ガイア教の天使クジラ12 ビクター・ケラハー『クジラの歌がきこえる』

クジラの歌がきこえる (ときめき文学館)

第11回】 【目次】 【第13回

 いよいよ本当の3人目、真打ち登場だ。金の星社「ときめき文学館」シリーズ『クジラの歌がきこえる』を一緒に読んでいこう。ちなみに奇しくも著者は今話題のオーストラリア人。

1 クジラのかげ

「クジラさん、お願い、もう一度、すがたを見せてちょうだい。」
 クレアは、はげしい風と雨の中でひとみをこらしていた。

(中略)

 クレアは、夏をすごすために群れをつくって南にむかうザトウクジラを観察したいと思い、一年間、なにもかもがまんして準備してきたのだ。
 ザトウクジラのことがのっている本は、かたっぱしから読みあさった。週末のヨットレース出場をたのしみにしていた父親を、やっとのことで説きふせ、ここにつれてきてもらったのに、いじわるなあらしに、めちゃくちゃにされてしまったのだ。

 直後に船は難破。父親は海に流されて行方不明となり、クレアは助かるがヨットはマストが折れて航海不能となる。

 最近の一連のオーストラリアがらみのニュースで初めて知った人もいるだろうが、ザトウクジラはクジラの中でも特別な地位にある。

  • 比較的大きい種であること(特にオーストラリア近海で見られるものの中では)
  • 特に胸びれが長い独特の外見をしていること
  • その歌(オスの求愛の鳴き声)に神秘的要素があると信じられていること

 などによる。あと、こんな娘を持ったばかりに親父かわいそうです。

2 救いの防壁

 やさしく見つめてくれていた夢の中のイルカとは反対に、夜空から見おろしている星は動物の仲間ほど、友好的でないように思えた。

 漂流するクレア。心の支えは現実でも夢の中でもイルカ。

 深読みしすぎかもしれないが、私にはこの星の描写が意味深に思える。都会から追い出された神秘が残されている場所は、神の避難場所は、すでに宇宙ではない。海だ。月を歩いた人間はもう憶えきれないほどいるが、深海底を歩いた人間はまだ一人もいないのだ。

 はじめてクレアは、海の底から、氷のような冷気が立ちのぼってくるのを感じ、ぶるっと身ぶるいをして、ぶきみな暗やみの中を見つめた。

(中略)

 サメ!

(中略)

「あっちへいけ!」
 クレアの悲鳴は、青い水の荒野にのみこまれてしまった。
 そして、もう一度、サメはクレアの下をすべるようにくぐり、通りすぎるときに、サンド・ペーパーのような肌を、クレアの足にこすりつけていった。

(中略)

 サメの体は、まわりの水と同じように、氷のように冷たかった。ざんこくな遊びが大すきなサメは、通りすぎざま、あいさつがわりに、尾でクレアをたたいていった。
「助けて!」

(中略)

 ここぞとばかり、サメがせまってきた。背びれをまっすぐに立て、するどく水を切ってくる。

 えーと、こんな人たちですら最低限の配慮を忘れてないというのに、その扱いは正直どうよ? サメかわいそうです。

 しかし、クレアにとどくいっしゅんまえに、ピカッ、正体のわからない光が、海の深いところでひらめいてはじけた。
 それは、クレアとサメの下のほうを泳いでいた黒いかげから発射され、ぐるぐるとねじれながら浮上してきた一連のあわだった。

(中略)

 クレアは、このきらきらするあわについて、まえにきいたことがあった。たしか、クジラが小さいえものなどをとるときに、この直系三メートルというあわの中にとじこめて、あとで一気にのみこむということだった。

(中略)

「ありがとう、クジラさん。」
 クレアは歯をガチガチふるわせながらお礼をいった。

 まあヒーローの登場には悪役が必要だという作劇上の事情は理解できるのだけど、名前も憶えてもらえないオキアミ・カイアシ・イワシその他諸々かわいそうです。

3 クジラの背に

 クジラが、すっかり成長したザトウクジラが、まだ船の横に浮かんでいた。その巨体は、まさに黒光りする丘だった。ひじょうにながい左右の胸びれは、きょだいなオールのように胴体からつきでていて、ひれの前のへりはこぶのようなもので節くれ立っていた。
 クジラは、もっとよくクレアをみようと思ったのだろう。半分体を回転させて、ごろんと横むきになり、頭の下についた片ほうの大きな目で、
(わたしたちは、なぜか、わかりあっているのね)
 といった感じで、クレアを見つめていた。まるで、自分の目にうつるクレアのすがたに同情しているかのようだった。

(中略)

 まようことはなかった。自分の髪や肌から流れおちる水のように、クレアは自然に船尾をこえて、ひんやりとした海のふところの中にすべりこんでいった。海はまるで、
(もう、きみは陸の生きものではない。われわれ海の住民だよ)
 というように、クレアをうけいれてくれた。

 そう、もうチンパンジーやボノボの同類なんかじゃないよ。

 一頭のかわいい子クジラが、母親の泳いだあとをたどって泳いでいた。(中略)その目は、
(ぼくは、きみのことを知っているよ)
 というように、青白い光の中でかがやいていた。(中略)子クジラらしく好奇心にあふれて、すぐそばを泳いでいくので、白黒まだらのひれのひとつが、クレアの腕をかすっていった。

 もしかしたらサメくんも好奇心にあふれていただけなんじゃないか、とかひねくれたことは言いませんよ。言いませんとも。

 何か異常事態が起きたらしくクジラたちは潜っていってしまいます。

「あんた、だれ……?」
 さけびかけて、それが人間ではなくアザラシだということ、そのまんまるい目がおどろいているだけではなく、恐怖のために光っていることに、クレアは気づいた。

(中略)

 たったいままで、アザラシがいた場所には、かわりにもっと大きな頭と肩があった。ノコギリのような歯のならんだ口を大きくひらいている。がんじょうそうな、首のない胴体は、空を背景に、あざやかに黒と白の二色に色わけされていた。

(中略)

「シャチ!」
 クレアは声を出さずにさけんだ。――シャチ、それは、動物図鑑にかならずのっているクジラのハンターだ。
 殺し屋のシャチは、アザラシの後を追って、水の中にバシャッと、ななめにもぐった。

(中略)

 危機はいっしゅんでおそってきて、いっしゅんで去っていった。
 ついさっき、クレアがうかんでいた水面で、ざんにんで血ぬられた歯がかみあわされるかわりに、すぐ横の水がそっとおしひらかれた。

(中略)

 シャチは、まるでクレアに、わらいかけているようだった。クレアが、ただ食べられるのをまっていたアザラシと、ちがうということを発見したよろこびを、わかちあって満足しているようなわらいだった。
 クレアのほっそりした体や、かよわさをながめているうちに、なぜだかわからないが、仲間意識を持ったのだ。

 私もなぜだかわかりませんが、とにかくアザラシかわいそうです。

 クレアとほとんどおなじぐらいの大きさの赤ちゃんシャチが、クレアの腕にがぶりとかみついた。かんたんに、やすやすと、やわらかい二の腕の肉にくいこむはずだったが、ほんのかすかな歯形を残しただけで、それもすぐに消えてしまった。

(中略)

 一頭が――さっきクレアを持ちあげたシャチだろうか?――頭でつくと、クレアの体を半分水から持ちあげるようにしながら、船のほうに、どんどんおしすすめていった。

(中略)

 シャチが、かるくクレアをつきはなすと、クレアの体は手すりをこえて、コックピットに落下した。立ち上がると、シャチの群れが、船のまわりに集合しているのが見えた。どのシャチも頭を高だかと上げ、大きな口をあけてわらっているようだった。

 このようにシャチは(どんな定義を用いるにせよ)最も知能が高い部類に入る鯨類でありながら同じ鯨類を襲って食う天敵でもあるため、そのイメージは愛憎相半ばするとでも言うべき非常に混乱した地位に置かれている。

 またクジラがやってきます。

4 借りを返す

 クジラもまた、ここではゆったりくつろいでいた。泳ぎまわっているだけではなく、あれた海の中で陽気にさわいでいた。使ったあとの空気はその肺から、まるで勝ちほこっているようにふきだされている。つやつやと黒く、エネルギーにみちみちた巨体は、よろこびをすなおにあらわしながら、はい色の水の上にむくむくともりあがっている。

(中略)

 そのため、クジラが船のすぐ横にうかんできたとき、なんの抵抗もなく手すりをこえて、するりと海にすべりこんでしまった。
 寒くてやかましい風の世界からのがれて、あたたかく静かな波の世界に移住したのだ。木と金属の製品であるもろい船体をすてて、かわりにやわらかい肉と、あたたかい血でできたクジラを選んだのだ。

 血と肉というフレーズにどことなく聞き覚えがあるような気がするけど、さすがにこじつけが過ぎるだろうから何も言わない。

 シャチが現れて子クジラを狙います。

 あたえられた時間は、ほんのわずかだった。クレアは頭を思いきりうしろにそらせると、わーっ! と言葉にならないさけび声をあげた。

(中略)

 たぶん、シャチは、子クジラのまだらな体にしがみついているえものが、とつぜん、みょうなさけび声、ことによると子クジラから習いおぼえた、クジラ言葉ににた言語でわめたので、わけがわからなくなってしまったのかもしれない。

 シャチはどうだか知らないけど、私は確かにわけがわからなくなってしまったよ。結局シャチは去っていきます。

5 侵入者

 クレアは、しばらく、ぐあいが悪かった。とぎれとぎれにねむったり、目ざめたりしているうちに、日がどんどんすぎていった。それでも、体の下で船が南のほうに潮流に乗って進んでいるのは、わかっていた。

(中略)

 船尾からたれさがっているロープを、片ほうの手でかるくにぎって、波の間にうかんでいると、失った体力が、しだいにもどってくるのを感じた。なぜかわからないが、波にふくまれているエネルギーが、クレアの体に入り、つかれをいやしてくれたのだ。

 漂流は続きます。さすがのクレアもお疲れのご様子。ヒーリングに余念がありません。

6 旅の終わり

 これまでになく、目ざめがつらかった。まるで、こおりついた水をくぐりぬけ、冷たい光の輪にむかって、必死でうかんでいくような感じだった。

(中略)

 なんのまえぶれもなく、クジラが空中にとびあがったのは、そのつるつるの海からだった。きょだいな雄のザトウクジラが、元気いっぱい水面をつきやぶり、かがみの破片のような氷を、八方にまきちらしながら、空にむかってとびあがったのだ。
 ジャンプが最高点にたっしたときの光景は、みごとだった。尾だけを水中に残して、全身が水上にでたときには、つきだした鼻先は、氷山の高さに負けないほどだった。

(中略)

 この目のくらむようなショーは、クレアひとりの観客のために、何回も何回もくりかえされた。

 いよいよクライマックスが近づき、盛り上がって参りました。文学表現にツッコむのも野暮だけどブリーチは人間に見せるためにやってるわけじゃないからね。念の為。

 近づいてくる危険を、クレアに最初に知らせたのは、もやの中、どこかでなにかがもぞもぞと動いているのが、ぼんやりと見えたことだった。
 動きにつれて低い音がきこえ、その音がしだいに大きくなって、やがてききまちがえようもない、エンジンのひびきになった。
 そして、クレアは見たのだ。
 捕鯨船の黒い船かげ!
 二度と会わないようにと強く強くいのっていたもの、ただの悪夢の一シーンであってほしいと願っていたものだ。
 なぜなら、たしか各国の協定で、捕鯨船はこの世界に、もう存在しないはずだったからだ。ぜったい!
(本で読まなかったっけ? 雑誌だったかな?)
 けれども現実には、捕鯨船が目のまえにいるのだ。二つの氷山のあいだのせまい海をすりぬけていく。氷山がまっ白なのとまったく対照的に、捕鯨船はまっ黒。だが、氷山のように神秘的ではない。どんなシャチよりもうえていて、きょう暴だ。

 あれだけ仲良くしてたのにまたこの扱いとはシャチかわいそうです。

 死の捕鯨船は、こんどはクレアの右手にあらわれた。へさきが細くとがって、船体は低い。まるで、腹を地にすりつけているオオカミのような形だ。
 つきだした船首の武器は、歯ではなく、すえつけられた捕鯨砲のぶきみな形だった。
 船首に砲手のすがたが見える。いっしんに捕鯨砲の照準器(ねらいを定める器具)をのぞいている人間の顔。クレアは、こんなに感情のない、あたたかみのない目を見たことはなかった。

 オオカミかわいそうです……って、さすがにもう笑えんぞ。私は確かこれが児童文学だったと記憶しているのだが。ちょっと先走って真面目になってもいいかな。確かに君の本は君の子供や孫たちやそのお友達に人気があるかもしれない(あるだろう)。

 だがその孫の孫たちの時代まで君の本が残り、彼・彼女らがそれを読むことがあったなら、彼・彼女らが君の本から感じる取るものは、ときめきではなく戦慄であるだろう。

 ちょうど我々戦後の価値観に慣れきった日本人が、戦前の小学校の教科書(「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」とかね)を読むとそのあからさまな軍事的拡張の礼賛を子供に教え込むことが可能な時代があったことに戦慄せざるを得ないようにだ。

 ひとりと二頭とは、このあれはてた南氷洋の日の光の中で、捕鯨船にせまられながら、完全に孤立してしまった。
 クレアは目のはじで、あの冷たい目をした男が、クジラをうとうと捕鯨砲を左右に操作して、ねらいをぴたりと定めたのをとらえていた。
 体中の本能が、わが身を守るために、クジラからはなれろ! 背中からとびおりろ! と警報をならしていた。

(中略)

 そして、自分でも、考えられない、おそろしい行動だとおどろきながら、子クジラのたいらな鼻づらの上に、すっくと立ちあがり、恐怖にふるえている胸を、もりのとんでくる道にむけて、まっすぐにむけたのだ。

 銛はそれて、クジラは逃げ去る。

 そしてクレアは暗やみの中ではなく、太陽にてらされた、さえぎるもののない夢の深みに急降下していった。きょだいなクジラが歌をとりもどし、子クジラが、かげの中からたのしそうに、泳ぎだしてくる世界に。

 暗転。

7 救出

 ねがえりをうったクレアは、ベッドでいっぱいの部屋をながめ、自分はいま氷山の上にではなく、病院にいるのだということが、しだいにわかりはじめてきた。

(中略)

「気がついたぞ!」
 父のこうふんしたささやき声がきこえ、ほっとしたほほえみをうかべた母の顔が、クレアのほうによってきた。

 よかった親父生きてた。さすがにあのままじゃ浮かばれん。

「でも、本当は、そんなことがおこるはずはないんだよ。ただ、おまえが頭の中で想像しただけなんだ。いいかい、おまえはこのオーストラリア本土の海岸から、百キロ以上はなれたということはありないんだ。船が南部の海岸に打ちあげられているのが見つかったんだ。

(中略)

 父親がそういうのもむりはなかった。世界の国ぐには、何年も前に国際捕鯨船取締条約をむすんで、捕鯨をやめているのだ。
 氷山の問題もある。氷山は、(中略)南極圏の水域にしか存在しないのだ。

 信じてもらえませんでした……が、

「なにがふしぎだったの?」
 母がたずねた。

(中略)

「(前略)クレアを救助してくれた人たちがいうには、(中略)そのウエットスーツは塩で固くなっていたそうだ。まるで……まるで、クレアがながいあいだ海の中にいたように。」

(中略)

「最後に、もうひとつあるんだ。わたしは、三十分ほどまえ、おまえたちをむかえにくるまえに、グリーンピース(世界的な環境保護団体)の本部に電話をかけて、捕鯨船はいまもあるのかきいてみたんだ。すると、その答えは、まだあるということだった。さいきんでは調査船とよばれているそうだが、じっさいはいまでもクジラをつかまえているのだそうだ。」

(中略)

 もう一度、クレアは本当におこったことを話したいという気持ちにおそわれた。ところが、まったく急に、そんな必要などないということに気づいた。
 真実を知っているだけでいいではないか。自分が見たり、やったりしたこと、すべてについて、自分自身の心の中で確信していさえすればいいのだ。

 よくぞ気づいた。それが信仰というものなのだよ。

 車の窓からさしこむ強い日の光にまばたきをして、クレアは、ふいに自分のまわりの空気の中に、あのオキアミのようなほこりのつぶが、無数にうかんでいるのに気がついた。
「そう。」
 クレアは満足げに息をすいこんだ。
「クジラと旅していたときは、どんなことがおこってもふしぎじゃなかったわ。どんなことでも……。」

 めでたしめでたし。ついでに作者と訳者のあとがきも覗いておこう。

●日本の読者のみなさんに ビクター・ケラハー

 わたしは、日本の子どもたちがこの物語を読むことを通じて、オーストラリアの子どもたちや作者のわたしが、どんなに深くクジラたちを愛しているか理解くださり、ともにクジラへの愛をわかちあってくださることを、かたく信じています。(後略)

●訳者あとがき

 本作品『クジラの歌がきこえる』は、原題「Where The Whales Sing」(クジラたちの歌う場所)といって、原作者は、オーストラリアを代表する児童文学者のビクター・ケラハーさんです。

 冗談だと思うか? 私の見る限り冗談じゃないぞ。(英語版Wikipedia)

 この本があなたにとってのごんぎつねやアンパンマンやナウシカだったらと想像してごらん。それが彼らの住んでいる宇宙だ。

 もう分かったろ? 日本人を殺すテレビCMを作ったり日の丸にペンキぶちまけるパフォーマンスをしてるオーストラリア人たち、彼らは決して頭がおかしいわけじゃないんだ。与えられたそもそもの前提が違うだけなんだ。

 もちろん日豪軍事同盟阻止のために送り込まれた中国共産党の工作員とか牛肉売り上げ増進のための食肉業界のエージェントなんかもどこにもいないんだ。

 日本社会だけで暮らしているとわかりにくいことだけど、人間の精神には、電波か科学的か、もうかるかもうからないかなどという、あなたが普段慣れ親しんでいる軸には載らない別の次元があるということを理解するんだ。簡単なことではないけれど、そんなに難しいことでもないよ。

 すると、ケラハーさんは、クジラのようにやさしい光をたたえた目でいいました。
「かなしいことに、人間がクジラを助けた話は少ないですが、クジラが人間を助けた話は、ギリシャ神話の時代から数えきれないほどあります。

(中略)

 わたしは、クレアとケラハーさん一家には、多くの共通点があるのに気づきました。どちらも才能ゆたかですが、なによりもすばらしいのは自立心がさかんで、どんな困難にもくじけない勇気とにんたい力を持っていることです。だからこそクジラたちはクレアを助け、サメやシャチも危害をくわえなかったのです。
 ケラハーさんが音楽を深く愛していたので、クレアにはクジラの歌声がきこえ、ことばがわかり、クジラを救うことができたのです。クジラの歌は四百キロも遠くまでつたわるということですが、その愛の歌声が、この本をつうじて読者のみなさんにとどくことを信じています。

 頭がクラクラするって? 安心して、今度こそおしまいだ。いい加減長大なエントリになっているので、詳しい評価は次に回すが、とりあえず私の予想が確かなら、本場の迫力とでもいうべきものが伝わったのではないかと思う。

 第2回を見たときは「ひどいこじつけだな」ぐらいにしか思っていなかった人もさすがに信念がぐらついて不安を感じるだろう。でも大丈夫、怖くないから。面白いよ、私が保証する。まだまだ先は長いけど最後までついておいで。

第11回】 【目次】 【第13回

おまけ

 そうです。狙ってました。ごめんなさい。

コメント

  1. 木戸孝紀 より:

    >yukiさん
    えええ何故!? ラッセンかわいそうです。
    まあラッセンは普通に悪徳商法(エウリアンでググれ)の格好の
    小道具だったりするから嫌いになって損することもないと思うけど、
    スキとかキライとかそういうすぐ極端から極端に振れるのは感心せんなあ。
    私がわりと詳細にあまり愉快でもない文章を紹介してるのは
    相手が理解できないからといってむやみな恐怖に捕らわれて
    アホな陰謀論にすがっちゃう人たちを撲滅するためなのよ。
    血も凍ると表現したくなる気持ちはわかるけど本文に書いたように
    本当は怖くなんかないんだって。なんか『最後の喫煙者』読んで
    震え上がってタバコやめちゃった編集者がいたとぼやいてた
    筒井康隆のエピソードを思い出すなあ。
    あと本当なんですかっていうか嘘付いてどうすんですかっていうか
    amazonでも中古1円(ただし送料は300と何十円かかかる)で買えるから、
    少しでも疑いがあったら自分で原典に当たりましょう。
    私が見落としてる何かを発見できるかもしれないよ。
    >鯛
    人間見たいもんしか見えないもんなのです。

  2. より:

    海岸に打ち上げられた鯨を救助する話ってたまに聞くよね。

  3. yuki より:

    これ本当なんですか?なんというか・・・血も凍りますね。わたしラッセンの海の絵とかスキだったんですけどちょっとだけキライになっちゃいそうです。

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