2010 9/15

つぎはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?

1章 脳の設計は欠陥だらけ?
2章 非効率な旧式の部品で作られた脳
3章 脳を創る
4章 感覚と感情
5章 記憶と学習
6章 愛とセックス
7章 睡眠と夢
8章 脳と宗教
9章 脳に知的な設計者はいない

 「進化上の制約」という観点から一本筋を通した脳本。

 最近流行なのか、よく似た感じの本もありそうだけど、初心者向けで、かつレベルも低くないので大変おすすめ。

 個人的に、1箇所だけ飛び抜けて印象に残ったのは、

  • 夢に怖いものが多い理由は、記憶を整理・統合するにあたって「この記憶を定着させよ」って信号を出す一番単純な方法が「怖がらせること」だからなんじゃね?

 という著者の仮説。かなりいいところをついていそうな気がする。というか、たぶんほぼ当たりじゃないか? 賭けられるもんなら幾らか賭けたい。

関連書籍

おまけ

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2010 7/17

人間らしさとはなにか?―人間のユニークさを明かす科学の最前線

 これはかなりおすすめ。タイトルそのものの内容に興味がある人すべてに。

 本編だけで500ページ以上ある、すごい大著だけど、これでもかというぐらい様々な内容が次から次へ出てくるので飽きない。

 関連書籍に並べた本のような多様な分野の研究に言及されるので、最初の1冊としてもベストじゃないかと思う。

 つまり、まずここから読み始めて気になった参考文献を辿っていくという使い方にもってこい。

関連書籍


おまけ

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2010 5/29

スウィート・ドリームズ (NTT出版ライブラリーレゾナント059)

 目下バカ検知ワードとして大活躍中の「クオリア」についての議論。

  • 分子やエネルギーについて何もわからなかった頃の「フロギストン」や「カロリック
  • DNAや酵素について何もわからなかった頃の「生気
  • 素粒子や時空について何もわからなかった頃の「エーテル

 などと同様に、まだ神経や脳について詳細がわからない時代であるが故に抱くことが可能であるだけのどうでもいい概念だというのが著者の立場。

 内容そのものは特に珍しいことはない。むしろ、それ以外の立場がこうしてまだ真面目な議論になるほど生き残っているのだということを奇妙に感じた。

 やはり現在は、脳が理性と神秘と境界線上に載っている過渡期なのだろう。

参考リンク

関連書籍

おまけ

 夢→『パプリカ』

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2010 5/18

動物感覚―アニマル・マインドを読み解く

 「動物福祉」にたずさわる「自閉症」の「女性」の「共著」。……何このスピリチュアルアンテナにビンビンくるキーワードの羅列!

「おお、彼女こそ動物たちと魂の触れ合いができる天使のようなピュアな心の持ち主! 環境ホルモンまみれのマクドとかむさぼり喰ってる愚民ども今すぐ有機野菜買わないと地獄に堕ちるぞ!」

 みたいな内容だったらどうしようと警戒しながら読み始めたので、意外にも大変まともな内容でものすごく得した気分。

 イルカ高知能説のなごりがわずかに見られるが、そういうのに釘を刺しているところもあるし、全体的には全然許せるレベル。

 動物の本としても脳科学の本としても自閉症の本としても、それぞれ超一級品。非常にオススメです。

参考リンク

おまけ

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2009 2/3

脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ

 突然ですが問題です。次のふたつの言葉は、一方が基本的な攻撃呪文で、もう一方が基本的な回復呪文です。どちらがどちらでしょう? すでに答えを知っている人は知らないつもりで答えてください。

  • ディオス
  • ハリト

 わかりましたか? では続いてもう一問。やはり一方が基本的な攻撃呪文で、もう一方が基本的な回復呪文です。どちらがどちらでしょう? 答えを知らない人はいないような気がしますが、一応知っている人も知らないつもりで答えてください。

  • ギラ
  • ホイミ

 さあどうだろう。実は最初の問題はウィザードリィの魔法で、ハリトが攻撃魔法、ディオスが回復魔法なのだが、知らなかった人の正答率は半々にしかならないのではないだろうか。もしかしたらちょっと下回るかもしれない。

 対して、後の問題はもちろんドラクエの魔法である。知らない人はほぼいないと思われるが、ギラが攻撃魔法でホイミが回復魔法だ。たとえ知らなくても間違える人間はほとんどいないことに、あなたは同意できるだろう。

 しかし、なぜそれがわかる? 知らない人間がどう思うかなんて、普通に考えたらわかるわけがないだろう? それが今回の主題。このような現象は、

 と呼ばれている。

 数字の桁数の件もよく似た構図だが、要するに魔法をCGで視覚的に表現することができなかった時代に、共感覚的なものでそれを補おうとした工夫なのだ。こうした工夫の積み重ねが今でもドラクエブランドを支えている。

 だからなんだというわけでもなく、立て続けにドラクエの記事脳の記事がヒットしたので、合わせてみたらどうなるかなと思っただけなのだが、FF13(公式:音注意)がCGを極限に突き詰め、DQ9はDSで出るという戦略は、基本的に正しいんじゃないかな。

おまけ

 いまだにゲームと言えばドット絵しか思い浮かばない私。

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2009 1/25

脳のなかの倫理―脳倫理学序説

 分離脳についての実験からは「説明装置」とでも呼ぶべき機能が左脳側にあることが示唆される。たとえ(分離脳の状態になければ右脳から送られたであろう)正しい情報がなくても説明装置はとにかく結論を出す。

 端から見ている実験者の立場ではそれはどう見ても作話であるのだが、どうも(少なくとも言葉で説明ができるような)自我は、脳で働いている様々なモジュールがそれぞれ高度に専門化された仕事をこなした後の最終結果しか知らされていないようである。

 交通事故などで手足の神経を損傷した患者が「これは私に見つからないように隠れている他人の腕なんだ」とか「誰かが死体の腕をくっつけたのだ」とか、かなりトンデモない考えを抱くようになることがあるという。これは必ずしも現実を受け入れたくないがための通常の精神作用のひとつとばかりは言えないようだ。

 というのも全く健康な被験者であっても、鏡などを巧みに使ったトリックによって自分の手が勝手に動いているかのような錯覚を与える実験を行うと、あるはずのない「本当の」理由を作話したりすることはあるからである。

 この場合、交通事故の患者は明らかに頭がおかしくなったのではない。正常に機能していないのはあくまで腕の神経だ。腕は見えるのにその神経から信号が来ないという矛盾する情報を、説明装置が「正常に」処理した結果、間違った結論に達したのだ。

 これらのことから言えそうなのは、幻聴や幻覚に苦しみ様々な妄想を抱き、一般に「頭がおかしい」と言われる精神病の患者も、実は「頭がおかしい」のではないのではないかということである。

 正常に働いていないのが、腕の神経を損傷した患者に対して「頭がおかしい」わけではないと言う場合の“頭”が指しているのとは別の脳の部位であるだけで、妄想の部分は、幻聴や幻覚という間違った情報を与えられた説明装置が、不完全な情報からでも素早く何らかの結論を出そうと「正常に」動作した結果なのではないか。

 これは進化的な見方では妥当なことだろう。現実の様々な制約のために情報が不完全なのは常であるし、野生状態で「情報が足りないから判断を保留しよう」などと哲学的に正しい態度など取っていたら、あっという間に食われるか殺されるかである。たとえ情報が不完全であっても素早く結論を出して行動に移さなければならない。

 全ての人間は生得的に、目が開いて間もない赤ん坊の頃からある種の高度な能力を備えている。丸の中に3個の点があるだけでもそこに顔を見るし、画面上を動いているふたつのドットを見ただけで、そのドットが捕食者から逃げようとか、獲物を捕まえようと「思っている」ことがわかる。

 慣れすぎているので普段は特に意識もしないが、よくよく考えると全く信じられないような恐るべき能力である。スマイルマークが笑っているわけがないではないか? ドットに逃げようとか捕まえようとかいう意志があるわけがないではないか?*1

 あるはずがないドットの意図を読み取ってしまう能力は、あるはずがない自分の意図を作話してしまうのと同じ説明装置が関わっていると考えるのが妥当だろう。他者の意図を読み誤るのが分離脳の話と違って奇妙に感じないのは、他者の正しい情報が得られないのは、全く当然のことだからだ。

 しかし、このトンデモないと言いたくなる程の強力な能力がなければ、我々はマンガを読むこともできなければ、ビデオゲームを楽しむこともできないだろう。そもそもこの能力はいったい何のためにあるのか? それはわかる。もちろん生きるためだ。

 あなたがテレパシーとか魂の交感のようなことを信じているのではない限り、あなたが他の人間だと思っているものは、最終的に五感となって到達する様々な情報を「擬人化」したものにすぎない。普通それを「擬人化」とは言わないのは、単にその元になった情報を発したのが本当に人間だからだ。

 徹底的に群居性の動物であるホモ・サピエンスにとって、他の人間の表情を読み心理を洞察する能力は死活的に重要である。目の前のサーベルタイガーが「腹が減ったからお前を食べたい」と思っているのか「ねぐらに戻って眠りたいからそこをどけ」と思っているのか判断できる能力も、生存には少なからぬ重要性があっただろう。

 対して、子供の頃に天井の染みがお化けの顔に見えてしばらく眠れなくてもちっとも困らないし、たまに風に揺れる木々・荒れ狂う川に意志があるように見えたからといって、そんなに困ることはあるまい。

 仮にそのような錯覚を起こさなくなることが可能だとしても、その代償として周りの人間や動物の表情を察したりその心理を推論したりする能力が、ほんの少しでも減退するなら、それは全く割に合わない取り引きとなっただろう。

 人間の意図・心理・戦略――別の言い方をすれば心や魂――を見て取り推論を立てる説明装置の能力が十分に高まると、ほとんど不可避的に最も祖先的な宗教形態であるアニミズムが生まれるだろう。

 人間の意志など全く無関係に動く自然現象や、世界経済や国際政治などあまりにも多くの要素が複雑に関わりすぎて単純な目的や意図通りには動かないシステムに対して、人間・動物の一個体の意図を判断したり、心理・戦略を扱うため作られた説明装置をそのまま適用してしまうと、それは無論誤りであり、説明装置は陰謀論生成装置となってしまう。

 陰謀論は現代の宗教であると以前書いたが、この場合逆もまた真で宗教は神が「犯人」の陰謀論であるとも言えるだろう。また「陰謀論」だから自動的に間違いというわけではない。個人あるいは利害を共有する特定の小集団に対する「陰謀論」は全く何の問題もないのである。それは陰謀論生成装置(=説明装置)の正しい使い方なのであるから。*2

 我々は毎日陰謀論生成装置を使っている。人間を見る度・話す度に陰謀論生成装置を使っている。誰にも会わずともマンガを読んだりゲームをする度に陰謀論生成装置を使っている。何もしていないように見えても、内省する度に陰謀論生成装置を使っているのである。

*1:無論この場合は、プログラムまたはデータを作った誰かに、そう見せようとする意志はあったのであるが。
*2:正しい使い方であっても間違えることはもちろんあるが、それは別の話。

関連図書

おまけ

 これはカオスのキワミ。

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2008 5/25

Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム

 もう何年も前の話だが『Mind Hacks』という本で“サビタイジング”という効果のことを知って、どうして歴代FFの戦闘画面のうちFF4のものだけがこんなにも見づらいのか? という長年の疑問に決着がついた気がした。

(FF4:6分過ぎから戦闘シーン)

(FF5:1分半から戦闘シーン)

 最初に思いつく説明は単純に縦にキャラが5人・ステータス画面5行が並ぶのは多すぎるからというものだが、FF5やFF6でも4人(4行)はいるのに、その戦闘画面は全然見づらくない。この差は数1つの違いだけでは到底説明がつかないと思っていた。しかし、

 サビタイジングの際、脳では、普通に数を数える場合と全く異なった処理が行われているように思える。いくつかの実験により、数える物が4つまでの場合は、1つあたり40〜80ミリ秒で数えられるのに対し、それを超えると、必要な時間は1つあたり250〜350ミリ秒に増えるということがわかっている。

(中略)

 サビタイジングの場合は、意識して注意を向けるというようなことは必要ない。視点を物から物へ移すこともない。(中略)そのため、研究者の中には、「サビタイジングは動作ではなく、視覚信号処理の副作用である」などと主張する人もいる。

『Mind Hacks』P134-135ページ

 というわけなので、実際に起こっているのはおそらくこういうことだろう。

  • プレイヤーが視線を移動させる。
  • 脳はそこにキャラが何人いるか・コマンドやメッセージが何行あるかを、無意識的に把握しようとする
    • 4人・4行の場合、無意識のまま約240ミリ秒で数え終わる
    • 5人・5行の場合、一瞬意識を持って行かれ、約540ミリ秒で数え終わる
  • 次の行動に移る

 戦闘中画面においてプレイヤーは、コマンドを入力し(下)・アニメーションを見(上)・ステータスを確認する(下)、といった具合に頻繁に視線を移動する必要がある。その度に一瞬数えることに意識を持って行かれて、約300ミリ秒を無駄にさせられることの積み重ねが「見づらい」という印象となって現れるのだろう。

 要するに4人(4行)と5人(5行)の間には実際に越えがたい差があり、5という数は多すぎるという最初の説明以上のものは必要なかったという結論になる。だからなんだというほどのものでもないが、もしかしたら誰の役に立たないとも限らないので書いておく。

おまけ

 年代的にヒャダイン氏の作品はいつもツボに入ります。

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2008 2/11

人間の測りまちがい 下―差別の科学史 (3) (河出文庫 ク 8-2)

第21回】 【目次】 【第23回

 スティーブン・ジェイ・グールド『人間の測りまちがい』を先に進める。

ルイ・アガシ――アメリカの多起源論の理論家

 私は二人の著名な多起源論者にしぼって話を進めようと思う。一人理論家のアガシであり、もう一人はデータ分析家のモートンである。まず手始めに、私は、かくされた動機および、その支えとなった中心的データのごまかしの双方を掘り起こしてみたい。いぜんとして奴隷を使い、原住民を故郷の土地から追い出している国が、黒人とインディアンは白人とは別の種であり、劣等だという理論の基礎づくりをしたのは決して偶然ではない。

(中略)

 アガシは一八五〇年の『クリスチャン・エグザミナー』で人種に関する大論文を公にしている。彼はこの論文を始めるにあたって、多数のアダムという説を唱えることで不信心者だと彼を非難するであろう神学者、また、奴隷制の擁護者というレッテルを彼に貼るかも知れない奴隷制廃止論者、このいずれをも煽動家であるとしてしりぞけている。

 ここに提唱した見解に対して、それは奴隷制を支持することになるとして非難されるが……それは哲学的研究に対する公正な反論であろうか。ここでは人間の起源の問題についてのみ論じられるべきである。その結果に対して、政治家や、社会の管理を求められていると自認している人々に自分達が何をなしうるかを見せてやろう。……とはいえ我々は政治的内容を含むいかなる問題ともかかわりあうことは拒否する。(中略)」(一八五〇年、一一三ページ)

(中略)

 アガシは自分の研究が自然誌の客観的探究であり、正当なものであるとはっきり述べていたにもかかわらず、この論文の終わりに近づくと、突然立場を変え、道徳的要請を持ち出す。

「地球上では、いろいろな場所に、さまざまな人種が生活している。彼らは肉体的にも特徴が違っている。この事実は……科学的観点から、これらの人種を相対的にランクづけ、それぞれ固有の特徴を相対的に評価する義務を我々に課する。……哲学者としてまともにそれをさぐるのが我々の義務である。」(一四二ページ)

 人種の価値に差があり、それが生得的なものだという直接的証拠としてアガシが試みに持ち出したのは、コーカサス人種の文化のステレオタイプ以上のものではなかった。

支配されうることのない、勇気ある、自尊心の高いインディアン――服従的で、こびへつらい、ものまね好きな黒人、あるいは油断のならない、ずるく、ひきょうなモンゴル人種、それらに比べてインディアンはいかに違った光の下に立っていることか。この事実は自然では異なった人種を同一のレベルにランクづけられないことを示していないのだろうか。」(一四四ページ)

 以前誰かが、捕鯨反対派の鯨の見方を「海の白人」と言っているのを見たことがあるが、これは私にはかなり違和感がある表現だ。鯨を擬人化したがるのがガイア教の性質であることは確かだが、それは一般的な傾向であって鯨に限った話ではない。なんと言っても地球を擬人化しているのだし。

 何よりガイア教徒は一般に自分たち自身が嫌いである。ラッセンの絵画に人間が決して登場しないのは、醜い人間の姿などわざわざ金を払ってまで見たくないからだ。自分たちのイメージを鯨に近づけることは好き*1でも、鯨のイメージを自分たちに近づけたがることはあまりありそうにない。

 あえてガイア教における鯨を天使でなく人間で表すならば、「白人」よりも「インディアン」の方がはるかに妥当に思える。

 本筋を外れるのであまり追及しないが、ニューエイジ系*2のトンデモさんが好意を寄せる時のネイティブアメリカンの記述は、ガイア教において描かれる鯨の姿と瓜二つであることが、ままある。*3

 もちろんネイティブアメリカンの人々に、特別*4動物に似ているところなど何もない。同じ人たちが自分の勝手な理想像を投影しているからそうなるのである。

 その流れで南半球に目を向けるなら、オーストラリアやニュージーランドのガイア教徒がアルビノのザトウクジラにアボリジニの言葉で名前を付けるのは、私にとっては極めて自然な現象である。多くの反反捕鯨派が言うような倒錯には見えない。*5

 どのように客観的にランクづけされようが、黒人はその梯子の一番低いところを占めるに違いないとアガシは断言する。

「すべての人種が同じ能力をもち、同じ権力を享受し、同じ自然の配置を示すと仮定し、また、このように平等であることから、すべての人種が社会において同じ立場で権利を与えられると仮定するのは、偽りの博愛主義であり、偽りの思想であると思われる。そのことは歴史が物語っている。……このアフリカというコンパクトな大陸には、白色人種と絶えず交流し、エジプト文明、フェニキア文明、ローマ文明、アラブ文明の恩恵を享受してきた集団がみられる。……それにもかかわらず、この大陸には、黒人によって統制された社会は育たなかった。このことは文明社会がもたらす利点に対して、この人種はもともと無関心で、無頓着であることを示しているのではないだろうか。」(一四三〜一四四ページ)

 アガシは自分の政治的態度を明確にしなかったが、特別な社会政策を提唱してこの論文をしめくくっている。彼によれば、教育は生得的能力にあうようになされるべきだという。黒人には手作業、白人には知的作業というように。

 根本的に差異のあるさまざまな人種に対して与えられるべき最良の教育とはどのようなものだろうか。……平等という名目の下で有色人種を扱うよりも、むしろ我々と彼らの間に存在する真の差異を十分に認識し、彼らの中に顕著に印された気質を育てたいと願いながら彼らと交流するならば、彼らに関する人間味ある行動を思慮深く行うことができるであろうということに我々は少しも疑問をもっていない。」(一四五ページ)

「顕著に印された」気質とは、柔順に人に従い、すぐまねをするというものであるが、この表現からアガシが心に抱いたことがどのようなものか、容易に想像することができる。私がこの論文をくわしく取りあげたのは、これが、社会政策の提唱が科学的事実の冷静な探究として述べられている典型的例であると考えたからである。この戦略は今日でも決して死んではいない。

 南北戦争のただ中で書き続けたその後の手紙で、アガシはもっと強烈に、もっと長々と自分の政治的見解を示している(中略)。アガシは自分の立場を長い熱烈な四通の手紙で論じた。アメリカで黒人の人口が増加し、永久にそれが続くことをきびしい現実として認めなければならない。立派な誇りに支えられたインディアンは戦いで死ぬであろうが、「黒人は生まれつき、言いなりになる性格ですし、環境に同化しやすく、一緒に生活する人のまねをします。」(一八六三年八月九日)

 ほらまたインディアン。今後見てもらう機会があるかわからないが、捕鯨によって「誇り高く死ぬ」鯨はガイア教の大のお気に入りのモチーフだ。

 そもそもインディアンのイメージが黒人のイメージとかなり違っていた、ということを知っている人は日本じゃあまりいないのではないだろうか。どちらも差別されていた*6としか思っていないのではないかと思う。私も初めて読んだときはかなり意外だった。

 法律上の平等はすべての人に許されるべきだが、社会上の平等を黒人に与えるべきではない。でないと、白色人種は黒人と混りあい薄められてしまう。「社会上の平等などいつの時代にも実行不可能だと思います。それは黒色人種の性格からみて当然のことです。」(一八六三年八月一〇日)というのは、「他の人種と違って黒人は怠けもので、遊びずきで、感覚的で、すぐ人のまねをし、卑屈で、お人好しで、きまぐれ、目的が変わりやすく、何にでも夢中になり、ほれこみます。彼らは子どもの心のまま大人の背丈になった子どもと比べうるでしょう。……ですから、社会的混乱をまねくことなしに同じ一つの社会で白人と平等に生活するのはむずかしいと思います。」(一八六三年八月一〇日)黒人は統制を受け、制限されるべきである。社会的特権が無分別に与えられると、あとで不和の種をまくことにならないように。

「資格がないのにそれを使う権利をもつものなどいません。……黒色人種に対して、はじめに余りにも多くのものを与えすぎないよう気をつけるべきでしょう。そうでないと、我々の不利にもなり、彼ら自身の損害にもなるような使われ方をする特権のいくつかをきびしく撤回することが必要となります。」(一八六三年八月一〇日)

 アガシにとって、混血によって人種が混りあってしまうことほど恐ろしいことは考えられなかった。白人は黒人と別々になっているから強いのである。「混血は、文明社会での近親相姦が人格の純潔さに対する罪であるのと同じように、自然に対する罪です。……人種混交の考えは、私たちがかかえる困難の自然な解決になるどころか、私にとってはただただ、おぞましく感じられることですし、あらゆる自然な感情の悪用です。……いずれが私たちのよりよい本性、また、より高い文明やより純粋な道徳の進歩と相容れないかを調べる努力を惜しむべきでぱないと思います。」(一八六三年八月九日)

(中略)

 最後にアガシは、混血し、弱められた人々の究極の危機を警告するために、強烈なイメージとメタファーを結びつけている。

「もし、この合衆国に、祖先を同じくする国々から渡ってきた雄々しい人々に代わって、白人の血が混った混血人種、ハーフのインディアン、ハーフの黒人など女々しい子孫が住むようになったら、共和国の制度や、ひろく私たちの文明の将来がどうなるか、その重大な変化を少し考えてみまししょう。……私はその結果に身震いを感じます。すでに私たちは、進歩の過程で個人的名声、上流社会で育てられてきた上品さや文化という宝を保持することがむずかしくなるとして、普遍的平等の影響に反対して戦いをいどんできました。もし、これらの困難に、よりはるかに頑固な肉体的無能力の影響がつけ加わったら、私たちの状況はどうなるでしょうか。……いったん、下等な人種の血が、私たちの子どもたちの血の中を自由に流れるようになったら、どのようにして、その下等な人種の汚れを根絶したらよいのでしょうか。」(一八六三年八月一〇日)

 アガシは解放された奴隷に法律上の自由が与えられると、人種間にきびしい社会的分離を早急に実施しなければならなくなると結論する。幸い、自然は倫理的美徳をたずさえている。選択の自由を持つ人々は自分たちの生まれ故郷に似た風土の方へと自然に引きつけられる。(中略)純粋な黒人は衰え絶えるような住みにくい北部を離れ、南部へ移住するであろう。「不自然な足がかりしかない北部では、彼らがだんだんと死に絶えることを願います。」(一八六三年八月一一日)

 うーむ、150年前だから当たり前とはいえ、ひどいですな。でもただ単にひどいひどいと言ってるだけじゃだめだ。

 この部分はむしろ、自分がアメリカに住む白人になったつもりで、たとえばルイ・アガシが自分の曾々爺さんででもあるつもりで読んでほしいのだ。

 このひどさに責任を感じ、居心地の悪さを解消するために、どうにかして汚名返上したいと思った時、一体どうなると思う? 今から頭の体操をしておこう。きっと後で役に立つ。

第三章 頭の測定

ポール・ブロカと頭蓋学の全盛時代

 事実を認識している理性的な人は、普通の黒人が普通の白人と同等であるとか、いわんや優れているとは信じていない。そして、もしこれが真実であるとしても、黒人のさまざまな制約が取り除かれ、保護者も制圧者もいないフェアな戦いが行なわれた場合、顎の突き出たこの我々の近縁者が、大きな脳と小さな顎をもったライバルに対して勝利をおさめるとは信じがたい。この戦いは思考が武器であって噛みつき合いではないのだ。――T・H・ハクスリー

(中略)

 進化理論は人種単起源論と多起源論の熾烈な論争を支えていた創造論の足場をとっぱらったが、両派の共有した人種差別主義により有効な理論的根拠を提供することになり、両派を満足させた。(中略)人類学史家としてジョージ・ストッキングはつぎのように述べている(一九七三年、lxxページ)。「一八五九年以後この知的緊張関係は、単起源論かつ人種差別主義である包括的進化主義によって解消された。この進化主義は黒い皮膚の未開人をサルの近くに位置づけることによって、人類の単一性を主張した」と。

(中略)

図3・3

 解説用として各グループを代表する個体を選別するとき、全くひどい実例が沢山ある。三十年前、私が子供だった頃、アメリカの自然史博物館の人間展示ホールには、サルから白人へと一直線に並んださまざまな人種の特徴が展示されていた。この時代までは、標準的な解剖学的例示として、チンパンジー、黒人、白人の順にそれらが描かれていた。たとえ、別の個体をもってきて比較すると、違う順序――チンパンジー、白人、黒人――になるくらい白人や黒人の個体変異は大きくてもである。例えば一九〇三年にアメリカの解剖学者E・A・スピッツカは、「著名人」の脳の大きさと形に関する長い論文を発表した。彼は一四二ページにかかげた図(図3・3)を示し、「キュヴィエやサッカレーからズールー族やブッシュマン族への飛躍は、後者からゴリラやオランウータンへの飛躍ほど大きくない」と評した。(一九〇三年、六〇四ページ)。

 わかりますよね? 第一の存在の大いなる連鎖が崩れ去ると同時に第二の存在の連鎖にバトンタッチがなされた瞬間です。

 今回は数字の詳細に分け入っても仕方がないので大幅に省略しますが、要するに一生懸命脳の大きさを測定しては、いろんな偏見に基づく操作を加えて、やっぱり白人の脳は大きかった! 白人は進化した人類だったのです! だから(以下略)! めでたしめでたし、とかいうことをやっていたわけです。

図3・5

 あと、別に言わなくても忘れないだろうけど、この脳の図を上の引用部のものと合わせて憶えておくと、後でいいことがあるでしょう。もうちょっとだけ続きます。

*1:アオソラ・ルカさんと愉快な仲間たちを思い出せ。
*2:ガイア教もその一派に属する。
*3:参考:一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史:10万年前から語り継がれてきた物語:小鳥ピヨピヨ
*4:単に、人類全体として、数千万年前の同じ哺乳類を共通祖先に持つから似ているという以上に。
*5:参考:痛いニュース(ノ∀`) : 【クジラ】「日本は世界で1頭の白クジラも殺しかねない」 恐れるオーストラリア人たち…豪・英メディア報じる – ライブドアブログ
*6:それはそれで、もちろんその通りなのだが。

第21回】 【目次】 【第23回

おまけ

 ちなみに私は当時の分類では「油断のならない、ずるく、ひきょうなモンゴル人種」でございます。

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