衆議院総選挙総括

 選挙は大体予想通りだった。争点が争点の選挙だったと言われているが違う。誰も争点など重視していなかった。有権者が最も重視する政策が年金等社会保障と答えているのに結果が小泉大勝だったのだからそれは明らかである。

 野党は惨敗どころか相手にすらなれていなかった。実際は解散の時点で勝負はついていた。今生きているほとんどの日本人は生まれてこの方

 政治 = 醜い利権奪い合い

でありそれ以上でも以下でもないという「常識」の元で生きてきていた。セイジというのはギインという不思議な生き物がナアナアという価値観で行うものでセンキョに行くというのはなんとなく格好悪いことだと思ってきた。

 それなのに小泉は分裂選挙になったら負けると予想されていたのに、つまり自らの政治生命を失い、族議員の恨みを買う、党は議席は減らし、郵政票は失う、と何一つ自分・自党・自派閥の得にならないはずの解散総選挙に打って出た。

 政治家は綺麗事の嘘しか言わない

という「常識」の元で生きてきた国民が「国民の信を問う」という小泉の言葉が単なる決まり文句などではなく、政治理念に基づいたものであることが単純に消去法で確信することができた。

 多くの国民が、まるで生まれて初めて「政治家」を見、生まれて初めてその声を聞き、生まれて初めて投票権を与えられたかのように感じたのである。

 これでは小泉に何かやらせてみたくなって当然だ。これが今回の小泉フィーバーの本質で本当に「歴史的」な出来事だったのはここである。郵政一本化(争点を絞ってわかりやすくする)や刺客戦術(著名人候補でマスコミの注目を集める)などということは前例がなかったわけでも今回の選挙に特別なことでもない。

 今回「首相は説明不足」というのも定型句のようによく聞いたが、このネット時代に政敵はともかく有権者が「説明不足」などと言うのは自らの無関心の言い訳としか思えない。このブログでも郵政民営化について今さら何か言おうとは思わない。興味があれば自分で調べて自分で考えればいい。

 手放しで褒めちぎっているように見えるかもしれないが、小泉盲信でも白紙委任でもないというのは他の誰かが十分言ってくれているからもういいと思っているだけだ。

 それにこれからの小泉政権の政策が仮に失敗するとしても、すでに今回の選挙は十分な価値があった。「有権者の投票が実際に政治を動かした(という実感を有権者が得た)」そして「政治のリーダーシップで大きな抵抗を押し切ってとにもかくにも改革を行った」という前例を作ったことだ。前例主義の日本でこれがどれほど大きいことか。

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