2018 9/15

第46回】 【目次

洋ゲーの話をしよう

 初期のネットワークRPGとして大ヒットした『Diablo』(1997)にブッチャーという中ボスがいる。

 角の生えた太った男性型の悪魔で、巨大な肉切り包丁を持ち、血塗れの白い肉屋エプロンをつけている。*1

 解体された人体だらけの部屋――上の画像にはこれでも一番グロいところは入っていない――で待ち構えていて、ドアを開けると「うおお新鮮な肉ぅ!」みたいな叫び声を上げて襲いかかってくる。

 ちなみに、ブッチャー(Butcher)は、肉屋・屠殺人を意味する普通名詞であり、ごく一般的な英単語である。

 一方で、私は今使っているIMEで「屠殺」の単語を変換することさえできずに面倒な思いをしている。*2

 この「欧米」と日本の間に厳然として存在する、屠殺・屠畜に関する意識の大きな落差と、それに対する誤解は、第45回で取り上げたカニバリズム感の誤解と並んで、国内外の反捕鯨反イルカ漁議論を無駄に混乱させる重要な要因になっている。

 シリーズもここに来て、ようやく準備が整ったと思われるので、今回でいったんこの件を片付けたいが、要素とステップ数の多い、かなりややこしい思考が必要とされる。

 単に馴染みがないから・知らないから、というのとは異なる、論理としての難しさは、ここがおそらくシリーズ最高である。xkcdリスペクト*3な図示やたとえまでフル活用した説明を頑張って考えたので、お付き合い願いたい。

宇宙開闢・東と西

 一枚の白い紙を用意しよう。この紙が、今回説明したい概念モデルの全体、いわば宇宙だ。縦軸は時間で、下が過去、上が未来とする。

 さらに横軸で半分に区切って、左半分を西、右半分を東とする。*4この東西は、地球上での地理そのものではなく、文化的・歴史的・概念的な「西洋」と「東洋」*5を表す。

天地創造:1万数千年前ぐらいまで

 何もない宇宙に一本線を引いて、これを大地としよう。引いた線は、時間軸であえて言えば1万3000年前ぐらいだ。*6

 この大地は、少なくとも現生人類全ての共通祖先がすでに持っていた、ヒューマンユニバーサルな性質を表す。

 そのような性質は無数にあるが、今回、具体的に注目するのは、そのうち以下のたったふたつのみである。

  • 肉食嗜好
  • 血の嫌悪

 肉は、一般に優れた栄養源である。*7そして現世人類は肉食に適応した類人猿であり、かなりはっきりした肉食嗜好を持つ。*8

 同時に、血は極めて危険な感染源であり、肉食獣や害虫を誘引する汚染源でもある。流血は、自分のものであればもちろん、他人や動物のものであっても、重傷・死の危険を示唆する。人類共通の血への嫌悪感とその進化的意義は、直感的にも容易に理解できるだろう。

 そして、シャングリラの図書館には確実に収められているであろう有名な西洋文学を引き合いに出すまでもなく、血を見ずに肉を得ることは不可能である。

 よって、このふたつの性質は、矛盾・衝突・葛藤を生じさせ、全ての人類社会は、何らかの方法でこれを解消、少なくとも緩和する必要がある。

 この大地の上に立っている人間は、東西どちらでも、このシリーズの観点で意味のある違いは、まだ何もない。同じく等しく「狩猟採集民」だ。

 現在の狩猟採集民族もそうであるように、部族ごとにそれぞれ何らかの宗教観・動物観を持っていて、何らかの理屈をつけながら、誰もが必ず自分達で動物を狩り、処理していた。*9

一階の建物:文明〜中世ぐらいまで

 時は流れて、文明と呼ばれるものが生じた。農耕・牧畜ができるようになり、部族を越えた大集団が定住し、文字を用いた政治・宗教活動が行われるようになった。

 この文明を建物の絵*10で表そう。建物の「高さ」は、東西の文明・伝統文化に区別がつくような違いが生じた時点から、いわゆる近代の直前ぐらいまでの期間にあたる。

 文明(≒分業)によって自分自身で狩猟や屠畜をしない人が現れ、肉と血の間に生じる矛盾の処理に、従来と違った方法を取る余地が生じた。

 そして、矛盾は全人類共通であっても、その緩和方法は必ずしも全人類共通ではない。大きく分けて以下の二つの方法がありうる。

  1. 動物を差別する
  2. 屠畜者を差別する

 前者がいわゆる「西洋」・欧米キリスト教文化*11の方法。動物は全能の神様が人間に奉仕するためだけに創ったもので、魂なんか持ってない。ましてや死んで動かなくなった後はただの肉だ。だから肉屋もただの一職業にすぎない。

 後者が「東洋」・日本文化*12の方法。一寸の虫にも五分の魂。畜生にも当然魂はあって自分の前世や来世かもしれず、「だからこそ」屠畜者は穢れたものとして差別される。君子は厨房に近づかず*13森羅万象に慈悲をたれよと言いつつ他人の殺した肉を食べる。*14

 動物を蔑視する代わりに屠畜者は蔑視しないで済むか、屠畜者を蔑視する代わりに動物は蔑視しないで済むか。これは一種のトレードオフだ。*15

 このふたつの方法に自明な優劣はない。*16それぞれ千年単位で安定して存在し、相互交流があっても一方が駆逐されてしまわない程度には拮抗している。純「科学的」に見れば、どちらも単にナンセンスだ。*17

 また、差異のみに着目している――差異を認識するのが目的なのでそれ自体は当然――ので全然違って見えるが、あくまで同じ条件(肉食嗜好・血の嫌悪)から同じ結果(肉を食べてよい)をもたらすもので、途中過程の細部が違うだけであるということも同時に認識すべきである。

二階の建物:近現代

 さらに時代が進んで、近代文明と、それが東西の文化に与えた影響を、二階の建物という形で表現しよう。二階の天辺はもう現在と考えてよい。

 「西洋」では、人間も他の動物と同じく進化してきたことが明らかとなり、神による創造を信じるのは難しくなった。動物蔑視の論拠となっていた宗教的ドグマが弱まり、現代的な意味での動物愛護や肉食反対も現れてくる。

 「東洋」では、近代・西洋的な文化・法・制度・科学・哲学の導入により、肉食はより一般的になり、輪廻転生や来世への功徳といった伝統宗教感覚は薄れ、平等・基本的人権の観点からも、穢れ意識による職業差別は擁護できなくなる。

 私たちが現に住んでいる時代で、一般常識でもあるし、ここまでのシリーズを通して、それなりに述べてきたことでもあるので、これ以上詳しい説明はしない。

 ここで、いったんスペースが埋まったこの紙を、よく眺めてもらいたい。できれば、何も見ずに自分で同じものが描けるぐらいまで頭にたたき込んで、描かれていないことにまで考えを巡らせてもらいたい。

 まず強調したいのは、この東西の二階同士は、互いにとてもよく似通っている*18ということだ。差異のみ示しているので一見別に見えるが、表面的にも実際にも非常によく似ている。日常的には、ほとんど同じに見える。

 もはや欧米の肉屋が日本に引っ越して開業しても特に社会問題にはならない――江戸時代以前ならなったはず――し、日本人がヨーロッパに行って「動物にも魂はあります!」と演説しても別に火刑に処されりせず――中世ならされたはず――むしろ喝采される可能性が高い。

 もうひとつ、私がこの図示によって強調し、直感的に理解してもらいたいことは、ずっと二階でしか暮らしていないからといって、あくまで二階は一階の上に、一階は大地の上に建てられたのであって、一階や大地がなくなったわけではないということだ。

 にも関わらず、二階があまりにも似すぎていて、同じだと考えても問題がないため、それに慣れてしまい、「普通」でない稀なケースが起きたとき、一階(≒宗教感覚とその歴史的経緯の差異)の存在と、そこから来る影響を、ほとんどの人が認識できない状態になっているのだ。

復習:ブッチャー再び

 本題に入る前に、このモデルで何ができるか、冒頭のブッチャーの話題でテストしてみよう。肉屋を悪魔としてRPGに出してもいいだろうか?

 まず西ではどうだろう。一階の伝統として屠畜の正当化は済んでいる。肉屋はただの一職業に過ぎない。悪魔の王様・悪魔の兵士・悪魔の鍛治屋がいていいのなら、悪魔の肉屋がいてもいいだろう。一階はクリアだ。

 二階はどうか。悪魔の時点で非科学的ではあるが、まあゲームだそれはいい。動物の蔑視はもはや正当化できない。ブッチャーは動物を蔑視しているだろうか? していない。殺しているのは人間だけだ!*19 よって二階もクリアだ。ブッチャーは欧米のRPGに出られる。*20

 東だとどうなるだろう。説明不要だろうが、テストだからあえてしようか。一階の伝統としては、肉屋の悪魔化*21はありうる、というかある意味常にしている。しかし、それは敬遠・隠蔽という形で「表現」されるもので、創作物に誇張して登場させようという発想は全くありえない。

 一階の時点ですでに発想すらありえないが、二階まで来ると、それはさらに加えて重大な差別・反社会的行為であり、明確に禁止されるので、なおさらあり得ない。スクリーンショット一枚からでもDiabloが日本製ではないことを断定できる。

 具体例を通じて納得してもらえただろうか。一階(≒伝統的宗教感覚とその歴史的経緯)の差異が現実に結果の違いをもたらすケースは、未だ存在するのだ。やたらとあるものではないとはいえ、日常から少し手を延ばせば届く範囲にも。

 誰でも自分自身の現在は知っている(自分の現在だから)。自分自身の過去も(自分だから)、相手方の現在も(現在だから)、普通ある程度は知っている。普通知らないのは、相手方の過去(図で言えば向かいの一階)と、大地の部分だ。

 ある意味このシリーズ前半のほぼ全ては、今回の図でいう西の一階の存在に気づき、それに馴染んでもらうためのものだったとも言える。

 クラークが「一秒後、それは惰性で前進をつづける、かさばった物塊でしかなかった。」と書いて、後の解体描写にも何ら抵抗を感じていない*22風なのも、クレアさんが、知能(≒魂のランク)が低い(と見なした)アザラシを動く肉塊のごとく扱ってはばからない*23のも、皆同根である。

やっと本題:東視点

 ここまでの議論をベースに、ようやく今回の本題と言える部分に入れる。実際の社会問題に適用してみよう。

 ここまではずっと、いわば神視点で俯瞰していたが、どちらも相手方の一階と大地が見えなくなっているという話を意識した上で、モデルの中の人間の視点でどう見えるかも考えてみよう。まだしもわかりやすいだろうという理由で、今回は東から先に。

 たとえばつい最近のこのニュース。読者の多くは、「CNN」や「仏」という文字を見なくても、「菜食主義者が肉屋襲撃」と聞けば、たぶん「欧米」――北米・ヨーロッパ・オーストラリア・ニュージーランドなど――の話だろうな、と予想がつくと思う。

 しかし、現代のニュースだということや「菜食主義」という単語すらいったん忘れて、単に「肉屋が肉屋だというただそれだけで襲撃される」だったら、いつどこの話だと思うだろう。歴史上の「西洋」・キリスト教文化圏よりも「東洋」・日本などの方で、遥かにありそうな話じゃないかね?

 この一点に限って言えば、現代の「欧米」の一部の人間は、現代の日本人の平均よりもずっと「屠畜者蔑視」的である。少なくともそう見えることは否定できない。

 これが「動物蔑視の否定」が行きすぎた*24結果であり、日本人がその言葉から通常連想する「屠畜者蔑視」とは違うことを、表面的には一見そっくりでも中身は「別の生き物」であることを、たぶん私たちはもう理解できる。

 そもそもの矛盾を含む大地、一階の違いを作る原因であったトレードオフは、未だに少しも変わってはおらず、「動物蔑視の否定」を突き詰めていくと「屠畜者蔑視」に抵触する部分が出てくるのは避けられないからだ。

 しかし、ほとんどの読者にとって、今それがわかるのは、ここまでの経緯を最初から通しで見てきたからだろう。

 この状況は、向かいの一階と大地が見えていない「普通」の日本人にはどう見えるだろう。

 単純に、相手の二階が自分の一階とそっくりに見えてしまう、つまり相手が、自分達のすでに否定した、遅れた状態にいるように見えるのではないだろうか。

(図の赤字の部分は、今までと違って、全体の趨勢の適切なモデル化ではなく、一部の者の行きすぎと、それへの誤解に基づく錯覚であることを強調するため、色を変えてある。)

ようやく本題:西視点

 逆もまたしかりである。思わず笑ってしまうほどそっくりな構図が西視点でも成り立つ。

 今日、捕鯨・イルカ漁のことは言うに及ばず、小は単なるネット上の小競り合いから、大は本物の国際問題まで、動物愛護関係の国際摩擦は、大概「欧米」の国が批判する側である。*25

 今日「動物の権利が軽視されている」*26と聞けば、たぶん「欧米」発の主張であり、天与の人権を盾に、動物の痛み苦しみを無視ないしは軽視する方向で防衛に回っているのが、日本や「東洋」の非「欧米」の国*27だろうなと予想がつくと思う。

 しかし、おそらく「欧米」の動物愛護的な人も主張するように、人間には神に与えられた特別な権利があるとか、動物には魂はないとかいって、動物差別を徹底してきたのは、歴史上の「東洋」・日本などよりも、むしろ「西洋」・キリスト教文化圏の方じゃなかったかね?

 この一点に限って言えば、現代の「東洋」の一部の人間は、現代の「西洋」人の平均よりもずっと「動物蔑視」的である。少なくともそう見えることは否定できない。

 これが「屠畜者*28蔑視の否定」の結果であり、「欧米人」が通常考えている「動物蔑視」とは違うことを、表面的には一見そっくりでも中身は「別の生き物」であることを、私たち自身は知っている。

 そもそもの矛盾を含む大地、一階の違いを作る原因であったトレードオフは、未だに少しも変わってはおらず、「屠畜者蔑視の否定」を突き詰めていくと「動物蔑視」に抵触する部分が出てくるのは避けられないからだ。

 しかし、そんな経緯を知らず、向かいの一階と大地が見えていない「普通」の「欧米人」には、この状況がどう見えるだろう。

 単純に、相手の二階が自分の一階とそっくりに見えてしまう、つまり相手が、自分達のすでに否定した、遅れた状態にいるように見えるのではないだろうか。

(図の赤字の部分は、全体の趨勢の適切なモデル化ではなく、一部の者の行きすぎと、それへの誤解に基づく錯覚であることを強調するため、色を変えてある。)

まとめ:再び神視点

 最後に、東西の一部の行きすぎとそれへの誤解の部分を残したまま、内部の人視点を解いて、俯瞰視点の一枚に戻してみよう。

 東西から歩み寄った結果、一部の先進的な人同士が気づかずにすれ違い、互いに振り返って「まだそんなところにいるのか遅れた奴だなあ」と馬鹿にしあっている、実に滑稽な構図が直感的に理解できると思うのだが。

 少なくとも前回の解体描写とフランクリンの態度の意味は理解できるようになったと思うし、『ザ・コーヴ』を観たことがある人は、今回の知識をベースに見直してみると、かなり印象が変わるのではないかと思う。

予想される反応と予告

 この回を読んだ人――特にシリーズをずっと読んできたのではなく今回をいきなり読んだ人――の平均的な感想は、おそらくこんなものになると思っている。

 確かに、近年の欧米発の菜食主義論争の背景や、反捕鯨・イルカ漁活動家とそれに反発する日本人の意識の説明としては、一定の説得力のあるものだとは感じる。

 でも、いくら複雑といっても、ブログエントリひとつに詰め込める程度の分量で、中学生でも理解できそうな程度の理屈だろう。

 これが本当なら、なぜ私はこういう話を中学高校で習ってないんだ? 捕鯨問題やイルカ漁問題を扱うテレビ番組で解説してくれようとする学者がなぜいないのだ? お前が表面上筋が通るように作っただけのデタラメなんじゃないのか?

 それにこの構図は、明治維新からとは言わずとも、少なくとも戦後からは、ずっと同じじゃないか?

 この程度の話なんだったら、なんで捕鯨問題なんて発生して、しかも30年とか40年とかいう単位でこじれたりするんだ。とっくに落としどころぐらい見つかっていてもおかしくないように思えるが。

 そうなってないということは、やっぱりそれだけじゃなくて闇の勢力の陰謀とか政府の利権とかなんかあるんじゃないか?

 ……とまあ、このぐらいのことは考えてほしい。私の希望が入っているので、実際の感想も教えてもらえると嬉しいが。

 では、(自作自演ではあるが、)今後のシリーズの予告を兼ねて、これらの疑問にお答えしよう。

 この程度の話なのか? といえば、この程度の話であってこの程度の話ではない、としか言えない。

 これははぐらかしているわけではなくて、間違いなく「この程度の話」である。しかし「この程度の話」と思えるようになったことは、とてもこの程度の話では済まない、すごいことなのだ。

 特に今回の話のごく初期、あなたが当たり前だと思って――少なくとも議論になるポイントだとは思わずに――通り過ぎたであろう箇所で出てきたいくつかの概念は、かなり最近まで使用することができなかった。むしろ積極的にその存在を否定されてきたものまである。*29

 もちろん細かい年代の数字は解釈次第になってしまうが、少なくとも商業捕鯨が本当の国際問題だった*30時期に、この図が存在していたら間違いなくオーパーツだ。

 そうは見えないだろうが、その程度にはすごいものなのだ。もちろん私がすごいんじゃない。すごいのはその間に、意識すらされないうちに大きく進歩した人類文明だ。これはある意味シリーズ後半戦の真のテーマである。

 そして、シリーズ通して読んで来た人には明らかだろうが、イルカ・クジラに関しては、いくつかの特殊事情――その重要要素のひとつはもちろん高知能説――が積み重なっていて、実際に「この程度の話」では済まない部分がある。

 イルカ・クジラも、その特殊事情によって極端にブーストされただけであって、この構図のベースに乗っていないというわけではないが、今回の話はあくまで「この程度の話」、牛・豚・馬・犬などでも同じになる部分だけを扱っていると考えた方がわかりやすいと思われる。

 次回は戻って『海底牧場』の最終回。オリエンタリズムの「糸」もまとめに入る。

*1:『ディアブロ3』(2012)にも登場し、デザインも細部のアップデート以外ほぼ同じ。
*2:そうなっている直接の原因である日本の特殊事情については、読者にとって既知のものとして扱い、このシリーズ内部では扱わない。私はそれについて特に詳しいわけではないし、現在日本で一般的・支配的な意見に異論があるわけでもない。万一全く知らない場合はwikipediaに張られたリンクの先だけでも読んでおくことを勧める。
*3:一度やってみたかった。フォントは『851手書き雑フォント』を使わせていただいた。
*4:北半球偏重主義かもしれないが、このシリーズの興味の対象ではないので、わかりやすさを優先する。
*5第39回でも言ったが、このくくりが乱暴であることは重々承知であり、後でそのこと自体をテーマとして取り上げる。今の文脈では必要かつ適切な簡略化であると考えてあえてそうしている。
*6:細かい数字はどうでもいい。この回では最後まで同じ。
*7:そもそも肉食動物・捕食者というニッチが成立しうるのはそのためだ。
*8:今回の範囲では、基本的な科学的事実に対する説明はしないし、異論も受け付けない。
*9:ホモサピエンスが、純粋なヴィーガン食のみで健康に成長・繁殖してライフサイクルを完結させることは、現代文明の力をフル動員してさえ困難であり、農業・牧畜以前にはまったく不可能だったと思われる。
*10:ただの四角なのは模式図だからであって、私がMinecraftでも豆腐ハウスしか作れないデザインセンスの持ち主であることとは無関係である。
*11:字数の都合上キリスト教で代表させるが、ユダヤ教・イスラム教でもほとんど同じである。
*12:同じく字数の都合上日本で代表するが、非唯一神教文化全般と言った方が適当であろう。中国でもインドでもほとんど同じである。
*13君子遠庖厨也
*14第46回
*15:日常的なことでたとえるならば、誰でも腹が減ったら食べる必要がある。マクドナルドとケンタッキーのどちらに行っても腹は満たせる。しかし、一食で両方に行く必要はないし、実際上不可能でもある。
*16:意見はあってかまわない――私にもある――が、ちょっと後にしてほしい。
*17:読者もおそらく、全能神や輪廻転生を本気で信じている――少なくとも中世ぐらいまでの人間と同じ意味で――わけではないだろう?
*18:直接交流の結果である部分もあるし、科学的・論理的必然の結果である部分もある。とりあえず似た理由は今回は重要ではない。
*19:むしろ犬猫を好んで殺す悪魔という設定だったら無理だったのではないかと思われる。ハリウッド映画などでも、最近は一般に、動物が死ぬ描写は人間が死ぬ描写よりもセンシティブと判断されるようだ。
*20:そういえば昔アブドーラ・ザ・ブッチャーってプロレスラーもいたなあ。そちらはあまり知らないが、そういうリングネームが可能である背景は同じであろう。
*21:ファンタジーRPGでポピュラーな「悪魔」は西洋文化由来だというのは別の話として。
*22第45回
*23第12回
*24:価値判断を含めると論点先取になってしまうので、ここでは単に「その社会の平均よりも」という意味だとしておこう。肉屋が政府に保護を求める(ことができている)のが、攻撃者が主流ではない――少なくとも今はまだ――証拠である。
*25:批判される側も「欧米」の国であることはあるが。
*26:やはり論点先取を防ぐため、その主張の正否・是非はとりあえず問わないとしても。
*27:まあ先のフランスの肉屋もほぼ同じ立場なのだが、それはいったん置いて。
*28:字数の都合で代表するが、肉屋・水族館職員・動物実験を行う研究者・フォアグラ生産者等々でもほぼ同じ。
*29:学校やテレビで教わらない理由もそれに関係している。
*30:すでに誰も本気で大規模な商業捕鯨を行おうとはしておらず、動物愛護問題の側面の強い昨今の反捕鯨問題と異なり、というぐらいの意味。

第46回】 【目次

by 木戸孝紀 tags:


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