「バカ殿と家老」
同じ場所で暮らしている各勢力*1には、主従・師匠と徒弟・上司と部下・式神とその使用者といったわりと厳格な封建関係がある。*2血縁関係がほとんど存在せず友人関係もゆるく殺伐としている代わりに、キャラ間の継続的な人間関係を構築しているのはこの封建的関係である。
根拠地 | トップ | ナンバー2 | その部下・弟子・式神 |
---|---|---|---|
紅魔館 | レミリア・スカーレット フランドール・スカーレット |
十六夜咲夜 | 紅美鈴 |
マヨヒガ | 八雲紫 | 八雲藍 | 橙 |
白玉楼 | 西行寺幽々子 | 魂魄妖夢 | |
永遠亭 | 蓬莱山輝夜 | 八意永琳 | 鈴仙・優曇華院・イナバ 因幡てゐ |
彼岸(?) | 四季映姫・ヤマザナドゥ | 小野塚小町 | |
守矢の神社 | 八坂神奈子 | 洩矢諏訪子 | 東風谷早苗 |
面白いのは月人勢力のナンバー2で、全体でもトップクラスの人気キャラと思われる八意永琳の設定に、「実は主である輝夜より強いのだが、常に彼女より下になるよう力をセーブしているらしい。」というのがあるところだ。
これだけなら、単に八意永琳とキャラはそういう設定の持ち主だというだけの話かもしれないが、これを念頭に置いて各勢力のNo.2に注目して見ると、各勢力の人間関係の設定に規則性があるように見えてくる。
- 吸血鬼勢力はトップの姉妹が子供*3だったり、少々気が触れてたりするので館の実務を仕切っているのはメイド長の十六夜咲夜。
- 八雲家勢力トップの紫は1日12時間睡眠で冬は冬眠もする上に全体に面倒くさがりなので、普段は式神の藍に任せきり。
- 幽霊勢力のトップ幽々子は脳天気な食いしんぼキャラ。庭師で警護役の妖夢は生真面目で純心な性格。
- 月人勢力はトップの輝夜は不老不死の引きこもりニートで、本当は輝夜より強い永琳が補佐している。
- 守矢の神様勢力は、古代の戦争に勝って諏訪子の土地を征服して形式的にトップに立ったのは神奈子。しかし古い信仰を消し去ることができなかったので、今でも実務として信仰を集めているのは諏訪子。
「いざという時以外いまいち頼りないトップと、忠実で生真面目な性格のNo.2」、とでも要約できるパターンが、彼岸以外の全勢力にぴったり当てはまるように思われる。こうまで繰り返されるとさすがに偶然とも思えず、二次制作のギャグMADなどでも特によく見られる(ような気がする)構図であることから、作者が意識してやっているのかどうかわからないが、作者の嗜好のみに起因するものでもないように思える。
「これはいったい何なんだろう?」としばらく考えた結果、どうも日本人が伝統的に微笑ましいものと見なしてきたある笑いの構図にしっくりきそうだと気がついた。すなわち古典落語から志村けんまでのバカ殿様とご家老という構図だ。幻想郷の設定がさびしくない限り積極的に孤立したいという欲求の反映であるのと同様、この構図も温情ある安定した封建体制に所属したいという欲求の反映であると考えるのは深読みしすぎだろうか。
「東方はシグルイなり」
封建体制からの連想でいうと、結界の外部や勢力外部の人間に対しては皆割と無関心というか酷薄である。蓬莱山輝夜と藤原妹紅などは会う度に殺し合う仲*4だったり、八意永琳も月の使者を皆殺しにした過去があるらしいとか殺伐としたエピソードには事欠かない。
そもそも妖怪連中は基本的に人食いであり、結界そのものの由来に関わる幻想郷の神レベルの妖怪:八雲紫もその例外ではなく、たまに外部の人間を神隠しにして食ってるとか。興味深い話だ。それがキャラの魅力を損なうものとは考えられていないことは明らかで、荒ぶる神の概念が生きている神道チックな世界観でなければ成り立たないだろう。
ヒットした同人ゲーム繋がりでひぐらしと対比すると、ひぐらしはファッション和風で性根は洋風だったと思う。日本的な田舎を舞台としていても日本的封建的要素は「敵」であり、問題があったらフレンドとオープンにディスカッションして解決しよう。それでも駄目ならデモでも組織して政府に訴えようという実にアメリカンなメッセージ性を持つものだった。
対して東方はファッション洋風で性根は和風と言えよう。確かにキャラデザインにも和装のものは多いが、むしろフランス人形みたいな洋装のものの方が多い。しかしその精神性は骨の髄まで、それこそまともに見つめると濃密さにむせそうになるほどの和風である。伊達に東方は名乗っていない。日本的な封建体制のグロテスクな側面を描ききってエンターテイメントにまで昇華することに成功したものとしては『シグルイ』がある(参考)が、ある意味それに匹敵するんじゃないかと思う。
「ゆっくりしていってね!!!」
微妙に不細工な頭だけの東方キャラが何の脈絡もなく「ゆっくりしていってね!!!」を代表とする台詞を叫びつつ緩いことや酷いことを言ったりやったりする、その名も「ゆっくりしていってね」(通称ゆっくり)というネタが最近流行っている。これに関しても言えることが出てくる。
よくできたゆっくりが時に殺人的な面白さになるのは、普段は華麗な衣装や楽曲にうまく隠されている(隠しておきたい)「緩さ・酷さの肯定」という東方のメッセージ性を、いきなり丸裸にして突きつけてくるものだからだろう。(一説によれば「脱衣」は最も原始的で純粋なギャグの形である。)
そう考えれば、「ゆっくり」が他のネタ集団には全くと言っていいほど派生しない理由も納得がいく。「ボーカロイドでゆっくり」とか「アイマスでゆっくり」とかの派生ネタがすぐに大量に現れても不思議ではなさそうなのに、そうならないのは、元から「緩さ・酷さの肯定」というメッセージ性を隠していないものがそれをやってもあまり意味がないからだ。
まとめ
こうして今回ちゃんと資料を読んでみてわかったのは、東方はキャラが1人を除いて全員可愛い女の子だとか、BGMが神だとかいう表面的な部分だけではなく、細かい設定まで現代日本人オタクの桃源郷となるべく実によく練られているということか。やはりヒットするものにはそれなりの理由があるのですな。
*1:概ねシューティングゲームとしての作品一本ごとのボスクラスのキャラに対応する。
*2:この原則に外れる主要キャラはおそらく、紅魔館に住んでいるがレミリアの配下ではなく友人とされているパチュリーのみ。
*3:500歳児(笑)。
*4:どっちも不老不死なので永遠に決着がつかない。
おまけ
コメント
>nekopinchさん
実はすでに原作も持ってはいるんだけど、
昔からSTGあまりやってないので全然進めないんだよね。
でも某所の無敵パッチ使って地霊殿と風神録は一通りクリアした。
リプレイ動画は見ているのでゲームとしての内容も理解はしているつもり。
音楽の批評は……知識がないので難しそう。
ドレミファソラシドの由来も最近知ったぐらいなので。
亀ですが。
東方のヒットという現象を捉える場合には、設定やキャラだけを見るのでは足りないと思います。
どうして東方アレンジが同人音楽の1大ジャンル(現状だとほぼオンリー1)にまで成長したかと言う要素についても是非是非分析してみてください。
その場合は原作プレイ(クリア)が必須になると思います。
記事を拝見させていただきました。いろいろな考察をしてる方がいらっしゃいますがやはりこういうのは面白いですね。
ただ、多分分かってやってらっしゃるとは思いますが、
輝夜のニート、幽々子の食いしんぼキャラは「?の扱いを受けている」とした方がいいんじゃないでしょうか?
どちらも原作を元に拡張された二次創作での扱いですから。
駄文失礼しました。
>ふてぶてしい猫
「猫」か! なるほど。それはいい。
そういえばZUN氏は新作のサウンドテスト欄で
猫に飼われたい(笑)とかいう発言してますね。
(例によってニコ動で見ただけだけど。)
確かに東方の精神を一文字で、という課題があったら、
これしかないというような絶妙な表現です。
いかん、長すぎました。
内容が筆者様の表現と所々かぶっておりますし、あまりよろしい記述ではありません。
少なくとも「このコメントは」削除願えましたら幸いです。上記コメントにつきましても、筆者さまのご英断に多方面から期待。
下記は既に本文中で書かれていることの追記です。ZUN氏自身は孤高バッチコーイなノリで作ってらっしゃるでしょうが、ファンの側は受け取りやすいように、すなわち「生かし易いよう」改変して受け入れる訳ですな。この振舞い自体は作中のテーマに等しいものであり、従って見せかけのテーマ自体もまた同様に改変が促されると。どのような作品にも言えることながら、この点製作者様の気苦労は一入(あるいは無視の境地)でしょう。東方はそれを根本から容認するスタイルですが、故にカオスと粛清が飛び交ったり、対立構図が溝を深めたり。実益から少し離れたレベルで展開する文化とは、その到達要求や葛藤も含め面白いもの。つくづく興味は尽きません。
原作のテーマ構造は、多くは組織に属しつつ自立した(理想像としての)人間が、多少騒がしくあることで精神の平衡を保ちつつ(飲んべぇ的に)暮らすという、六道人界における日常の一つの理想形の追求にある訳ですが、とくに同人的解釈により加わる二次要素には安心感への追求が強く示され、色濃く現れているように思われますな。
原作のほうは、後編にも記されたゆるい組織構造、即ち油断すれば無数の癒着等等を生み出す可能性を「も」内包する旧態依然たる組織構造と、同じく油断すれば苛めの巣窟に「も」なりうるであろう日本の集団・社会構造を、これ以上ないくらい肯定している。妖怪などその最たるものです。天界や地霊殿に至っては……。作品の黒さがどこまで浸透した上での人気かは量りかねますが。
一方で登場人物中ボス以外の個人に関しては基本的に自律・安定が貫かれており、対外アプローチは兎も角として、どこまでも(若い突撃模様が成分として少なめで全体では消極的ではあるものの)前向きな姿勢が伺えます。しかも本編では(ボス以外)共依存関係が少な目。全体を通じて、作品の背景さえ読み取れれば、ある種の手本か笑いの種になるだけの出来です。
これらが計算づくであろうと、あるいは作者の自然体なのだとしても、見事な構成であることに変わりはありませんな。
こちらの考察も大変興味深く、かつ人気の要因として納得できる解釈でありました。お疲れ様です。
おまけ:ゆっくりはある種、ふてぶてしい猫ですな。東方の登場人物が持つ「自立と見せかけて軽い共依存関係」にほぼ等しい生活スタイルを掲げるアイツらです。故に虐待されたり愛されたり。
>その精神(?)は日本文化
守矢組の愛され方も、ゴリ押し的側面ではなく家族愛・未熟等に集中しておりますな。
>hogehogeさん
どうもです。「あずまんが大王」ですか。確かに具体的にどこがというわけではないですが、なんとなく言わんとするところはわかります。ZUN氏は間違いなく好きだと思いますね。
とても面白い考察でした。確かに東方は和洋折衷などと言ってますが、その精神(?)は日本文化ですよね。
東方はキャラ造型で面白い所が多いと思います。服装とか。それと全員性格がおばさんっぽいです。少女なのに…
あと、タイトルを読んで「あずまんが大王」を思い出しました。エントリーとあんまり関係ないですが…
>「ゆかりんは、そんなこと絶対しねーーってwwww
>・・・・・いや、そーでもないかなぁ・・・・」
具体的に何を念頭に置いてかわかりませんが、これ私の受け止め方に近いです。
初見は「ぶはは! なんだこれありえん!!」って思ってても
徐々に「あれ? もしかしてこっちが“本当の”姿なんじゃねーの?」って
気になってくるのよ。かわいく見えてきたら末期状態。
ウマウマもガチムチもキワミも男女も、全部一発ネタだよ、意味もようわからんのが多いのよ。
そういう意味でなくて、「ゆかりんは、そんなこと絶対しねーーってwwww
・・・・・いや、そーでもないかなぁ・・・・」
ってこと。
「ねこぢる」みたいな突き放し方っていうか、登場してても違和感ないっつーか・・・
口を開けば人の悪口しか言わず、泣くまで殴っておいてから「悪ィ悪ィ、冗談なんだw」という、八房龍之助のヒロインのようなダメっぽい性格が、破壊的で他にはないよねってことだ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3094983
コレとか全然めちゃくちゃのに何故か納得できる・・・
「実証性」や「実効性」がないのに(→似非)、さも現実の要素として真実であるようにいってみせる(→科学的)のが似非科学的発想ってやつじゃないのかな? 文学解釈に証明を求めたりするとなんで似非科学っぽいのかよくわからないです。
というか、ゆっくりしていってね系ってよく他のネタに使われてるでしょ。そこまでは広がらないのは、端っから意味の分からない一発ネタだから汎用性や発展性に欠けるせい、では。
はじめまして。
鯨の話調べてて流れてきたんですけど、これも面白いですね。
ゆっくりはウマウマなんかと比べて広がらないな、と思っていたらこういう背景があったんですねー。
で、ちょっと思ったことをつらつらと。
同じように二次設定と公式を区別しないで考えると、彼岸組は他の組織のナンバー2と部下の関係に近い感じがします。
手のかかる部下とそれに気をもむ目上、って「こち亀」「サザエさん」のパターンですね。
諏訪子と早苗はバカ殿と家老パターンに思うのでこれは例外ですけど。
あと細かいところを申しますと、てゐはちょっと厳格な封建関係ではないかな、と。あれはいうこと聞かないw
てゐも永遠亭組の中では「地球生まれ」という点で孤立している訳ですが、
てゐと、あとチルノあたりの人気はキャラ付けとゲーム上での性能がうまくマッチしてる事によるように思います。
(てゐは花映塚でのトリッキーな見掛け倒し弾幕としぶとさ、チルノはパワフルさとアイシクルフォールEasyがPLとしては印象深いので)
>まあでもこれだけ書いているのなら、実証性や実効性がきちんとあるのでしょうねー。
あるあ……ねーよw
こういう文学(?)の解釈に実証性や実効性を求めること自体が似非科学的発想でしょう。
でもゆっくりが他のグループに派生しないことの説明は今のところ他に思いつかないですね。
なんか読んでて、陰謀論やエセ科学みたいな感じを受けないでもないような。
まあでもこれだけ書いているのなら、実証性や実効性がきちんとあるのでしょうねー。すごいなあー。
>mokiさん
う?ん、一貫してないというか二次創作で元々の作り手と受け手(≒作り手)の意識が、混ざるというか共鳴するのは当たり前だと思いますが。そこを意識してあらかじめ「一次設定と二次設定の違いはあまり意識していない」と言っています。「間違ってたら教えてほしい」とも言ってるのでトラバ時もご遠慮なさらずに。
興味深い考察でした。
内部にいるとあまり意識しないような点もあり、外部からだとこういう風にも見えるのかというところが新鮮でした。
ただ
ファンが、理想とするあり方・関係性をゲームから読み取って投影している、としている部分と、キャラの設定自体が最初から(ファンが)理想とするあり方・関係性である、という主張が混ざって、論旨が一貫してない部分もあるように思います。
色々と考えさせられた部分もあるので、エントリ起こして後でトラバしたいですね。
あと、細かい部分ですが設定違いやニュアンスの違いみたいなのも何箇所かあるので併せて指摘した方よろしいでしょうか?