- イントロダクション 料理にまつわる仮説
- 第1章 生食主義者の研究
- 第2章 料理と体
- 第3章 料理のエネルギー理論
- 第4章 料理の始まり
- 第5章 脳と食物
- 第6章 いかに料理が人を解放するか
- 第7章 料理と結婚
- 第8章 料理と旅
- エピローグ 料理と知識説
中国神話の燧人(すいじん)氏は、人に初めての「火食」を、つまり、木をこすり合わせて火をおこし、食物を加熱することによって、生臭さを除き食中毒を防ぐことができることを、教えたという。これによって人は鳥獣と異なるものになり、ついには天意に適うものになったのだという。
非常に大づかみに言えば、この神話は人類進化史上の事実をかなり正確に言い当てているのではないか、という仮説が提示されている本である。
現生人類は、その祖先や進化上の親類である類人猿に比べて、歯や顎が小さく、噛む力も弱い。外から見える特徴だけではなく、内臓に占める消化吸収器官の割合も小さい。そうなった理由はもちろん、比較的に小さく・軟らかく・消化効率の良いものを食べているからだ。
小学生の頃に読んだ学習マンガで、小さくなって口から入って消化器官の中を冒険する話があった。その中で、人体の中で最も頻繁に更新される細胞は、小腸の微絨毛の表面であるというトリビアを得た。
その知見が今でも通用するかどうかは知らない。しかし、おそらく正しいだろう。飲み食いした様々な物質――常に良いものとは限らない――が通り過ぎていくだけでなく、そこから有用な栄養分を常に効率よく吸収できるようにメンテナンスされていなければならないからだ。
小腸は、エネルギーを取り入れる器官であると共に、大量のエネルギーを消費する器官でもあるのだ。消化器官を小さくすることで、エネルギーを大量に節約でき、そのことが他のエネルギーを消費する器官、すなわち脳の巨大化を可能にする条件だったかもしれない。
現代では、栽培植物や家畜動物そのものも軟らかくなるように品種改良されている。とはいえ、その効果を含めてもなお、最終的に口に入る小さく・軟らかい食物は、圧倒的に料理≒火によって可能になっている。
まったく火を使わない食物だけ食べて暮らしている人は誰もいない。火を使わない民族はいないし、料理しない民族もいない。現生人類が火を使わない食事だけで生命を維持するのは、(火以外の)あらゆる現代文明の力を借りてさえ、極めて困難なようだ。最近まで全く不可能だったろう。
人類は、火を使うようになってから現代までの間に、火を使うという文化が存在するという環境に適応して、進化したことになる。その過程で小さな歯や顎、消化吸収器官を進化(あるいは退化)させた。代わりに焦げの発癌性への耐性などを進化させている可能性がある。
人類が火を使い始めたのはいつからか。『アシモフの科学と発見の年表』では50万年前になっていたが、最近はもっと古いと思われているようだ。160万年ぐらい前まで、もしかしたらそれ以上に、さかのぼる可能性があるらしい。
今までよく考えたことはなかったが、火の継続的な使用の開始と料理の開始が、時間的に大きく離れていたはずがないという指摘は、言われてみればもっともだと思われる。
また料理の必要性が、社会性や男女の分業などを促進したのではないか、というあたり、まだまだこれからの仮説と思われる。しかし、全体として非常に重要な指摘が詰まった本であることは確かだろう。人類進化もので久しぶりにかなり面白かった。
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おまけ
料理つながり。炎の妖精も出てくるし。それにしてもひでえカオス。
by 木戸孝紀
tags:考古 書評 進化 人類
当たり前だと思うかもしれないが、人間はマラソンができる。誰でもというわけではないにしても、鍛えれば42.195キロ以上走ることができる。
そんなことができる類人猿は、人間以外にはいない。人間は投擲力に優れているという話は前にもあったたが、持久走力も大変優れているのだ。
ところが「人間は精神的に優れた動物であり、代わりに肉体は貧弱で非効率的である」という根拠のない伝統的偏見が根強く、なかなかそのような事実は意識されていない。
仮に科学が、もっと自分たちの肉体の素晴らしさを強調するような文化の影響の下に進んでいたら、このあたりの歴史はかなり違っていたのではないかと思われる。
この持久走力は、狩猟への適応であると思われる。狩られる者としての適応をもっと重視すべきという意見(参考)を考慮に入れたとしても、現生人類が高度な適応を遂げた狩猟者であることは変わらない。
長時間追跡する狩りをすることが、将来を予想することなどの精神的な進化にも重要だったのではないかと臭わせており、これはさすがに飛躍しすぎではないかと思った。
しかし、『飛び道具の人類史』で、投擲への適応が結果を予測することなどの精神的な進化にも影響を及ぼしたのではないかという意見を読んだときには、必ずしも飛躍とは感じなかった。
後者を受け入れるなら、必ずしも前者を否定することはできないような気がする。
もしかして、人間的な知性の進化には、持久走的な狩りをし、かつ投擲を重要な武器とする動物、という条件が必須だったなどということがありうるのか?
後知恵の理屈すぎると思う反面、やはり否定する根拠は何もないように思える。むしろ、知性の進化が必然ではない理由を解明するヒントが、このあたりにあったりするのかもしれない。
全体的に面白かった。同著者の他の本も読んでみたくなった。
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関連書籍
おまけ
人はなぜ走るのか。う〜ん、哲学。
by 木戸孝紀
tags:科学 進化 人類 生物
ここしばらくヒューマン・ユニバーサルの話題を並べていたのは何故かというと、ちょっと前に見かけた一連の女性器切除の話題に関して、一言だけ触れておきたいと思ったから。
- 女性器切除
- ちょっと待って、「女性器切除」の話題! – キリンが逆立ちしたピアス
- 割礼儀礼の現場から Circumcision
1の匿名のような素朴な意見は、もちろん2のような批判を免れえない。
だが「女性器切除と一括りに呼ばれるものの中にも多様性がある」とか「現地女性の意見も様々だ」なんてことは百も承知の上で、3のような素朴な相対主義も、もはや支持しえない。
現代の医学・人類学・霊長類学が明らかにしつつあるのは、女性の陰核や性感は、男性のペニスやリビドーの副産物などではなく生物学的にも社会的にも重要な武器のひとつだということ。
またさらに、陰核切除などの慣習にも、これに代わるべき説得力のある説明はなく、別の脈絡では意味をなさない。この慣習を「女の割礼」――加入儀礼として男の包皮を切除するのと並ぶ慣習――と呼ぶことで説明してしまおうとするのは、あまりにあからさまな人類学的婉曲法である。このような説明はあてにならない。文化的な諸観念は、陰核の除去手術や陰唇の縫合(陰部封鎖)を行なって女の解剖学的構造を作り変えようという直截的な努力の上塗りにすぎない。それぞれの処置が男と女に対して及ぼす影響は根本的に異なっているのである。男の割礼は性的能力にきわだった影響を与えない。しかし、陰核切除は性的快楽を減少させる効果的手段である。
(サラ・ブラファー・ハーディー『女性の進化論 』)
すでに多くの人が指摘していることだが、あらゆる意味で陰核切除を含む「女子割礼」に正しく相当する「男子割礼」は、包皮切除ではなく亀頭切断である。
もちろんそんな男性にとって都合の悪い「文化」など、非難する・しない以前に、どこにも存在しない。何が文化かを決める権力は、常に男性が握っているからだ。
(極端な)文化相対主義が徐々に批判に耐えられなくなってきた以上、人権の概念の方を大きく書き換えるのでない限り、少なくとも「男子の包皮切除が非難されないのは欧米中心主義だ」などという類の言説は、もはや批判に耐えられない。
「じゃあどうすんの?」という話になるのだけど、今回の絡みで読んで一番バランスが取れていると思ったのは、流石に専門の文化人類学者らしいこちらのエントリ。
心理学ではよくある話だが、実際には大したことがないものを魅力的に見せるのに、上から頭ごなしに禁止するより優れた方法はない。人間はただ禁止されているという理由だけで毒薬でもなめる。
このような心理的傾向は、ほぼ間違いなく優位者の操作に対抗するために進化してきたものであろうから、一概に否定もできない。ただ、分かっていてそういう方向に追い込むなら、追い込んでしまう側には責任がある。
仮に女性器切除の廃絶だけを目標とするにしてもそれを実現するベストな手段はおそらく、女性器切除への関心などおくびにも出さず、ひたすら現地の女性に対するエンパワーメントを進める、というようなものになろう。
当然、このような見方を受け入れるならば、長い間、多くの女性に生じる現実の被害を、積極的に見て見ぬふりをすることを要請することになるわけで、そのことの倫理性は大きな問題になるであろうが、それはまた別の話。
関連書籍
おまけ
亀頭とか書ける機会はあまりなさそうなのでこの際遠慮せず。
by 木戸孝紀
tags:フェミニズム 女性 人類 政治 生物 文化
ここ1世紀ぐらいの人類学の歴史を超大雑把に捉えれば、文化相対主義が盛り上がって頂点を極めた後、徐々に後退している歴史であるといえる。
もちろん、今日の基準に照らせば馬鹿馬鹿しいほどに極端な相対主義は、さらにその前の、もっとずっと極端に酷い文化差別・性差別がまかり通った時代への反動として生まれてきたものだ。
そのことを忘れて、単に後知恵の批判をするだけではまずい。それらの歴史も踏まえた上で、新しい知見を受け入れていかなければならないのだ。
で、これはその人類の普遍特性、ヒューマン・ユニバーサルに関する本。エディプス・コンプレックスの存在を自明視していることだけちょっと疑問だが、いい内容だと思う。
おまけ
要するに、人間のすることが全て文化の産物だというのなら、なぜこんなことが可能なのかということ。
by 木戸孝紀
tags:科学 書評 人類 歴史
事前の情報からは明らかに期待できない内容なのだが、『神は妄想である』の中でドーキンスの兄貴が、
この本はタイトルからうかがえる通り、奇妙な本である。まったくのトンデモ本か本物の天才の傑作であるかのどちらかで、中間では絶対ない! おそらく前者だろうが、賭けるのはやめておこう。
とか書いてたから、一応目は通しておかねばと思って読んだ。どう見てもトンデモ本です本当にありがとうございました。
なんで賭けるのをやめておこうと思ったのか教えてもらいたいものだ。まったく兄貴は意外とこういうハッタリに弱いところがあるから……おっと、これは先々書こうと思っているネタに関わるからまだ出さないでおこう。
関係ないが、今回初めて書籍電子化の効果を実感した。PDF化された『神は妄想である』に“神々の沈黙”で検索をかけて、一発で引用部分を引き出すことができた。OCRの間違いを多少校正してやる必要はあったが。
おまけ
by 木戸孝紀
tags:トンデモ リチャード・ドーキンス 考古 書評 人類 電子化
最近読んだ本、またはずっと紹介したいと思っていた本の中から、個別エントリにするタイミングがなさそうなものを、まとめて一挙紹介。
★は1-5個でオススメ度。人に薦める価値がまったくないと思うものはそもそも取り上げないので、1個でもつまらないという意味ではない。
『自分をつくりだした生物―ヒトの進化と生態系』★★★
ジョナサン・キングドン著。先史人類とそのテクノロジーが環境といかに相互作用してきたかという観点からの本格的な人類学本。
『BEST SOFTWARE WRITING』★★★
Joel Spolsky編。おなじみJoelが編集したソフトウェア関係の良記事集。
『人間の安全保障』★★
アマルティア・セン著。とても薄い新書。いい人だということはわかったが、さすがに薄すぎてこれだけでは何とも。もっと別の本も読んでみようと思うぐらいには面白かった。
『知的複眼思考法―誰でも持っている創造力のスイッチ 』★
苅谷剛彦著。amazonレビューなどでは非常に評価が高かったが、そこまでとは思えなかった。すでに類似の本をけっこう読んでいるからだろうか?
『ルドルフ・シュタイナー―その人物とヴィジョン』★
コリン・ウィルソン著。地下猫さんのところで小耳に挟んだので。まあ悪人ではないのだろうけど、私には普通のオカルト主義者としか見えなかった。
『紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』★★★
斎藤美奈子著。かなり昔読んでいて、最近どこかで見かけて思い出した。なかなか良い本だったと記憶している。
『地に呪われたる者』★
フランツ・ファノン著。ここ経由で読んだ。つまらなくはなかったが特にこれといったことは。
おまけ
今月はトレーニングが流行ってたようだがこれ以上はもう出んだろ。
by 木戸孝紀
tags:オカルト フェミニズム プログラミング 経済 書評 進化 人類 政治 発想
これはなかなか面白い。 農業文明前史の仮説としての価値がどのくらいあるのかはまだ判断がつかないが、あってもおかしくなさそうな話だし、単純にオークにまつわる雑学を眺めているだけでも楽しい。おすすめ。解説より。
狩猟採集から、大文字で書く「農業革命」を経て、農業文明、そして産業文明へという常識ではなく、狩猟採集から、大文字で書かれるべき「ドングリ文化」をへて、農業そして産業文明へ、という、もう一つの大仮説が本書には提示されているのである。
完新世(1万年前?現在)の北半球中緯度地帯の、温暖化する大地に広がった主要な樹種は、中東でも、ヨーロッパ、アジア、アメリカ大陸でも、「ドングリ」を実らせるオーク(ブナ科Querucus属の樹種)の仲間だった。日本語の文化圏では、アカガシ、シラカシなどの常緑性のオークは「カシ」、コナラ、ミズナラ、クヌギなど落葉性のオークは「ナラ」と峻別されるが、英語の世界ではいずれも「オーク」。大げさな区分はない。そのオークの森に、減少する大型哺乳類を追撃する狩の暮らしに疲れたハンターたちが定住していった。
定住の根拠となったのは、どの地域でも、降り注ぐ大量のドングリの主食化であったと、ローガンは考える。オークの豊かな森は、一ヘクタールあたり数トン規模のドングリを生産する。これを収集、貯蔵し、あくを除去して、食料とすれば、採集狩猟暮らしとは比較にならないほどの人口を豊かに養ってゆくことができる。
ドングリを豊穣の主食とする世界に定住したホモ・サピエンスは、材としてのオークを利用して住居をつくり、集落をつくり、道路や船もつくりだし、人工構造物を枠組みとする技術と文化の民となった。
ひとびとは定住した森で豚を飼い(中略)、森をぬけた高地でヤギを捕獲し、低地におりては魚やカメを捕獲し、さらに一部のグループは定住地の周辺でイネ科を中心とする農業を発明したかもしれない。
しかし文明の中心は、高地でも、低地でもなく、あくまでその中間域にひろがるオークの森だ。ドングリの雨をふらした完新世初期温帯高地のオークの森林帯こそ、文化と技術をつむぐ人間をそだてた文明の枠組み、というのが著者ローガンの主張なのである。
オークの森への依存は、やがて定例的な伐採を基本とする森林管理のシステムを生み出し、今から六〇〇〇年ほど以前には、すでに安定した森の管理活用が世界に広がっていたと著者は言う(中略)。やがて人々は、大量の薪炭を調達し、樹皮から皮なめしの素材を手に入れ、虫こぶを材料にすばらしいインクを発明し、もちろん大規模な建築物や、船を自在に耕作する建造技術もそだててゆく。「ドングリ文化」に由来するオークを活用する技術は長く蓄積され、洗練され、ウェストミンスターホールの天蓋や、アメリカ独立戦争の無敗戦艦コンスティテューション号をも生み出してゆく。
しかし、一万数千年もつづいたはずの、ドングリの森に発するオークとヒトの交流の歴史は、ここ三〇〇年にもみたない産業文明による森の大破壊と大規模な鉄の文明の推進によって、いま終焉をむかえ、化石燃料と地球温暖化の時代に、あっけなく忘れ去られてゆくのである。本書のローガンは、その忘却、忘恩を確かめつつ、オークの森がそだてた数々の技術、そしてそれらの到達点を、神々のめでる細部に徹して、深い哀惜の筆致で語りきり、まことに味わい深いものがある。
おまけ
豊穣つながり。
by 木戸孝紀
tags:考古 書評 人類
- 文字から計算が生まれたのではなく計算から文字が生まれた。文字に繋がる抽象化にまつわる最も古い遺物は一定間隔で刻み目の入った骨。数えていたものはおそらく日数。
- 家畜を管理するために、一頭囲いから出すごとに一つ小石や小枝を拾い、一頭囲いに戻すたびに一つ落とす、といったことをしていた時期があったはず。
- シュメールの遺跡では粘土で作られた様々な形のトークンが出土する。農耕の始まりと定住生活によって増えた穀物・家畜など様々な財物の会計・管理・記録に使われていた。
- トークンをまとめて管理・保管するには穴が開いたトークンに紐を通すか、粘土球に入れるか。粘土の封球は自分や相手の印章を押してから焼けば改竄できない記録となる。
- 封球の不便な点は、中身が簡単に確認できないってことだ。どうしたらいい? 粘土球の表面に印章と同じようにトークンを押しつけてその形もつけておけばいい。
- ちょっと待てーゐ! 粘土球の表面の印で中身がわかるんなら中身いらなくね? 粘土板の表面に形だけ書けばいいじゃねーか! と文字誕生。
- たとえば「10単位の穀物」を意味していた記号から「10」という“数”の概念が分離され数字誕生。
というような過程が5000年ぐらいかけて進行したのでした。いーち、にーいとか数字を教わってる現代の子供は皆いきなり数千年分の文明の蓄積を与えられた超人なわけですな。
この文字と数字の起源に関する説はかなり昔に何か別の本で読んで、衝撃を受けつつも説得力があるなと思った覚えがあるが、今回大量の図表入りで見られて面白かった。
関連サイト
おまけ
文字つながり。
by 木戸孝紀
tags:考古 書評 人類 文字 歴史