【第36回】 【目次】 【第38回】
存在の巨大なる連鎖よ、神より始まり、
霊妙なる性質、人間的性質、天使、人間、
けだもの、鳥、魚、虫、目に見えぬもの、
目がねも及ばぬもの、無限より汝へ、
汝より無に至る。より秀れしものに我等が
迫る以上、劣れるものは我等にせまる。
さもなくば、創られし宇宙に空虚が生じ、
一段破れ、大いなる階段は崩れ落ちよう。
自然の鎖より輪を一つ打ち落とせば、
十分の一、千分の一の輪にかかわらず
鎖もこわれ落ちよう。(アレキサンダー・ポープ『人間論』)
前回した「存在の大いなる連鎖」と呼ばれる観念、および「キリスト教」と「さらにその前提」を分けて考える話を、もう少し補強しよう。
そのために使用するのは、そのものズバリのタイトルを持つ本、アーサー・O・ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』。これが存在しなければこのシリーズが書かれることもなかったであろうほどに重要な本である。
ただし、このシリーズで想定する範囲を超える部分が多いため、使用するのは序盤のほんの数ヶ所に留まる。それでも難しい・つまらないと思ったら、この回を丸ごと飛ばして第38回に進んでも構わない。
次の部分はいきなり少し難しいが、非常に重要なのでぜひ取り組んでほしい。
本質的に異なった哲学的観念または弁証法の動機の数は、本当に異種の冗談の数がそうだと言われている*1ように決定的に限られている。(中略)多くの体系の外見上の新しさは、その体系に加わる古い要素の応用や配列の新しさのみに由来する。
(中略)
これらの要素は、人類の偉大な観念を呼ぶさいに我々が用いつけている名称とは必ずしも一致しない。神という観念の歴史を書こうと試みたものがあるし、そのような歴史が書かれるのは結構である。しかし神という観念は単位観念ではない。といっても私は単に、異なった人々が全く多様で相容れないような超人間的存在を指示するためにこの一つの名称を用いて来たというような陳腐な事を意味するのではない。私はまた、これらの信念のどの一つをとってもその背後に、それ自体よりも重要でないにしても、もっと根源的でもっと説明に役立つ或る一つの、またはいくつかのものを通例発見するだろうということを意味する。
現代では遺伝子のたとえやミームという概念――ここで言われている「単位観念」はそれにかなり近いと思われる――を利用できるので、この本が書かれた時代より少し理解が容易かもしれない。
たとえば、私はホモ・サピエンスの一個体で、そのゲノム全体は沢山の遺伝子が集まってできている。私のゲノムはその先祖の誰とも、すでに大きく異なっている。*2
しかしゲノム中の特定の、たとえばヘモグロビンの遺伝子は、その先祖から塩基配列ひとつ変わらずに受け継がれている。ヘモグロビンの遺伝子は私の生存に絶対不可欠だが、だからといって私はあくまでホモ・サピエンスであってヘモグロビンではない。
同様に、「キリスト教」とか「神」とかいうのは沢山のミームが集まってできたひとつの「生物」であって、「存在の大いなる連鎖」はキリスト教に不可欠なミームだが、キリスト教そのものではない。
現代のキリスト教(社会)は、その「祖先」である中世のキリスト教(社会)とは、様々な面で異なっている。全体としてはもはや同一ではないし、時には似てすらいないように見える。しかし、その一部であるもっと限定された観念はそっくりそのままの形で受け継がれているのだ。
観念の歴史の研究のもう一つの特徴は、(中略)少数の深淵な思想家や著名な作家の教義や意見の中にだけではなく人間の大きな集団の集合的思想の中にある個別の単位観念の表出に特に関心を持っているということである。(中略)つまり広く伝わり多くの人間の財産になるような観念に興味を持っている。(中略)すくなくとも学生のあるものは文学の作品としては今では死んでいる――または現在の美的、知的水準よりすればどうみても価値の乏しい――作品の著者を研究するよう要求されると、いやな気持がする。これらの学生は要求する、何故傑作だけを、またすくなくとも傑作と二流にせよ古典(中略)だけに限定しないのかと。(中略)しかし文学の歴史家がこれらの事にかかわるべきだと思うなら、二流の作家も現在傑作と見なされるものの著者と同じ重要性を持つであろうし、こういう見方によればもっと重要であるということになるかも知れない。パーマー教授は真実を手際よく述べている。「或る時代の傾向は、立派な天才作家にではなく劣った作家にはっきりと現われる。天才作家は時代を超える。しかしそれより劣った創造力を持ち、感受性があり反応する魂には、時代の理想が明瞭に記録される」
今後このシリーズでは、科学者や活動家の文章だけでなく、多くの文学作品も見てもらうことになる。その中には時代を超える天才作家のものだけでなく時代を映す「劣った作家」のものも含まれる。どれがどちらといちいち明示はしないが、この箇所を常に念頭に置いて読んでほしい。
観念の歴史は試行錯誤の歴史ではあるが、誤りでさえそういう誤りをする人間の独特の性質、欲求、才能、および限界について教えてくれる。(中略)それから現代の支配的思想が我々の間の或る人々は明断で矛盾がなく確かな根拠を持ち最終的であるように見なしがちであるが後代の人の目にはそのような性質を持っているとは思われないかも知れないことをこれらの誤りは思い出させてくれる。我々の先祖の混乱ですらも適切に記録されれば単にその混乱をはっきり示すだけではなく、異なってはいるが同様に大きな混乱から我々が完全に免れていることに対する有用な疑念を産み出す役に立つかも知れない。なぜなら我々は先人よりは多くの経験的知識を所有しているが、異なった、より優れた精神は所有していない。しかも哲学と科学をつくり出す――実際「事実」をも主としてつくり出す――のは事実への精神の働きかけなのだ。
第16回と重複するところも多いが、このような心構えは再度強調するだけの価値があるだろう。
プラトンは、永遠ではなく、超感覚的ではなく、完全ではさらにない多くのものの存在は本質的に望ましいという決定的な断定を暗黙のうちに行ない、あの世的な絶対者の中に、善のイデアそのものの中にその絶対者が単独では存在出来ない根拠を見出す。自己充足している完全さという観念が大胆な論理的転換によって――はじめの意味を全然失わずに――自己を超越する豊饒さの観念に換えられたのであった。超時間的で非物質的な唯一者は、時間的で物質的で極度に多様で変化に富む宇宙のダイナミックな源であるのみならず論理的根拠となった。すべての善はそれ自身をまき散らす(中略)という命題は初めてここに形而上学の公理として姿を現わす。
もちろんこの引用部分だけで意味するところを理解できるとは思っていない。興味が湧いた人には、是非この本自体を読んでほしい。
私は例によって、このシリーズに関係するポイントのみを抜き出した超ダイジェスト版の説明をする。
- 創造神が至高の善で永遠で完全で無限なら、何故わざわざ無常で不完全で有限で悪の存在するこの世などというものを創造したのか?
という非常に厄介な問題が、神学には存在する。科学・世俗的な世界観に慣れきった21世紀人の我々にとっては寝言にしか聞こえない*3が、近代以前の人々にとっては真剣かつ重大な問題だった。*4
もちろん、神のみがご存知で人間には知りえない*5とか、実は神などいない*6とか、実はこの世は実在しない*7とか、この世は邪悪の権化が創造した巨大な拷問装置だ*8とかいう答えもあるかもしれない。
しかし、ナザレのイエスが生まれる何百年も前にプラトンら古代ギリシャの哲学者が整理し、スコラ哲学を通してキリスト教に引き継がれた答えは、
- 完全な神とそれ以外の不完全な全てのものからなる状態は、神のみの状態よりも、何か本質的にさらにより完全で素晴らしいからだ。*9
というものだ。この答えには、すぐに思いつく幾つかの利点がある。そして我々がすぐに思いつく――あからさまに後知恵とはいえ――ような利点は、もちろん中世や近代の人々も見逃しはしなかった。
ひとつにはもちろん、元々の神学上の問題を解決してくれる。この世の不完全さ・人間の存在・悪の問題は、絶対の創造神を信じることの障害ではなく、むしろ神が宇宙が完全・至善であるために欠くべからざる積極的な要素となる。
もうひとつには、現世の権力や身分の階層構造*10を積極的に肯定し、正当化してくれる。なんたって完全で全能な神が存在するならばそこから無まで欠けることのない連鎖が存在「しなければならない」のだ。
神がいてその似姿たる人間がいれば、その中間の天使も必ず実在「しなければならない」し、高貴な人間がいて下等な獣がいるなら、その間には身分の低い平民・奴隷・動物並の劣等人種といったものも「いなければならない」のだ。
プラトンがこういう観念に到達した弁証法は多くの現代人の耳には説得力に乏しく本質的に言葉の上だけのものに思われるかも知れないし、その結論は矛盾に過ぎなく思われよう。しかしもし我々が、まさにこのような二重性を帯びた弁証法が古代においてよりも強力に中世および近代において多くの世代の思想を支配して来たという事実を無視するならば、西洋における爾後の観念の歴史の大きな重要な部分を理解しないことになろう。
プラトンがなんだ。そんな話が一体何になる? という感想を持つ人はいると思う。気持ちはわかる。確かに実際にシー・シェパードの被害に苦しめられているような人々の救いにはあまりならないかもしれない。
しかし、これらの知識は、すぐに具体的な助けにはならなくても、確実に恐怖を減らし、恐怖にかられての愚かな行為を減らし、長い目で見れば良い効果をもたらすと私は信じる。
だってそうだろう? どれほど荒唐無稽な陰謀論でもやすやすと信じ込める強靭なアホさを持つ頭脳でも、食肉業界の資金援助でCIAがタイムマシンを秘密裏に発明し、鯨肉の需要を減らすために約2400年前の世界にプラトンを送り込んだのだ、と信じるのは、少々骨が折れるはずだ。
次回は大幅に回数をさかのぼって、おそらくシリーズ最大級の恐怖をもたらした部分と向きあってみよう。大きな鍵(暗唱できますね?)を手に入れた今は、あの扉も開けられるはずだ。
*1:本筋とは関係ないので追及しないが、本質的に異なるジョークの数が決定的に限られたものであるかどうかについては疑問がある。私は間違いだと思っている。
*2:もっとも一卵性双生児を例外とすれば、過去・未来の誰と比べても、ゲノム全体が一致する確率はゼロだが。
*3:実はそうとばかりも言えない。特に悪の問題は、現代でも信仰を持つ人には重大な問題だ。参考:『なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記』『破綻した神キリスト』
*4:参考:第17回
*5:まあ確かによくあるやり方だ。
*6:それはもはや無神論だ。
*7:だったらキリストの受肉・刑死・復活も実在しないの? 異端者なの? 死ぬの?
*8:創造神が善であることは、現在そう信じる宗教の系列が圧倒的なシェアを持っているため、自明のように思えるが、実際これに近い考えの宗教はある。
*9:本筋には関係ないが、このプラトンの議論は、数学の集合論――可算(無限)集合の冪集合は非可算であり、元の無限集合よりも濃度が高い――を連想させるものがある。
*10:ヒエラルキーとは元々カトリックの聖職者の階級制度を意味する言葉だ。
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おまけ
コメント
>2
マジレスすると、わざとやっている。
人間は天文学的に低い確率を理解できずに
単に「ありうる」と解釈してしまう傾向がある。
宝くじで一等当てられると思う人が絶えないように。
だから、通常の文章では、宇宙の始めから終わりまで
一度もありえないような天文学的に低い確率は、
単にゼロと表現すべきだと思う。
>*2:もっとも一卵性双生児を例外とすれば、過去・未来の誰と比べても、ゲノム全体が一致する確率はゼロだが。
遺伝子は4種30億対と量子化されてるんで4のマイナス30億乗分の1位上の確率で同一じゃないかな(30億対が概算で対数自体に個人差があるのは知ってますんでもちろん概算です)。
一時期グーグルさんの内容表示にこのエントリ冒頭が映っており
ブログタイトルと合わさってなんか違う世界のサイトに見えた罠。
……は、さておき久々の更新で嬉しい限り。
で、思いっきり楽しみにしてる身でアレなんですが
>>確実に恐怖を減らし
物凄く面白いのだけれど、恐怖、減りますかね?
陰謀論と恐怖の繋がる感覚が久しくわかんない身になってるからなのかなぁ……