2011 7/16

(本文とは無関係)

 やねうらおさんのところで知ったコネクト6が面白い。

 アプリが現時点で無料だったので、iPad2でしばらくやってみたが、確かに、五目並べの欠点を克服し、かつ醍醐味を保存した、見事な改良だ。

 今度、五目並べをやるような機会があったら代わりにやってみることにしよう。もっとも、もうかれこれ十年以上、五目並べをやった覚えなどないのだが。

おまけ

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2010 11/21

レッド・デッド・リデンプション【CEROレーティング「Z」】

 西部劇版グランド・セフト・オートと聞いて直感的に面白そうだと思ったので、プレイしてみた。

 GTAをちゃんとプレイしたことは一度もないが、動画などでそれなりに知っていて、確かにすごいゲームだと思っている。しかし、GTAには「犯罪」というテーマにつきまとう後ろめたさという重大な欠点があった。

 もっと盗みまくり奪いまくり射殺しまくって、なおかつ後ろめたくなければサイコーなのだが、そんなゲームはできないものだろうか?

 もちろん、これはあからさまに矛盾した要求であり、絶対に不可能に思える。GTAは盗みまくり奪いまくり射殺しまくるから楽しいのであり、盗みまくり奪いまくり射殺しまくるから後ろめたいのだ。この二律背反は宿命のようなものではないか。一体どうしろというのだ? 

 しかし、それは可能だった。舞台を現代の都市から、西部劇にしてしまえばいいのだ。真に優れた解答は、しばしば後知恵で考えると最初からそれしかなかったような当然のものに感じるが、まさにこれはそのような解答だ。

 西部劇だから銃を撃ちまくり悪党どもを射殺しまくって死体から金を分捕っても大丈夫。西部劇だから馬を盗んでかっ飛ばして人をはねてもそんなに気にしなくてよし。西部劇だからキャラに政治的にヤバそうなことを言わせてもやらせても大丈夫。

 時間が無限にあるものならゆっくり実況動画でも作ってみたいと思わせる良作であった。もちろんそんな暇はないのでほぼメインストーリーのみのクリアでやめるが。

 ここからは購入を考える人へのアドバイス。銃・馬・西部劇が好きで、アメリカの広大な景色の中を馬でパカパカ走り回って鹿でも撃ってれば幸せという全米ライフル協会的な人間には神ゲー。私は別にどれも好きではないが、それでも十分良ゲー。

 ローカライズはきちんとされているが、やはり洋ゲーは洋ゲー。ストーリーは和ゲーの基準では、あってないようなもの。クセの強いキャラ達の、ウィットに富んだ映画風の会話を楽しむのがメインと割り切るべし。

 ほんのアクセントとして牛を追ったり、列車に乗ったり、トロッコを押したりするものの、ほとんどは適当な理由で「ヒャッハー!人間狩りだー!」を繰り返すだけで、各種チャレンジ・ミニゲーム・やり込み要素もおまけ程度である。

 またメインストーリーでは主人公が善人固定なので、悪人プレイは「やろうと思えばできる」というおまけ程度のものと思った方が良さそうだ。GTA基準で悪行三昧したい、という人には向かないかもしれない。

おまけ

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2010 9/6

(本文とは無関係)

 突然思い出した。中学の頃考えてよくやっていた、百人一種を使った2人〜4人程度の遊び。基本的なルールはオーソドックスな坊主めくりである。しかし、札が表向きに並べられる

 「それじゃ意味ないだろ」と思うだろうが、もちろんそれだけではない。山札が複数に分けて積まれる。並べ方もいろいろあるが、基本的なのは単に25枚ずつ4つの山にする積み方。

 そして、プレイヤーはどの山から取るか選択できる。これによって運の要素も適度に残るものの、かなりの戦略性が生まれる。

 たとえば、坊主が見えていたら避けることができる。坊主の山からは取られにくくなる。皆が他から取っていくと、やがてその山にも坊主が現れる。いずれ全ての山が坊主で埋まる時が来てしまう……。

 また姫が見えてもいても場に札がなければ温存することができる。しかし、姫が見えている時に、わざわざ坊主を取ってくれるバカがいるわけがない……。

 やってみるとわかるだろうが、残り1,2周の終盤になると、順番の回り・坊主・姫の残り枚数を巡って、詰将棋のような高度な戦略が生まれてくる。勝とうと思ったらカウンティングは必須である。

 私が好きだった並べ方は、10枚ずつの束を10個作り、1段目に4つ・2段目に3つ・3段目に2つ・トップに1つとピラミッド状――上から見たボウリングのピン状と言ってもよい――に並べるやり方。

 この並べ方の利点は、見た目がよいこと。最初の10枚は選択肢がないので肩慣らしに良いこと。脇から半分だけ見えている札が、カウンティングに微妙な影響を与えてくれること。10ずつの山の最後の一枚を取るにつれ、選択肢が広がっていく感じが面白いこと。

おまけ

 これで思い出した。

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2010 5/27

要するに (河出文庫)

 山形浩生のエッセイ集。話題自体はやや古くなりかけているが、内容は別に古びてはいない。

 今回「おっ?」と思ったのはここ。

 さて、たぶん実際の世の中の制度設計というのも、このゲームの「おもしろさ」を考えるのと同じことだろう。ゲームも、まったくの自由放任では成立しない。なんらかの制度(つまりルール)があって初めて成立する。でもがちがちに規制しまくっては、ゲームが硬直する。(中略)万人による、さまざまなゲームの総和を考えたとき、最大限の「おもしろさ」を保証する制度ってどう考えればいいんだろうか。

(P286-287 制度設計と「おもしろさ」)

 上記エントリで私が、ゲームデザイナーの才能に一番近いのはあえて言えば立法者の才能ではないか? などと言っているのは、これと同じ話だ。

 しばしば訳書を好意的に取り上げてきたが、やはりこの人とは思考回路が近いらしい。他の著書も当たってみよう。

 ちなみに『山形道場』という本の文庫化らしいので、そちらを既読の人はかぶらないように注意。

参考リンク

おまけ

 これが十分コンテンツになるんだから今ゲームって難しいわな。

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2010 5/24

(本文とは無関係)

 ついさっきこんなアイデアが降ってわいたのだが、実際に遊べるだろうか? twitterやチャット・BBSなどでリンクを投げ合って遊ぶことを想定。

基本ルール

 2人あるいは2チームで遊ぶゲームです。追いかける「鬼」と逃げる「人」に分かれます。

  1. まず人は自分のスタートするページを好きに選びます。
  2. 鬼はそのページから、1つの内部リンクを指定します。
  3. 人は指定されたページに飛んでまた1つの内部リンクを指定します。
  4. 以後繰り返します。

終了条件

 一度指定したことのあるページは、その勝負中二度と指定できません。指定できるリンクがなくなったら追い詰められたと見なされ捕まります。

 鬼はできるだけ早く捕まえられるよう逃げ道がなくなるような選択をし、人は捕まらないようにできるだけ逃げ道が広くなるように選択します。

ルールの補足

  • リダイレクトですでに通ったページに飛ばされた場合は選択し直し。まだ通っていないページに飛ばされた場合はそこを選択したものとして続行。
  • 選んだ項目がまだ存在せず編集となる場合は、その選択は無効となりもう一度選択し直します。*1
  • もちろん勝負中に意図的にページを編集するのは禁止。
  • 内部リンクとは以下のようなものを除く、記事内のリンクをたどって他のwikipediaのページに飛べるリンクを指す。
    • 上または左のメニュー内のリンク
    • 目次
    • 注釈
    • [編集]
    • 要出典
    • ISBN
    • 外部リンク

*1:リンク先のURLをよく見れば飛ぶ前にもわかります。

おまけ

 鬼つながり。ラビさんおもろすぎる。

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2009 12/23

 という、FF13が一本道だというニュースを見ていて、昔、

 という記事を書いたことを思いだした。

 後でFF13について何か書くときに言及しようと思い、備忘のためにはてブをつけておいたら、Nao_uさんに拾われた影響か、新しく何か書く前に30ブクマついてしまった。こういうことってあるんだな。

 いや、別にだから何だというわけではないのだけど、初めての経験なので記録しておく。ちなみに画像はとある櫻花の画像生成より。

おまけ

 とある筋では有名なタイトル。

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2009 4/19

デッドライジング Xbox 360 プラチナコレクション【CEROレーティング「Z」】

 PCのモニタでプレイできるようにするなどしたおかげでようやく普通に一回クリアまでプレイできた。かなりの名作だと思う。

 そもそもゾンビという概念は偉大な発明であった。それは、

  1. 死後
  2. 殺人
  3. 食人

 という、およそ性を除いた世界の主要タブーを一発で崩壊させる。させるだけではない。たださせるだけなら誰でもできるが、そうしてもなおアングラにならずにいられる。

 また群れると怖いが個体としては非常に弱いモンスターであるため、日常感が失われず「俺ならこうするのになあ」というゴジラやターミネーター相手では不可能な感情移入ができるという利点がある。

 しかし、ゾンビはゲームという媒体には向かない大きな弱点が3つあった。

  1. 動きや見た目の生理的な気持ち悪さを表現しづらいこと
  2. 群れを表現できないこと
  3. ゲームにはボスが必要なこと

 1,2は単純にスペック的な問題なのでわかると思うが、3は説明がいるだろう。ゲームというのはシステム上どうしてもザコとボス、弱い敵と強い敵が必要だ。弱い敵がゾンビなら、強い敵は何か? 強いゾンビか、強いゾンビ以外のモンスターだ。

 ゾンビ以外のモンスターなら当然だがもはや(少なくともその部分は)ゾンビゲーではない。強いゾンビだとしても、弱いが故のゾンビ最大の魅力、「俺ならこうするのになあ」という妄想可能性が失われる。

 ゾンビゲーとして超有名な『バイオハザード』はハードがPSになったことによって1を克服したが、2,3はクリアできなかった。一度に登場できるゾンビは1では確かせいぜい2,3体だったし、中盤以降の敵やボス敵は皆ゾンビではなかった。

 だが同じカプコンの作品であるデッドライジングは、ハードがXbox360になったことによって1に加え2を克服した。これだけでも大進歩だが、ボスを全員人間(サイコパス)にすることによって3も克服した。

 近代ゾンビの概念を確立したのはジョージ・A・ロメロの一連の作品であるが、中でもショッピングモールを舞台とする2作目の『ゾンビ』は消費社会や人間性への皮肉が効いていて飛び抜けた傑作とされている。

  1. ショッピングモール丸ごと占拠
  2. 一番の敵は人間

 デッドライジングはこのふたつの要素をそこに立ち返って持ってくることによって、ついにゾンビ映画の魅力を完全にゲーム化することに成功した。

 実質的に映画『ゾンビ』のゲーム化だとして訴訟になりかけたようなことがwikipediaに書いてあるが、大人の事情は置いといて、プレイヤー視点では素直にその通りだと思う。

おまけ

 ゾンビ映画のメイキングみたいな。(ゾンビ映画相当のグロ注意)

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2009 2/3

脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ

 突然ですが問題です。次のふたつの言葉は、一方が基本的な攻撃呪文で、もう一方が基本的な回復呪文です。どちらがどちらでしょう? すでに答えを知っている人は知らないつもりで答えてください。

  • ディオス
  • ハリト

 わかりましたか? では続いてもう一問。やはり一方が基本的な攻撃呪文で、もう一方が基本的な回復呪文です。どちらがどちらでしょう? 答えを知らない人はいないような気がしますが、一応知っている人も知らないつもりで答えてください。

  • ギラ
  • ホイミ

 さあどうだろう。実は最初の問題はウィザードリィの魔法で、ハリトが攻撃魔法、ディオスが回復魔法なのだが、知らなかった人の正答率は半々にしかならないのではないだろうか。もしかしたらちょっと下回るかもしれない。

 対して、後の問題はもちろんドラクエの魔法である。知らない人はほぼいないと思われるが、ギラが攻撃魔法でホイミが回復魔法だ。たとえ知らなくても間違える人間はほとんどいないことに、あなたは同意できるだろう。

 しかし、なぜそれがわかる? 知らない人間がどう思うかなんて、普通に考えたらわかるわけがないだろう? それが今回の主題。このような現象は、

 と呼ばれている。

 数字の桁数の件もよく似た構図だが、要するに魔法をCGで視覚的に表現することができなかった時代に、共感覚的なものでそれを補おうとした工夫なのだ。こうした工夫の積み重ねが今でもドラクエブランドを支えている。

 だからなんだというわけでもなく、立て続けにドラクエの記事脳の記事がヒットしたので、合わせてみたらどうなるかなと思っただけなのだが、FF13(公式:音注意)がCGを極限に突き詰め、DQ9はDSで出るという戦略は、基本的に正しいんじゃないかな。

おまけ

 いまだにゲームと言えばドット絵しか思い浮かばない私。

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