2017 6/10

 寄生獣のアニメをやってたときに書いたものの清書です。内容的には上とほとんど変わっていません。TwitterやTogetterもいつまで存在するかわからないので、こちらにまとめておきます。


 『寄生獣』のストーリー展開の変化、作者にすら予想していなかった変化は、進化論のダーウィン以来最も重要な進展をそのまま取り込んでいる。

 ハミルトン革命とか血縁淘汰とか、呼び方はどうでもいいが、要は遺伝子視点での進化の見方と、それに伴う生命と利他行動に対する人間のものの見方の変化だ。

 で以前書いたように、寄生獣オープニングのモノローグと、パラサイトの設定は、まさしくガイア理論のとりわけトンデモなバージョンを連想させるもので、実際そこに着想を得たとしか考えられないものだ。

 要するに、地球(全体)の利益を守るための、地球(全体)に意思のようなものが存在するという発想である。

 いま、それなりの教養のある「普通」の人が、ガイア理論のことを聞くと、どうしてこんなあからさまにアホなオカルトっぽいトンデモが、知的なはずの人々にまでもてはやされたのか、不思議に思えるだろう。

 だが、それは後知恵というやつで、血縁淘汰の理解以前の生物学について知る必要がある。

 ダーウィンの進化論の時点では、DNAはもちろん遺伝の実際の仕組みは不明だった。メンデルの法則が再発見されるのさえダーウィンの没後だ。

 ダーウィン時点で進化論で説明できない(と思われていた)最大の問題は、たとえばハチのコロニーにおける働き蜂のような不妊カーストだ。

 自分で子を作らず、コロニーに尽くし、巣が危機にさらされると自殺攻撃を行う。こうした利他行動は、進化が子孫の変異を通じて起きるものだとしたら、進化できないではないか、というわけだ。

 しかし、進化できないのが問題だと考えること自体が、ある意味進化論になれきった人間の後知恵の見方とも言える。従来は特に問題視されていなかった。集団の利益、あるいは種の利益、言ってみれば「みんなの未来」を守るため、と解釈されていた。

 他にも、たとえば、鋭い牙を持つ狼が、腹を見せて降参するのも、殺し合いを避けて「種の利益」を守るためだとか、鳥が虫を食うことによって虫が増えすぎて森が禿げてなくなってしまうことを防ぐのだ、とかいう言い方も普通にされていたりした。

 抽象的な「種の利益」を守るために「他人」――もちろん姉妹同士であることは認識されていたが――のミツバチ同士が協力したり、森の秩序を保つために多種の生物が協力しあったりしているという、(今日の視点では間違った)認識が普通だったのだ。

 そんな時代には、地球のために生物全体のバランスを保つための仕組み、というのも、それほど馬鹿げて見えなかったのは理解できよう。

 パラサイトが繁栄しすぎた種を食い殺す本能を持つが、自分の子孫を作らない、という設定は、いわば不妊カーストがなんらかの抽象的価値を守るためのものだと認識されていた時代のものだと言える。*1

 さて、もし寄生獣1話掲載時点にタイムマシンで戻って、当時の人に「この作品は完結からずっと後になっても大傑作として広く認知されており、改めてほぼ原作準拠のストーリーでアニメ化されたりしてますよ」と伝えたとしよう。

 当然、その人は冒頭モノローグの「みんなの未来を守らねば」と思った誰かについての話があって、何らかの決着がつけられただろう、と解釈するだろう。その結末を教えてくれないか、と言うだろう。

 ところが、ご存じの通り、この「地球上の誰か」、素朴に解釈すればガイアの意思とでも言うべき存在については、1話以降最後までまったく触れられない。地球の絵によって暗示されるのさえ「この種を食い殺せ」のシーンが最後である。

 広川市長の演説としてかなり不自然な形*2で繰り返されるだけで、そんなモノローグは最初から存在しなかったのごとく、ふっつり消えてしまう。

 にも関わらず、なぜ不朽の傑作たり得るのか? 普通なら「傑作だったけど、風呂敷は畳みきれずに最初の伏線未回収のまま思いっきりすっぽかしたよね」ぐらいのツッコミは避けられないところだろうに、なぜそうならなかったか?

 なぜならば、この作品の連載とほぼ平行して――もちろん時代精神的な大雑把な意味でだが――まさにこのガイア幻想は、ふっつり消えたんだ、そんなものは最初っから存在しなかったのだと。

 そのガイア幻想を消し去った最も重要な要素こそ、作中で田村玲子が聴講している利己的遺伝子の理解と、利他行為(≒共生)およびその逆たる捕食・寄生に対する解釈の変化だ。

 利他行為≒共生(そしていわば共生の拡大解釈の極限がガイア理論)が謎だった時代には、共生は善いことで、寄生は悪いことだと思われていた。

 たとえばアリやハチは集団で協力する働き者の進化した善い生物で、たとえば寄生虫というのは、他者を利用する怠け者の退化した悪い生物であるというわけだ。*3

 言うまでもなく、これらは人間視点での擬人化でしかないわけだが、「擬人化でしかない」と切って捨てられるのは、「では本当は何なのか」ということが、現在ではすでにしっかりと確立しているからだ。

 遺伝子視点での進化の見方は、利他行為の謎を完全に解いた。不妊カーストは不思議でも何でもなくなった。個体に利他行為を取らせる遺伝子は、その遺伝子を共有する血縁を通して子孫に伝わる。個体の利他行為は、同時に遺伝子の利己行為であり、そこに矛盾はない。

 女王蜂と働き蜂との関係は、人間の生殖細胞と手の細胞との関係と変わりない。手の細胞や脳細胞は繁殖しないが、その存在は不思議ではない。手や脳が生殖細胞に子孫を作らせることによって、生殖細胞にある手や脳を作る遺伝子が生き残り、次代の手や脳を作らせるからだ。

 遺伝子視点では、同種の共生が不思議ではないのと同様、他種との共生も特別なものではなくなる。同種の遺伝子プールにないというだけで、ある遺伝子とある遺伝子の利害が一致しているというだけだ。

 アリとクロシジミは何らかの意味で他の(共生しない)生物より偉いわけではない。アリの中のある遺伝子とクロシジミのある遺伝子の利害が一致している――彼らのゲノム内の遺伝子同士の大概と同じように――というだけのことでしかない。

 田村玲子との大学での会話に出てくる「豚と人間は共存していると言えない?」というのはそのあたりの話だ。豚の遺伝子は人間(の遺伝子が作る個体とそれが集まって作る社会)を使って自分を増やす。

 その関係が、手の遺伝子が脳を使い(あるいはその逆)自分を増やそうとする行為より、なにか特別なものと考える必要はない。

 人間のゲノム内にも、出現当初はエイズのような病気であったであろうレトロウイルスの名残と思われるものがたくさんある。

 そうなってくると通常「(寄生生物でない普通の)生物」とされるものは、単に「もはや別々に観察されることがあまりない寄生生物同士の集合」でしかないことになる。

 また寄生生物の研究も進んで、サナダムシやらその他の寄生虫も退化した単純な生き物なんてものではなく、環境と宿主に適用するためとてつもなく複雑な進化を遂げただけなのだと考えられるようになった。*4

 寄生に対する嫌悪感が存在すること自体は、人間(を含む大型動物)にとって不思議でも何でもないことだとしてもだ。

 もう少し身近な話にたとえよう。我々は「腐敗」と「発酵」が、どちらも単なる「微生物の活動」であり、人間にとって都合が良いか悪いか、という恣意的な基準で呼び分けられているだけだ、ということを知っている。

 遺伝子視点の進化の理解によって、「寄生」と「共生」にも同じことが起きた。

 「寄生」と「共生」はどちらも「遺伝子同士の利害に基づく離合集散」であり、人間にとって悪いイメージか善いイメージかというだけで、恣意的に呼び分けられているだけだということだ。

 もちろん微生物の活動を理解したからといって、肉が腐らなくなるわけでも納豆が作れなくなるわけでもないように、遺伝子について理解しても、サナダムシが寄生虫でなくなるわけではないし、蜂が共生しなくなるわけでもない。しかし人間の考えは以前と同じではいられない。

 ちょっと寄生獣から離れすぎたから戻ろう。さっきの「もはや別々に観察されることがあまりない寄生生物同士の集合」という表現、ミギーやその他のパラサイトが徐々に人間社会に溶け込んで目立たなくなっていった、という終盤の表現に通じるところないかな。

 そしてタイトル寄生獣のトリプルミーニング。パラサイト、広川の言うガイア理論的な意味での地球への寄生獣≒人間、ラストの寄り添って生きる獣。最初のひとつのガジェットを通して、二番目の解釈が三番目に移り変わっていく思想史を描くことになった――最初から意図したわけではなしに――と言えるだろう。

 そしてもうひとつ、ラスボス後藤さんについてだ。面白いことに、彼の設定はまさに悪しきガイア幻想のカリカチュア的な存在になっているのだ。複数の生物が、「ひとつの意思」のものに「完璧」にひとつの生物として「統一」され、「完全生物」となる。*5

 取り込まれていたミギーの感想、「意外なことにとても気持ちよかった〜」とかいうのも、より大きなものの一部として何も考えずに過ごすというガイア幻想(というかずさんなホーリズム全般)の持つ魅力を表現しているようでなんか面白い。

 毒物によってその後藤さんの統一が崩れてそれぞれの利害が表に出てきて、最後は爆散するってところも、前に触れた遺伝子視点によるガイア幻想崩壊を連想させるものがないかな。

追記

 元のTogetterに来たものの中で、ひとつだけ重要と思われる指摘について追記する。『寄生獣』以前にもう利己的遺伝子は知られていた、というものだが、もちろんそれは知っている。

 最先端の学説が、学者に広まり、インテリに広まり、一般向けエンタメまで広がって、法律や制度に埋め込まれ、しまいに誰も意識しない常識になるまで、長い時間がかかるものだ。今は「一般向けエンタメまで広がって」あたりの期間に注目しているだけだ。

 エポックメイキングなドーキンスの『利己的な遺伝子』原著は1976年。それでさえ20世紀を通じて発展してきた社会生物学、1970年代に確立した血縁選択説を一般向けにわかりやすく説明しただけ*6で、真にオリジナルなのは「ミーム」を造語したことだけと言われるぐらいである。

 『利己的な遺伝子』の日本語版は『生物=生存機械論―利己主義と利他主義の生物学』の名前で1980年。1989年に『利己的な遺伝子』の邦題に戻して第二版。

 『利己的な遺伝子』の内容を粗雑かつ扇情的に扱った竹内久美子『そんなバカな!-遺伝子と神について』がベストセラーになったのが1991年。『寄生獣』の発表期間は1988年から1995年である。

*1:ただし新一が即座に「この世のもんじゃねーよ」とか反応してるので、すでに現代に近い価値観が混じってはいる。
*2:仮に第1話に遡って描き直せるのであれば、同じ表現にはしなかったであろう、というぐらいの意味で。
*3:特に後者は「福祉に頼る貧乏人は社会の寄生虫である」というアナロジーとなり、重大な影響を及ぼしたが、今回その話はしない。
*4:この辺は『パラサイト・レックス』に詳しい。超オススメ。
*5:戦闘狂であるというところは合わないが。
*6:だけとは言えないと私は思うが。

by 木戸孝紀 tags:

2017 5/3

 歴史上「わいせつ」の要件を具体的に示しえたためしがない、というのはよく言われることで、それはそれで正しいと思われる。

 だが進化心理学的視点に立てば「わいせつ」を過不足なく単純に定義することは容易だ。

  • 性が社会≒権力≒年配の男性(の同盟)にとって適切に管理されていない状態

 だ。そもそも具体的にどんな行為や表現であるかは問題ではないのだ。たとえば、

  • 一夫一婦制は社会的にひとつの安定解だから、夫婦間の性は基本的にわいせつではない。
  • 男性の性は、おおっぴらにアピールされて比較されると、年配の男性が若い男に負けてしまうので、露骨な場合のみわいせつである。
  • 男女の利害は一致しづらいので、女性の主体的な性アピールは基本的に――自分ひとりに向けられる場合を除き――全てわいせつである。

 もし、ホモ・サピエンスの祖先が、強い一夫一婦傾向(わずかに一夫多妻)で、メスが群れを出てオス同盟(≒男系)で権力が受け継がれるタイプの類人猿でなかったら「わいせつ」の定義はどんなものになっていただろう?

 これをまともに想像するのは難しい。なぜならすでに現在の「男性」「女性」の心理は、人類の祖先がそのような類人猿だったことと不可分だからだ。

 しかし、進化的に形成された心理が変わらないまま、現在の社会環境が変わったらどうなるかは、考える意味がある。それが実際に起きたことだからだ。

 ここ100年やそこらで、これまでと比べて、社会が家父長制権力的でなくなってきて、同時に女性の政治力が上がってきた。

 男性が実際にやってきたように、女性が自分たちに都合よく「わいせつ」を定義するとしたら、一体どのようなものになるだろう。

 よく知られているように、進化視点で男性の利益を突き詰めると皇帝のハーレムになる。この世で性行為できる男性は自分ひとりでいい。

 男性の皇帝のハーレムにあたる、女性の進化的利益の究極形は、乙女ゲーによくあるように、金と権力のあるイケメンがみんな自分に求婚してくる状態だが、男性との重要な違いは、基本的・相対的に「量より質」になることだ。

 皇帝のハーレムは、どんな美女でもひとりではだめであり、多少それより劣った女性・並程度の女性であっても、追加されるのは普通歓迎である。

 しかし、女性にとっては、究極に金と権力のあるイケメンがひとりいるだけでも、別に構わない。それより劣った男性・並程度の男性が追加されるのは、あまり嬉しくないどころか、むしろ邪魔でさえある。

 女性の進化的利益を最大化するように進化によって形成された心理傾向を正当化するような道徳を、進化心理学を知らない状態で、女性が作るとしたら、どのようなものになるのか。

 自分が求婚を受け入れるような最高の男以外からの性的アプローチはすべて「わいせつ」であると定義することになるはずだ。

 ……はずだというか、それはもう実際に起きたことで、こうした女性主体で定義された「わいせつ」は特に「セクハラ」と呼ばれている。*1進化心理学による、いわゆる後ろ向きの予言だ。

 だから「ただしイケメンに限る」的な皮肉は、確かに一面の真理をついていると思われる。

 「セクハラ」の具体的要件、いつどこで誰がやっても変わらないというような意味でのそれは、「わいせつ」の具体的要件と同様に、誰にも示しえないと思われる。特に誰がやるかが決定的に重要なのだ。

 ただしそれは、歴史的に年配の男性が自分たちの都合のいいように「わいせつ」を定義してきたのと、何も変わらない。

 「セクハラ」の定義の方が恣意的に見えるのは、男性の性は基本的・相対的に「質より量」で、相手の質が重要でない、ということの反映に過ぎない。

*1:もちろん現在の「セクハラ」は対女性限定の用語ではないが。

by 木戸孝紀 tags:

2017 1/2

『げんしけん』★★★

 木尾士目著。連載当時のアフタヌーンを読んでいたはずだが、あまり興味がなかった。完結を機に改めて全巻読んでみたら、結構おもしろかった。

『白と黒のとびら: オートマトンと形式言語をめぐる冒険』★

 川添愛著。確かに奇書レベルの尖った本。人を選ぶだろうが数学好きなら一見の価値はあるかと。

『赤の女王 性とヒトの進化』★★★★★

 マット・リドレー著。なぜか今まで紹介してなかった。名著と言えよう。

『インフレーション宇宙論―ビッグバンの前に何が起こったのか』★★★

 佐藤勝彦著。『数学的な宇宙』の不完全燃焼感からいくつか見て回ったものの中のひとつ。初心者(?)向けとしておすすめ。

『よくわかる人工知能 最先端の人だけが知っているディープラーニングのひみつ』★★★

 清水亮著。インタビュー集。玉石混交だが結構面白い。

『科学の発見』★

 スティーヴン・ワインバーグ著。内容はshorebird先生にお任せ。

『生命、エネルギー、進化』★★★★★

 ニック・レーン著。前著からのアップデート。超面白い。全体にどの話題も面白いが、特に生命の起源に関しては、もうアルカリ熱水噴出孔で決着と言ってもいいのではないか。

『数学で生命の謎を解く』★

 イアン・スチュアート著。ちょっと幅が広くなりすぎて薄くなってしまった印象だけど悪くはない。

by 木戸孝紀 tags:

2016 12/1

『やりとげる力』★★★★

 スティーヴン・プレスフィールド著。なんか独特の勢いのある自己啓発書。ちょっとアブない感じすらする。

『よぶこどり』★

 浜田広介著、いもとようこイラスト。『宇宙家族カールビンソン』の元ネタと聞いて。

『進化は万能である: 人類・テクノロジー・宇宙の未来』★★★★

 マット・リドレー著。内容はかなりいいのになんたるクソ邦題。原題”The Evolution of Everything”なんだから『万物の進化』でいいだろ。様々なトピックにおいてトップダウンアプローチとボトムアップアプローチを対比し、後者を称揚する本。人口問題に関する11章は白眉。

『数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて』★★★★

 マックス・テグマーク著。数学的宇宙仮説の人。インフレーション宇宙論の概説や、著者が関わってた宇宙背景放射の研究史はとても良かったけど、そこから先はSF者なら考えたことあるようなことばかり。まあこっちがオリジナルなのかも知れんが。でも総合的には十分おすすめ。

『信長』★

 池上遼一著、工藤かずや著。Kindle Unlimited対象で読み放題だったので。池上遼一で信長って……。なんかシュール。コピー大杉。

『オークション・ハウス』★

 叶精作著、小池一夫著。これもKindle読み放題だったので。強引な美術ネタに意味不明なエロが加わってとんでもねえカオスと化していく。○○○ーが生きてるのはよくあるけど、なおかつ拳法で襲ってくるのは初めてだ。小池一夫氏のTwitter人気が、ちょっと腑に落ちた気がする。

『数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』★

 サイモン・シン著。『ザ・シンプソンズ』にそんな要素があるとはちっとも知らなかったぞ。内容は面白い。シンプソンズを観たことないので元ネタがわからず、十分楽しめないのが少し残念。

『この世界の片隅に』★★★★

 こうの史代著。著者の作品自体初めてだが、確かにすごいと思う。映画未見だが、観に行きたい。

by 木戸孝紀 tags:

2016 11/1

『母がしんどい』★★

 田房永子著。『キレる私をやめたい』がよかったので。そりゃこんな母だったらしんどいやろな。

『察しない男 説明しない女 男に通じる話し方 女に伝わる話し方』★

 五百田達成著。ありがちだけどわかりやすくていいのでは。内容には関係ないが五百田(いおた)という名字初めて聞いた。

『SOFT SKILLS』★★★★★

 個別には特別すごいと思った話はないが、全体として過去に類例のない感じの本でとても面白かった。プログラマには是非おすすめ。

『習慣の力』★★★★

 チャールズ・デュヒッグ著。『SOFT SKILLS』で紹介されていたので読んだ。終盤ちょっと話が広がりすぎる感あるけど、啓蒙書としても実用(自己啓発?)書としても、かなりいいと思う。

『ネオ寄生獣』★

 萩尾望都『由良の門を』以外はそこまでは印象に残らず。しかしそれだけでも価値あり。

『人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える』★★

 ジョナサン・ゴットシャル著。良い。内容は例によってshorebird先生にお任せ。

『物理学者はマルがお好き』★★★

 ローレンス・クラウス著。『宇宙が始まる前には何があったのか?』から著者つながりで。いい啓蒙書。

『行動経済学の逆襲』★★★

 リチャード・セイラー著。ナッジの人。行動経済学そのものの部分は既知だが、それ以外の自伝的部分が面白かった。

『蒼路の旅人』★★★★

 上橋菜穂子著。最終シリーズ開幕? って感じ。かなり面白い。

by 木戸孝紀 tags:

2016 6/3

『東方鈴奈庵 〜 Forbidden Scrollery.(5)』★★★

 春河もえ著。ZUN原作。ぬえ・文・聖etc. まだまだ面白い。

『おひさま もっちゃん! 漫画家パパの育児日記』★★

 丸本チンタ著。なかなかおもろい。

『親バカと言われますが、自覚はありません。 イクメンパパの奮闘日記』★

 丸本チンタ著。上の実質前編?

『生物はなぜ誕生したのか:生命の起源と進化の最新科学』★★★★★

 ピーター・ウォード著、ジョゼフ・カーシュヴィンク著。邦題だけは良くない。原題”A NEW HISTORY OF LIFE”(新しい生命の歴史)に相応しい内容。大幅な地質学・生物学的アップデート。強くおすすめ。

『週刊少年ジャンプ秘録! ! ファミコン神拳! ! !』★★★

 「ファミコン神拳」伝承委員会著。うわー懐かしい。下の記事も合わせてどうぞ。

『カッコウの托卵: 進化論的だましのテクニック』★★★

 ニック・デイヴィス著。面白い。内容は例によってshorebird先生にお任せ。

『市場の倫理 統治の倫理』★

 ジェイン・ジェイコブズ著。対話形式がちょっと読みにくい。ここでいう「市場の倫理」と「統治の倫理」は、「リベラル」と「保守」に近い(同じではないが)。もっと言えば『社会はなぜ左と右にわかれるのか』の後半3軸を軽視する立場と重視する立場。

『モラルの起源―道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか』★

 クリストファー・ボーム著。興味深い点はあれど要注意点もあり。先にshorebird先生の書評を読むことをおすすめ。

『巨大生物解剖図鑑 Inside Nature’s Giants』★

 デイヴィッド・デュガン著。大迫力。

by 木戸孝紀 tags:

2016 4/18

『たんぽぽ娘』★★

 ロバート・F・ヤング著。表題作がやはり一番いい。魔夜峰央の短編でこれが元ネタになってるのがあったような。

『人体六〇〇万年史 上──科学が明かす進化・健康・疾病』★★

 ダニエル・E・リーバーマン著。個別にはすでに知ってる話ばかりのようだが、面白い。

『アメリカの世紀は終わらない』★

 ジョセフ・S・ナイ著。タイトルだけから大体再現できそうな順当な内容だけど。

『話しづらいけれど、話しておかないと後悔する相続と節税のこと』★★★

 川合宏一著、武石竜著、関岡俊介著。

『神の守り人』★★★★

 上橋菜穂子著。ここまでのシリーズ中では今ひとつながら、それでも十分面白い。

『量子力学で生命の謎を解く 量子生物学への招待』★★★★★

 ジム・アル-カリーリ著、ジョンジョー・マクファデン著。いや素晴らしい。個別には他で知ってる話もあったけど、この分野、短い期間にも大幅にアップデートされているんだねえ。

『ダーウィンの覗き穴――性的器官はいかに進化したか』★★★★

 メノ・スヒルトハウゼン著。面白い。内容はshorebird先生にお任せ。

『ブラックホール・膨張宇宙・重力波』★★★★

 真貝寿明著。重力波観測のニュースで何か一冊読んでみたいというニーズにちょうどいいかと。

by 木戸孝紀 tags:

2016 3/7

だれもが偽善者になる本当の理由

 最近の話ではないが、『だれもが偽善者になる本当の理由』を読んだ時に思いついたこと。まだかなり曖昧というか本当に思いつきレベルの乱暴な話だが一旦まとめる。

 この本で提唱されている「意識の報道官モデル」というのは、意識の役割は大統領報道官のようなもので、大統領にとって不利な事実は知らない方がいいし、実際に知らされていない、というもの。

 基本的にいいところをついているように見えるのだが、これが本当に正しいとすると、同時に、かなり興味深いことを示唆すると思われる。

 意識とかアイデンティティとか日常的な概念で言われるもの、少なくとも言葉で自分のことを語れるような、なんとなく我々が人間性の本質だと見なしているようなそれは、従来思われていたよりも、ものすごく進化的に新しい可能性が出てくるのではないか?

 「自己」が一貫しているかどうかを気にする他人が誰もいなかったとしたら、「自分」の一貫性について誰かに弁明する必要が、生涯にただの一度もないとしたら、そもそも一貫した(と主観的に感じるだけかもしれないにせよ)何かを(実際に)持っている必要などあるだろうか?

 ないように思われる。

 「自己」とか「アイデンティティ」は、たとえその本質がなんにせよ魔法ではないはずだ。進化によってデザインされ、コストがかかる具体的な何かのはずだ。コストを正当化する理由が何かなければ作られず、維持されない。

 そして、一次元的に定義できるかは別の話として、アメーバは持ってなくて、人間は持っている。では、それはいつからだったのか。なんとなく連続的なもののような気がしてきたが、それが政治的にも正しいような気もしていたが、実はそうではないのでは?

 言語(噂)による他人の評価が行われたり、そこまでいかなくても、ある程度高度な心の理論を持ち、それによって他人を評価するようになるまでは、少なくとも現生人類と同じような意味の、「意識」は持ってなかった可能性の方が高いのでは?

 「自分は他人以上に他人である」というのは、単なるモラトリアムの文学的表現ではなく、まったく言葉通りの事実である可能性が出てくるのでは? つまり自分(自己・自我・自意識となんとなく呼ばれるところのもの)は他人(の心の理論)より進化的に新しい可能性が高いのでは?

 一年前の自分と今日の自分が同じ自分であるというような意味での「自分」という意識は、かなり最近――とは言っても数十万年から数百万年レベルの話だが――まで存在しなかったのではないか?

 まるで『神々の沈黙』の緩やかな、その代わりトンデモではない(かもしれない)バージョンと言おうか、そんな可能性が出てくるのではないか?

by 木戸孝紀 tags: