バート・D. アーマン『破綻した神キリスト』

破綻した神キリスト

 『捏造された聖書』の著者の本。こちらはそこまで面白くはなかった。極東ブログの書評が非常に詳しく、私もほぼ同意できるのであまり書く事がない。

 ヨブ記がどんな話かとか黙示思想がどんなものかとかをあまり知らない人の方がむしろ新鮮で面白いかもしれない。黙示思想は今でもこんな形で現れたりするものだし、知っておいて損はないと思う。

 ただ、これに関連して『多様化世界』の記事で予告していたフリーマン・ダイソンの神学についての話を思い出したので、この機会に概略だけ先に書いておきたい。

 ダイソンの自伝『宇宙をかき乱すべきか』によると、彼は「神も完全な存在ではなく成長過程にある」という珍しい派の神学に近い考え方を持っているそうだ。それでも、彼は紛れもなくキリスト教の神・造物主を信仰している。なんと言ってもテンプルトン賞をもらってしまうぐらいである。

 彼のような考えでは、世界に苦しみが存在する理由は平たく言えば「造物主が宇宙に最大の多様性を実現させるために必要な試練であるから」ということになる。もちろん私を含む最初から信仰を持たない人間には、これは馬鹿げたことに感じられるであろう。

 苦悩、あるいは私たちがそう呼ぶところの脳神経の働きなどはパンダの親指同様に、そしてもちろんその他のありとあらゆるものと同様に、単に進化の産物のひとつにすぎず、この宇宙がそのような進化を可能にするような複雑な宇宙であることにも弱い人間原理以上の理由はない、少なくとも必要とされないだろう。(この辺参考)

 ただし、最大の多様性(より正確にはおそらくマレー・ゲルマン言うところのEffective Complexity:実効複雑度あるいは実効複合度)をこの宇宙に実現させることを目標と考えることは、造物主の意志を持ち出さずとも無意味ではない。

 無意味どころか、私には非常に悪くない考え方だと思えるのだ。およそ善や正義や普遍的価値に関する、これまで試みられた他の全てを除けば最悪の考え方と言っていいのではないかというぐらいに。

参考リンク

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おまけ

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