2018 1/2

第44回】 【目次

 捕鯨あるいは鯨肉食を、人肉食・カニバリズムになぞらえて非難することが、しばしば行われる。

 このシリーズを書き始めてからの時期で、ある程度大きな話題になったものだけに限っても、少なくとも2回はあった。興味があって話題を追って来ている人なら憶えているはずだ。

 批判目的ではあっても直接リンクする機会を増やすべきものではないと思うし、内容そのものが興味深いわけではないため、ここには載せないが、かなりあからさまな人種差別に見える。

 私にもそう見える(のはわかる)し、捕鯨賛成・反対を問わず日本人の間では、これに関しては珍しく、意見の相違は存在しないように見える。

 この件についての捕鯨反対派の典型的な反応は、

  • もちろん良いことではないが、めったにないケースを針小棒大に取り上げて騒ぐのは日本・欧米双方の人種差別的な人々の思うつぼだ

 とか無理矢理どっちもどっち論に持ち込んでみたり*1

  • もちろん良いことではないが、それは捕鯨反対の欧米人の中でも、どちらかというと程度の低い人間だけがすることであり、一般化するのは不当である。

 と擁護したり*2

  • もちろん良いことではないが、日本政府や漁民の無法ぶりがそれほどひどいからだ。

 というような被害者非難に走ったり*3

 といった具合で、どれも批判者はもちろん言っている本人すら納得されられていなさそうな、お粗末なものばかりである。

 真正面から「良いことではない≒人種差別である」ということを否定した議論は、私は一度も見たことがない。事実上日本国内の言論ではほぼ完全に意見が一致しているように見える。

 だが、私はそれに異議を唱えたい。そして、完全に否定できるわけではないにしても、より建設的な新しい見方を提案したい。その見方とは、

  • 日常的に(?)カニバリズムと呼ばれる概念には、本来全く違う2つの側面があるのだが、日本人と欧米人は、どちらもそれぞれ別の理由で、その2つの区別がついていない。

 というもので、2つの側面というのはこうだ。

  • 霊長類ヒト科ホモサピエンスの肉を(虫より大きい*4動物が)食べること
  • 存在の大いなる連鎖・神の定めた偉さの序列・正しい宇宙の秩序に対する反逆

 前者は文字通りであるし、後者もシリーズを通して述べてきたことであるから、ここでこれ以上の説明は要らないであろう。

 「日本人」にこの2つの区別がつかない理由は簡単だ。前者しか知らないからだ。後者の存在を知らず、知らないということも知らないので、そんなものがあるかもしれないという考えすらも思い浮かぶことはない。

 だから、カニバリズムといえば、連想されるのは単に人食い、ロビンソン・クルーソーに出てくるような「文明的な西洋白人キリスト教徒」に対置される「神を知らない野蛮な人食い人種」の古いイメージしかない。

 であれば当然、たとえどのような理由であれ、日本人をそのように扱うのは、大変な人種差別であり、それをする人は時代錯誤の人種差別主義者ということになる。これ以外の解釈のしようはない。

 たとえ100%捕鯨が悪だと考えていても、たとえ日本人のうち捕鯨者・鯨肉食者しか非難していないとか言ってみても、この結論からは逃れられない。上で発言を例に挙げたような反捕鯨日本人は、実際にこの状態に陥っていると思われる。

 一方、自覚の程度はともかく、後者も知っているはずの「欧米人」にも、やはりこの2つの区別はついていない。その理由は、この2つが常に同じ結論をもたらし、区別する必要がないからだ。

 人間は実質最上位の存在であるので、どんな動物が人間を喰っても必ず序列破りであるし、人間より上位の天使と神は――実在しないということは言わないとしても――何かに食われるような肉体も持たなければ、人肉はもちろん何かを食う必要もない。

 「普通」の日常生活をたとえ百年、いや千年送ったとしても、この2つの違いが意味を持つ場面など、ただの一度も来ない。……そう、高知能説さえなければ!

 私の意見では、これは、第2の存在の大いなる連鎖の時代、ヒエラルキーの源泉が宗教的権威から知性≒科学に移り変わったときから、西洋哲学に組み込まれていたバグだ。

 しかし、長年誰も気づかなかった。人間より賢い動物が存在する――それも目に見えぬ霊的存在ではなく地上に肉体を持って――という特殊な条件下でしか表面化しないバグだからだ。これを見落としたからといって昔の人々を非難するのは酷だろう。*5

 意識しているか否かに関わらず、唯一神教的世界大系と高知能説の影響下にある人間・社会にとっては、鯨肉食が後者の側面に抵触し、カニバリズムであるのは自明だ。

 にも関わらず、このカニバリズム呼ばわりがそう滅多には起きないという事実は、むしろ、ロビンソン・クルーソーばりの人食い人種イメージは人種差別であるという認識を「欧米人」も当然持っており、大半のケースでは、かなり効果的にそれを抑止している、ということを意味する。

 わずかであれなされるということに驚くべきではなく、これほど少ないということの方に驚くべきなのだ。

 もちろん、わずかでもそれをすり抜けるものがあるということが、差別でないと言えば嘘になるだろう。それを許してしまう人間が「程度が低い」というのも、反捕鯨の日本人が真っ先に直感しているように、おそらくは概ね事実だ。

 しかし、重要なのは、「日本人」「欧米人」両者の認識の齟齬を生んでいるのは、主にカニバリズムの後者の側面であって、人種差別に関する前者の側面は、むしろ両者で共通しており、それを抑止している側であるということだ。

*1:他の社会問題の文脈では、たった一度だけであっても絶対にありえないことなので、頻度の問題でない。
*2:この主張自体は、文脈と切り離して単独で文字通り見れば、概ね間違っていないと思われるので、余計にたちが悪い。
*3:他の社会問題だったら、絶対にしないどころか、するような人を烈火のごとく責め立てるような人々が言うので、とりわけ悲劇的である。
*4:この「大きい」も、物理的なサイズというより、何らかの抽象的なヒエラルキーの上下の問題な気がするが、まあ言いたいことは直感的にもわかるだろう。
*5:なんたって実際いないんだし……。

第44回】 【目次

by 木戸孝紀 tags:


コメントする

この記事へのトラックバック

 http://tkido.com/blog/4679.html/trackback