土居健郎『「甘え」の構造』

「甘え」の構造 [増補普及版]

 英語には日本語の「甘える」に相当する言葉がない、という話から始まる日本論。Wikipediaにも項があるようなベストセラーだったそうだが最近まで知らなかった。私にはやはりこれは日本論というより裏返しの一神教論として読めてしまう。

 たとえば浄土真宗では他力本願といって、自己の力で悟りを開いて成仏するなどという考え方は捨てて、ただ阿弥陀如来の力にすがるべし、というようなことを強調するわけだが、思えば『歎異抄講話』では、その感覚を“赤子が母親の乳房にすがるように”というように表現していた。

 キリスト教にも、救済には神によって決められる(すでに決められている)もので自分の力でどうにかなる問題ではない、というような一見よく似た思想はあるわけだが、この場合“赤子が母親の乳房にすがるように”神に頼れってのは、まったくありえない形容だわな。「キリスト教の神は男性じゃねえか」と思うかもしれないが、そういう意味では阿弥陀如来が女性とされているわけでもないし。

 全体としてはかなり面白かった。類似の内容では『空気の研究』以来。ページ数も手頃なのでおすすめ。他に気になったところを2箇所ほど。

 天皇は、諸事万端、もちろん国政に至るまで、周囲の者が責任を以て万端漏なきよう取りしきることを期待できる身分である。したがって天皇はある意味では周囲に全く依存しているが、しかし身分上は周囲の者こそ天皇に従属している。依存度からすれば天皇はまさに赤ん坊と同じ状態にありながら、身分からすれば日本最高であるということは、日本において幼児的依存が尊重されていることを示す証拠とはいえないであろうか。天皇に限らず日本の社会ですべて上に立つ者は、周囲からいわば盛り立てられなければならないという事実が存するが、これも同じような原則を暗示するものである。いいかえれば、幼児的依存を純粋に体現できる者こそ日本の社会で上に立つ資格があることになる。素直ということが古来最高の美徳としてもてはやされていることは、この点を裏書きするものといえるであろう。

 あまり関係ないのだが、東方の設定のユニークさに対する興味は継続中である。次に機会があったら、テーマはたぶん理想化された日本社会である幻想郷の“ひとり天皇家”としての博麗霊夢

 現代の疎外は、人間が近世の曙以来理性によって自立し自己充足できると思ったにも拘らず、そうはいかないことを発見したことに、究極的に由来すると考えられるからである。面白いことは、このことがすでに十九世紀の初頭ゲーテによって予感されていたことである。すなわち彼が創作したファウストという人物は、ルネッサンス的な人間として登場するが、しかし実際のルネッサンスの人間のようには、自信と喜びに溢れていない。むしろ彼は思索と研究に倦み疲れ、自己に絶望して毒を仰ぎ命を絶とうとするが、ふと聞えた復活節の歌声に気を取り直して思い止まる。しかしそれは彼の信仰が甦ったからではなかった。彼はむしろ信仰がないことをあらためて自覚する。歌声が、過ぎ去った幸福な幼年時代を思い起こさせたことが、彼をして死を思い留まらせた原因だったのである。その後彼はあらゆる分別をふりすてて、メフィストフェレスのいざなうまま、さまざまの冒険に身を委ねる。しかし遂に真の満足を経験することなく死に至るのであるが、その時ゲーテは、天上の合唱隊に「永遠に女性なるもの、我等を引きて往かしむ。」と歌わせているのである。

 一体これは、現代人の魂の遍歴を暗示している、といえないであろうか。すなわち現代人も自らの理性に依り頼んであらゆることを試みた後、自己に絶望しはじめている。たしかに科学文明は人間の力を誇示した。しかしそれはもはや往年のごとく人間にとってインスピレーションとはならない。人間は生命的枯渇感を覚え、これを恢復するため今一度裸の人間にかえって感性的に生きようと決心する。そしてこの新たな探求は、ファウスト劇の最後の言葉が暗示するように、母性的なものへの憧れ、いいかえれば甘えに導かれているように思われるのである。

(中略)

 現代文明に接する新しい世代の感覚という観点から論じてみても、同じように人間疎外の意識が導き出されるように思われる。すなわち、現代文明の巨大かつ複雑な機構に接した場合、新しい世代は、未開人と同じく、ほとんど畏怖に近い感情を抱くのではなかろうか。殊に文明による環境破壊があらわになった今日ではなおさらのことである。

 ファウストをそういう読み方をしたことはなかったが、よくわかる。現代の先進国に住む進歩的な人が、キリスト教を「後れた差別的な狂信」と否定したと思ったら一直線にスピリチュアリズムに走ってしまうことがあるのは、まさにこういうメカニズムだろう。

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