時間に使えるクイズ集を作ってみました。これは学校の試験ではありません。正解を出すことよりも自分で考えるのが目的です。本編の展開にもよりますが、問題によっては最後まで答え合わせがないかもしれません。

 問題の難易度も、ググれば一発のものから、出題者の正気を疑うところから始めないとどうにもならないものまで様々です。必ず正解を出さなければいけないなどとは思わず、わからないならわからないなりに考えることを楽しんでください。

 他人の答えを見てからでは意味がない問題も多いので、回答はここのコメント欄に書いたりはしないでください。私に見せたい人はメールでください。メール欄は左下にあります。シリーズはまだ最低でも数ヶ月は終わらないので、慌てずゆっくり挑戦してください。

第1問

 いわゆるガイア理論を世に問うた最初の本、ジェームズ・ラヴロック『地球生命圏 – ガイアの科学』の日本語版翻訳者スワミ・プレム・プラブッダさんはどこの国・地域の人?

  • インド
  • ネパール
  • チベット自治区(中国)
  • 日本
  • アメリカ

第2問

 『イルカと話す日』巻頭のエピグラフにある2つの引用句。ひとつめはアインシュタインの言葉です。ふたつめの出典を予想してください。検索その他調べ物は禁止です。ドンピシャで当てるのはエスパーでもない限り無理なので、方向性さえ正しければ正解とします。

第3問

 いわゆる白人国家でも、いわゆるキリスト教国でもない国の中で、最もガイア教が盛んな国はどこでしょう? 検索その他調べ物は自由です。

第4問

 次の職業に貴賎をつけ、尊い方から卑しい方に向かって順に並べなさい。

  • 農夫
  • 猟師
  • 漁師
  • 木こり

第5問

 ヨーロッパ人になったつもりでもう一度答えてください。日本人読者を想定しています。もし読者がヨーロッパ文化圏の人間である場合は、前問の答えをこちらに写し、前問を日本人になったつもりで答えてください。

  • 農夫
  • 猟師
  • 漁師
  • 木こり

第6問

 キリスト教のミサでは、神父はどんな動物を殺して生贄に捧げ、どんな薬物を使ってトランス状態に入り、どんな呪文を唱えて雨を呼びますか?

第7問

 日本神話『山幸彦と海幸彦』の兄弟ゲンカ。勝ったのはどちら? ただし、知らない場合は調べずに「知らない」と解答してください。

  1. 山幸彦
  2. 海幸彦
  3. 知らない

第8問

 前問で「知らない」と答えた者は、知らないなりに、どちらが勝ったと思うか予想して答えてください。知っていた人は「もし知らなかったらどちらが勝ったと予想したと思うか」を想像して答えてください。

  1. 山幸彦
  2. 海幸彦

第9問

 第12回で取り上げた『クジラの歌が聞こえる』のクレアが病院で目覚めて以降の結末部分を換骨奪胎して、日本人好みに書き換えてください。一字一句書き換えなくても「大体こんな感じ」程度でよいです。鯨の竜田揚げ食わせろと言っているわけではありません。変えるのはニュアンスです。内容まで変えてはいけません。

第10問

 肥満や糖尿病の蔓延する社会を是正するため、ケーキ屋さんが国会議員になったり議員がケーキを食べたりするのを禁止したいと思います。どう思いますか?

第11問

 このシリーズの主人公と言うべき生物はもちろんクジラ・イルカですが、それに次ぐ、シリーズの副主人公とでも言うべき立場の生物は何になるでしょう? ただし、「人間」という答えは除きます。

第12問

 第25回で予告したプロのガイア教徒4名。その最後の一人の著書の中で最も厳しい調子で非難されている国が2カ国あります。うち一国は日本ですが、もう一国はどこでしょう?

第13問

 第17回の「ニューイングランドという地名との誰も予期できないような意外な形での再会」。無理だと思いますがどんな形での再会か予想してみてください。

第14問

 リリー博士の後で、彼らとその仲間たちのトンデモに騙された著名な科学者・作家とその言動を織り交ぜて紹介していこうと思っていますが、それに誰が含まれているか3-4人程度予想してみてください。

第15問

 そんな考え方をする必要はないですし、するべきでもないと思いますが、あえて単独の組織を反捕鯨精神の中枢と考えなければならないとしたら、どこだと思いますか?

第16問

 今から30分間、理性の働きを全て停止し、本能のままに見聞き・思考し・行動してください。安全確保については自己責任でお願いします。

第17問

 あなたは神です。(おおむねユダヤ・キリスト教的な唯一神教の神を想定してください。)ぶっちゃけ、今の世の中、どうですか?

第18問

 旧約聖書の創世記で一番最初に名前が出てくる動物は何?

発展課題

 次の物事について調べて、思うところを述べてください。

  • カトリックで聖人を認定するための手続き
  • 「ラプラスの悪魔」あるいは「ラプラスの魔」と呼ばれる概念
  • くじら座(星座)

アンケート

 「はい」・「いいえ」で答えてください。回答がない場合は全て「いいえ」として取り扱います。

  • あなたの回答内容を今後のシリーズで引用するなどの利用をしてもいいですか?(「はい」と答えてもするとは限りません。)
  • はいと答えた人は、その際ハンドルネームを出してもいいですか?(「はい」と答えても出すとは限りません。)
  • あなたの回答内容に関してシリーズの進行を待つだけでなく、メールで何らかの返信を望みますか?(「はい」と答えてもできるとは限りません。)

ついでのお願い

 後半の息抜き用と単なる趣味で「サブカルチャーに現れたガイア教的要素」を収集中です。なにか知っていたら教えてください。(例:『絢爛舞踏祭ザ・マーズ・デイブレイク』というアニメにイルカがクルーとして登場するらしい。)日本以外でもよいです。

おまけ

 ゆっくり考えていってね!!!

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