オープニングクイズ。以下の主張は正しいか? ○か×のみで答えなさい。どちらでもない・どちらでもある・場合による等の答えはなし。
- 誰かの真剣な主張を「とんでもないから」といって真面目に受け取らないのは科学的な態度とは言えない
- 科学的な社会では少数派の意見に基づいて行動するからといって弾圧されたり処罰されることはない
- 人格的な神や死後の世界の存在は科学的な観点からすると否定されると言わざるをえない
水からの伝言(以下「水伝」と略す)なるトンデモについては、昔わずかに触れたきりであったが、
が話題になっているのを見るうちに再び興味が出てきた。上の田崎晴明氏の文章は水伝に対してどんな立場にある人が読んでも非常に素晴らしい文章で、私が付け加えることは何もない。
今回気になったのは、この「水からの伝言」を信じないでくださいに対して、
のような、それ自体かなり非科学的な反応が出て、少なからぬ人々がそれにつられてしまっていることである。
水伝がトンデモであることは広く理解されていても、なぜそう言えるのかが理解されていないのならば、新しいトンデモが生まれる度にいつまでも同じ事の繰り返しである。
この反証に関する誤解は特に本質的で重大なのでまずここから入ろう。
水伝に反証実験は必要ないし、すべきではない。その理由は「月に兎が住んでいるという誰かの主張を反証するために月探査船を飛ばして月面を探索しなくてもよい理由」と言い換えた場合あなたが思いつくであろうものとだいたい同じである。
- 無駄に金がかかる
- どんなに探査しても月に兎がい“ない”ことを証明することは不可能
- 信じたいと思っている人はどのみち反証を理解しないし認めもしない
- 「そんなに必死で否定しようとするのはますます怪しい! 政府の陰謀だ!」などのさらなるトンデモを誘発する
- 詳しくない人々にそれがあたかも検証に値する主張であるかのような間違ったメッセージを送ることになる
これらはみな正しく、どれ1つ取っても水伝にわざわざ反証実験をすべきではない正当な理由を構成する。しかしこれら以前に水伝をはねつけるもっとずっと簡単で正当な理由がある。それは「トンデモだから」だ。
おそらくこのトンデモ扱いを不当と感じる人は、科学は何が正しくて何が間違っているかを決めるための仕組みであるということを、もはや当たり前すぎて忘れてしまっている。
そして、科学全体を、その仕組みを構成する部品の1つに過ぎない――極めて重要な部品ではあるが――無無謬主義と混同しているのであろうと思われる。
確かに無無謬主義は「俺の言うことは100%完全に正しく、疑うことは許さない!」といった種類の主張を禁止するものであるので、時と場合によっては一見トンデモだからといって頭から否定するのはよくないといった意味合いにもなりうる。
ただし、それは程度の問題である。現実の理論は科学的かトンデモかの2つに1つにスパッと分けられるようなものではなく、
- もはや誰1人として疑いえないほど強く検証されている主張:(例)地球は丸いとか
- かなり検証されているが誰も疑いえないほどではない主張:(例)大気中の炭酸ガスが増えると地球が温暖化するとか
- まだ何とも言えない主張:(例)電波に晒されると白血病になる確率がいくらか高まるとか
- かなり論破されているが信じる人もいないわけではない主張:(例)多くの動物は地震を予知しているとか
- もはや誰1人として信じられないぐらい徹底的に否定された主張:(例)太陽は生贄の血で動いているとか
といった具合に非常に幅広いスペクトル上に分布している。
たとえば「ケータイの電波でガンになる」という主張をトンデモの一言で切って捨てることは慎むべきだとは言えるかもしれないが「生贄の血が太陽の動力になっている」かどうかについて同じルールを適用するのはただのナンセンスである。
もう一度言うが程度の問題である。水伝はどちらかといえばケータイ電波よりは生贄の血の方に近い。ただとんでもないのではない。ものすごくとんでもないのである。
「水の結晶の形が人のかけた言葉の内容に反応する」という主張は、科学の命題として見た場合、とてつもなく強い主張である。それは物理・化学・数学など、幅広い科学分野を根底から覆すほどに強い。ここでうまくネタにされているように。
対して、月で兎が発見されたとしても、確かに生化学に大革命が起きることになるが他の分野まで影響が及ぶことはない。水伝は月の兎よりもはるかにとんでもないのである。
科学がある理論を正しいと認めることは、それに矛盾する他の何かをトンデモだとすることに他ならず、無無謬主義は誰かに特定の――とりわけすでに何度も否定されたような――主張への注目を強制するようなものではない。
オープニングクイズ1番の正解は×である。○をつけてしまった人は、水伝に反証実験を要求する人の科学リテラシーは信者と同レベルと言われても仕方がない。
次回からは科学がなぜそんな風に誰かの飯の種をトンデモの一言で切って捨てる権利を持っているのか。そして現実的に水伝のような偽科学にどうやって対処するべきなのかを書こう。(つづく)
コメント
水伝問題で非難されるべきは著者ではなく学校教師
前回の続き。水伝はトンデモだということはわかったとしよう。なぜ科学にそんな風に誰かの飯の種を切って捨てる権利があるのだろう。 何が正しくて何が間違っているか判断する方法は色々ある(あるいはあった)。昔も今
>オープニングクイズへの自分の回答
1:×、全てのトンデモに真面目には付き合えない。
2:×、超○○水でガンが治ると宣伝したら捕まる。
3:×、「否定」はしない。扱うのは人文学の範囲だけど。
そういえば、こういった問題には「ニセ科学フォーラム」とかありましたね。
>鯛
な、なんだってー! と。
>フェアさん
http://www.youtube.com/watch?v=s1WmOd9O_ew
仮に水伝が実証されたとして、
何か利用法があるのかかなり疑問です。
綺麗な水の結晶を作りたい……とか?
そして最大の疑問は写真のは何かということ。
「GARDNF……?」
誰も答えなど知らない、だから世界は面白い
「水からの伝言」を信じないでください江本勝『水は答えを知っている』(サンマーク出版・2001年)という本があります。サンマーク出版の常備セットにも含まれていて、たいていの書店には並んでいるのではないかと思います。「テレビで紹介されました!」とのふれこみとと..
トンデモと聞いて思い出したのがMMRだったりするw
確かにキバヤシが言っている事を真面目に検証するのもかったるいね。