2008 1/26

針の上で天使は何人踊れるか―幻想と理性の中世・ルネサンス

第15回】 【目次】 【第17回

 今回からガイア教理解の最大のポイントの一つとなるキリスト教理解のため、『針の上で天使は何人踊れるか』を教科書にして話を進める。

監修者まえがき 奇態なるヨーロッパ 池上俊一

 歴史は私たちが生きていく上での教師である。私たちが遭遇するような出来事は、大抵、過去の人々がすでに体験済みで、苦労して解決法を見出してくれているか、そうでない場合でも、結果は顕然と現れている。分かっていてもおなじ過ちを繰り返すのが人の性であるとすれば、過去の事例を鑑にし踏みとどまって熟考してみる効用は、計り知れまい。未曾有の出来事に際会したときでさえ、今後の成り行きの予想を可能にしてくれるような事例が見つかることは、稀ではない。

 ガイア教はおそらくまだ多くの人――特に日本人のほとんど――がそう思っているような、ありきたりな動物愛護問題とか海洋資源争いとか環境保護問題じゃない。私の見る限り、間違いなく未曾有の事態だ。

 しかしまた、人の性によって何度でも繰り返される同じような事態に過ぎないとも言える。未来へのヒントは過去の歴史の中にちゃんと隠されている。

 本書『針の上で天使は何人踊れるか』には、ヨーロッパ中世末から近世にいたる奇々怪々な出来事が天こ盛りである。金色の巻き毛の十歳くらいの美少年姿の天使が、足が麻痺し長年歩けず苦しんでいた女を奇跡的に癒す。人間の子供を殺した豚の親子が裁判に掛けられ、母豚が絞首刑に処せられる。死者の霊魂が生きている人を訪ねに来て、頼み事をしたり来世からの伝言を伝えたりする。リンゴに悪霊が取り憑いて、奇妙な音を響かせる。魔女が空を飛んで、サバトで醜悪なる乱行を繰り広げる……いずれも、今では到底信じがたいことだ。

 ドルフィンセラピーとかイルカセラピーって聞いたことあるか? 私はいつも、文字列を見るだけでも自分の髪の毛掴んでまとめて引きちぎりたくなるぐらい腹が立つんだわ。だって自閉症の子供が治ると信じて大金払ってこういうのに通わせている親が世界にはきっと何千組・何万組といるんだぜ。*1

 テレビではオーラがどうとかスピリチュアルがどうとかいう番組が大人気で、学校では水は人のかける言葉に反応して結晶の形を変えると教える教師がいるのが21世紀だ。今からもう500年ぐらいたった未来世界に住む人間は、中世と現在のどちらをより信じがたい奇妙な時代と見なすと思う?

 あるいは学識あるエリートたちが甲論乙駁するその議論も変わっている。たとえば、天使には性欲はあるのか、また針の上には何人の天使がその足で立てるのか、地獄の炎は焚きつけたり燃料を補給する必要はあるのか、人間の狼への変身が悪魔による策略で外見のみが変わるのなら、どうして「狼男・狼女」は実際に俊足で凶暴になり、狼よろしく遠吠えしたがったのか……といった類のバカバカしい議論に、知識人が血道を上げたのはなぜだろうか?

 「現代では学識あるエリートたちはそんなバカバカしい議論に血道を上げてはいないから大丈夫! やっぱり昔と違うよ全然違うよ!」と思うだろう。今のうちにせいぜい幸せな幻想を楽しんでおくがいい。

 魔女信仰と妖術の諸慣習、神・悪魔・天使・悪霊。死後の世界についての悪魔学者や神学者たちの議論など、奇態なエピソードがオンパレードで、おどろおどろしさにやや辟易しながら読み進めていくと、(中略)プロテスタントとくにイギリス・アメリカで展開したピューリタンへと、話柄は急かされるようにして収斂していくのである。自由を求め人権思想をも抱懐した彼らが、なぜ災いのパンを食してことさら苦難をよしとしたのか。また相手が「同胞」のときにはたとえその男が泥棒に手を染めても寛容な処遇を求めるのに、なぜ「敵」となると常軌を逸した不寛容な態度を取るのか。ピューリタンをこの一見矛盾した態度へと駆り立てた精神のあり方の解明へと、著者は筆を進めていくのである。

 そして著者は、この精神が十六世紀イングランドの特異な状況で生まれたことを明らかにしていく。

 最近のニュースでオーストラリアがクローズアップされてはいるが、捕鯨反対で一番不寛容で強硬なのはイギリスとアメリカの、しかも政治的にはリベラルに属する人々だ。*2不思議に思っていた人も多いだろう。まだ不思議に思っているか? おそらくもうすぐ不思議とは思わなくなるだろう。

 神の掟に忠実な熱狂的信徒は、カトリックを復活させようともくろむ一党とはもちろん、あまり熱心でない信徒とも対立を繰り返した。彼ら熱烈な信徒らは国内外の敵から脅かされていると感じ、自分たちをこの世の戦場に生きる兵士だと自認していた。彼ら襲う苦難は神が彼らを試しているのであり、歴史を赤く染めている苦難を求めるキリスト教の実践を、今度は彼らが引き受ける番だとされたのである。

 「シーシェパードの船の船長が捕鯨船の場所を教えてくれないとグリーンピースの誰かを非難した。」というようなニュースを最近読んだのを思い出す記述。ちなみに太字による強調は私によるもの。以後も同様。

 きっと日本の陰謀論者たちは「あんなの偽装対立だよ! シーシェパードがグリーンピースから分離独立したのは自分の手を汚さずに実力行使できる別働隊が欲しかっただけだよ! 裏ではみんな結託して日本を陥れようとしてるんだよ!」みたいに考えているに違いない。

 私はもちろんそんな団体の裏側なんか全然知らないが、たぶんそれは全然違うよ。彼らが分裂したのには、もっと単純な解釈があるだろ?

  • 「クジラは捕鯨船を爆沈してもよいぐらい神聖なのか? それとも捕鯨船を爆沈してはいけないぐらいの神聖さなのか?」*3

 という重大な問題に関して、どうしても意見が合わなかったんだよ。神学論争ってのはそういうもんだ。

 またキリスト教会が破壊の憂き目に会っているのは、「最後の審判」が近づくにつれて悪魔とその協力者が暴戻のかぎりをつくすからであり、神との平和は、この世と戦争してのみ手に入れられるのだなどとも信じられた。

 いくらお前ら陰謀論者でも――というか、だからこそ――シーシェパードにとっての「暴戻の限りを尽くしている悪魔とその協力者」って誰のことか、もうわかってるよな? わからなかったら鏡を見ろ。

 で、お前らは何か陰謀に関わってるか? ないよな? どう考えても誤解だろ? ある意味では彼らも立派な陰謀論者なんだ。*4陰謀論者同士ちょっとぐらい相互理解に努めてみる気はないか? 私ができる限りお膳立てするから。

 こうした切迫した信仰世界に生きるピューリタンたちにおいては、悪魔のごとき「敵」に対してはいかなる残忍な仕打ちも許されるどころか、残忍な仕打ちこそ唯一の正しい信仰を守るための義務なのである。宗教改革・宗教戦争に際しては、敵陣を「異端」と呪い、その指導者を悪魔の申し子とし、裁き迫害するのが、真摯な信仰の表現であり、一五二〇年代以降、権力者によって、何千もの信徒が、カトリック・プロテスタント双方で死刑にされることになった。この時代「敵」への寛容とは、真実の信仰に無関心な、それこそ罪深い態度だった。平然と、いや清明の気をもって蛮行におよぶのが、信仰者としてのあるべき姿だったのである。

 著者は、こうした敵=他者を悪魔化しその殲滅を願う敬虔なる精神が、近世よりさかのぼることはるか以前、十一世紀前半における群小異端の火刑から連綿とつづいて、宗教改革・宗教戦争へといたったこと、いやそればかりではなく、こうした精神は現在只今の世界にもどっこい腰を据えていることを指摘するのである。その結果、たとえばアルカイダらイスラーム原理主義とアメリカのキリスト教原理主義の隠然たる力、そして「文明の衝突」と言われる事態は、はるかな始祖を近世に、いや盛期中世にもっていることが明かされるのである。

 それでだ、シーシェパードのことを「イルカイダ」とか言って笑いものにしてるお前らに聞きたいことがある。今回ばかりはお前らがいつもやってるのと違ってただの下品なレッテル貼りに留まらず、一抹の真実*5を含んでしまっているということを、わかって言ってるんだろうな?

 私はシーシェパードは全然怖くない。彼らの考えるようなことは手に取るように分かっているし……なんたって日新丸に乗ってないからな。

 だが、お前らの脳天気さはちょっと怖い。まるで本物の手榴弾をおもちゃと思って投げ合って遊んでる幼稚園児を目撃するような怖さだ。何度も言っているように必要以上に怖がる理由もまったくないが、必要な分だけは怖がってくれ。

 いいか? たとえ今や、自らのパロディ化されたミニチュアのおもちゃみたいに成り果てているとはいっても、彼らは間違いなく「本物」なんだ。ほんの二、三十世代前には聖戦の戦士だった者たちの直系の精神的子孫なんだ。今南氷洋で起きてるのは、どんなに規模が小さくたって「本物」の宗教戦争なんだ。

 歴史を(私の考える)正しい尺度で見るなら

  • 「なんで彼らは臭い液体入りのビンを投げつけてくるんだろう?」

 と不思議がるのはまったくバカげている。私たちは、どちらかといえば

  • 「なんで捕鯨船の乗組員がとっくに火焙りにされてないんだろう?」

 と不思議がるべきなんだ。*6

 お前らがまだ「圧力に屈したら食文化が死んじゃうよ!」ぐらいの気持ちでいるのなら、脳まで胃袋になっていないか疑うべきだ。比喩でもなんでもなく人が死んじゃうような話なんだよ。

 明日そうなっても、お前らは驚くかもしれないが、私は驚かないぞ。どんな意見を持つのも勝手だが、おもちゃにするのだけはやめてくれ。*7

 過去や外国の風俗慣習について、私たちは、「なにこれ」「どうしてこんなことになるの」という奇異の念を抱くことがしばしばあろう。それを迷妄だとか異常だとか言って済ませてはならず、それなりの「合理性」があったことを文化的・社会的な状況を考慮しながら理解する努力は、現在の自分たちの社会で当たり前に通用している考え方や習慣も、未来の人々や外国の人々にはおなじように突飛で奇異だと思われうるのだと、たえず心に留めておく態度にもつうじよう。

 これは、言ってみれば、歴史を「文化人類学」的に捉える効用でもあろう。つまり、未開人はもっぱら呪術の世界に浸っていたのではなく、自然の力と超自然の力をともども認識し、普段は確実な知識に基づく合理的な手段で自然に対処していたが、あらゆる努力も知識も凌駕する不可知の影響力を統御するときに、呪術に頼った。

 文明社会も実は同様なのであり、理性と神秘の境界線の位置や知識の体系のあり方、それらと社会の仕組との関係が異なっているだけなのである。こう考えることによって、私たちは、ある社会の人間たちが周囲の物事を理解する「過程」を意識するようになれる。

 ここめちゃくちゃ重要。しかと頭に刻みこんでおけよ。できれば太字部分を印刷してモニタの前にでも貼っておけ。もうすぐ嫌というほど実例を見ることになる。

 本書が鳴らす警鐘は、欧米人のみならず現代日本人にも向けられている。自明の理に見えて当然と思われることがかならずしも正しいわけではない。現代の生き方に含まれる価値について理解を深めるためには、異なる時代・社会で選択された価値を振り返って見る必要がある。(中略)たとえば将来の社会のあり方を決めるために意志を表明する機会を与えられたときに、「日本人なんだから当然だ」という政治家の口にする無意味な惹句に足を掬われないためにも、こうした考えを身に着けたいものである。

 そうだぞお前ら。イルカが人間より頭悪いなんてありえんだろ。何考えてんだ? クジラを食べるとかジョークにしても限度があるだろ。頭おかしいんじゃねえのか?

 そうじゃないと思うなら「日本人なんだから当然だ」以外の根拠が何かあるんだろうな? 何もないならただの国粋主義者とバカにされても文句は言えないぞ。

*1:もっともトンデモ医学が星の数ほどある中で、これだけが特にむかつくのには明らかに私の偏見が含まれるので、同意を求めようとは思わんが。
*2:勘違いしている人がいそうだが、シーシェパードはオーストラリアではなくアメリカの団体である。
*3:シーシェパードはすでにアイスランドの捕鯨船を爆破沈没させている。日本しか攻撃していないと言いふらす人がいるがそれは嘘だ。
*4:参考:陰謀論は現代の宗教 神は細部に宿り給う
*5:あくまで一抹程度である。ガイア教とイスラームにはユダヤ・キリストと続くアブラハム宗教の同じ系譜に連なる、ということ以外の関係はない。イスラームがガイア教に直接関係している形跡は、予想に難くないことだが、まったくない。シーシェパードをアルカイダと一緒くたにするのは、少なくとも現時点では不当だと思うし、アルカイダはアルカイダで、獣を拝んで大地母神の霊を信じる異端の極みみたいなのと一緒くたにされたら怒り狂うだろう。
*6:なんでだと思います? まったく冗談抜きで、試しに答えてみて下さい。
*7:「お前が一番おもちゃにしてるだろ!」って言われそうだが、私はいたって真剣に楽しんでいる。この世にこんなに面白いものはそうはない。おもちゃだなんてとんでもない。次の次あたりで詳しく述べる。

第15回】 【目次】 【第17回

おまけ

 極みという単語からこれしか連想できない体になってしまった。どうしてくれる。

by 木戸孝紀 tags:


“ガイア教の天使クジラ16 ダレン・オルドリッジ『針の上で天使は何人踊れるか』 1/2”へのコメント 2

  1. 1.

    >ほんの二、三十世代前には聖戦の戦士だったものたちの直系の精神的子孫なんだ。
    これを、「2、30年前の聖戦の戦士」(前世が云々と言う『ムー』が好きそうな人たち)と誤読して、少ししか違和感を感じませんでした。(笑)
    『何か』と戦いたがってる人たちは、何時の時代にも、どこの国にでも居るものですね。

  2. 2. 木戸孝紀

    >天さん
    ぼく地球かよ!(笑)

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