2011 12/30

『イカの心を探る―知の世界に生きる海の霊長類』★★

 池田譲著。結構おもろい。

『アフリカを食い荒らす中国』★★★★

 セルジュ・ミッシェル著、ミッシェル・ブーレ著。邦題がクソだが、内容はとても興味深い。オススメ。

『生物の社会進化』★★★★★

 ロバート・トリヴァース著。昔これで見たはずのエピソードを確認したくて借りてきたがこれじゃなかった。それとは関係なく内容は素晴らしいのでおすすめ。

『嘘発見器よ永遠なれ』★

 ケン・オールダー著。興味深い。

『地球の論点 ―― 現実的な環境主義者のマニフェスト』★

 スチュアート・ブランド著。ちょっと突っ込みたくなる部分もあったけど、タイトル通りの本としての役割は果たしてそう。

『霊長類のこころ―適応戦略としての認知発達と進化』★★

 ファン・カルロス・ゴメス著。発達心理学とか好きな人には。

『パラドックス大全』★

 ウィリアム・パウンドストーン著。お馴染みの著者。

『肩をすくめるアトラス』★

 アイン・ランド著。Bioshockの世界観に影響を与えたと聞いて。確かに、ゲームのネタとしてはいい具合に壊れたおばちゃんだわ。単独で面白いとは言えない。

『1冊で知る ポルノ』★★

 デビー・ネイサン著。タイトル通りの内容としてオススメはできる。

『モンテ・クリスト伯』★★★★

 アレクサンドル・デュマ著。古さは否めないけど古典中の古典だから当たり前よね。

『カルト教団 太陽寺院事件』★

 辻由美著。正直最近まで名前も知らんかった。なんでだろ。

『ダーウィン『種の起源』を読む』★

 北村雄一著。まあいいと思う。

『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』★

 ジェームズ・R・チャイルズ著。原発事故でホットな分野。

おまけ

 これ今年? もっと昔に感じるということは、今年は充実してたのか?

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2011 11/30

『古代ローマ人の24時間—よみがえる帝都ローマの民衆生活』★★★

 アルベルト・アンジェラ著。結構面白い。

『容疑者Xの献身』★★★★

 東野圭吾著。映画未見。確かに久々に推理小説で面白いと思った。

『進化心理学入門』★

 ジョン・H. カートライト著。タイトル通り。教科書的。

『クジャクの雄はなぜ美しい?』★★

 長谷川眞理子著。性淘汰もの。初歩的だけどいい。

『加害者家族』★

 鈴木伸元著。重い。テーマ的に。

『人類の足跡10万年全史』★★

 スティーヴン・オッペンハイマー著。

『生物から見た世界』★★★

 ユクスキュル著、クリサート著。地下猫さんの紹介。確かに年代を考えると大した視点だ。

『ゆるゆり』★★★★★

 なもり著。ニコ動でやってたアニメから知った。女性作家のギャグ漫画としては過去に前例がない面白さ。

『ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド』★

 トルケル・フランセーン著。

『世界屠畜紀行』★★★

 内澤旬子著。

『ドクター・タチアナの男と女の生物学講座』★★★

 オリヴィア・ジャドソン著。一見ふざけた感じだけど、ちゃんと生物学的にも真面目。

『フランクリン自伝』★★★★

 ベンジャミン・フランクリン著。大昔読んだことがあったはずだが、再読でも面白い。やっぱロングセラーなだけのことはあるわ。

おまけ

 ちなみにnotch星での標準的屠畜法は「生きたまま焼き殺す」である。

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2011 8/31

(本文とは無関係)

『スーパーセンスーーヒトは生まれつき超科学的な心を持っている』★★

 ブルース・M・フード著。副題の通りの内容。よい。

『赤ちゃんはどこまで人間なのか 心の理解の起源』★★★

 ポール・ブルーム著。タイトルほど赤ちゃん中心ではなく、むしろ上の『スーパーセンス』に近いテーマ。これもかなりよい。

『子どもに障害をどう説明するか―すべての先生・お母さん・お父さんのために』★

 相川恵子著、仁平 義明著。どこで知ったんだっけ? 普段あまり意識しないテーマなので新鮮だった。

『友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学』★★★★

 ロビン・ダンバー著。エッセイ集。かなり面白い。このタイトルはトルストイの”How Much Land Does a Man Need?”のもじりなのだろうか?

『国語教科書の中の「日本」』★

 石原千秋著。教科書ってけっこう価値観の刷り込みとかあるよね的な話。

『23分間の奇跡』★

 ジェームズ・クラベル著、青島幸男訳。ダーク・『最後の授業』。自分は見たことないが世にも奇妙な物語で映像化されたことがあるそうだ。あと、なんで青島幸男なんだ?

『パパの脳が壊れちゃった―ある脳外傷患者とその家族の物語』★

 キャシー・クリミンス著。こえーよ。

『世界で一番美しい元素図鑑』★

 セオドア・グレイ著。いつかの『Mad Science』と同著者。図書館向きか。

『自由論』★★★★★

 ジョン・スチュアート・ミル著。山岡洋一訳。言わずと知れた古典。訳者が亡くなったのがきっかけで思い出した。

おまけ

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2011 8/27

人間の本性について (ちくま学芸文庫)

 エドワード・オズボーン・ウィルソンのピュリツァー賞受賞作。内容はタイトル通りで、賞に相応しい素晴らしさ。

 私が生まれた年の本だが、いま見てもそれほど古びていない。問題になりそうなほど古いのは、同性愛を擁護するのにヘルパー説に頼っているところぐらいか。

 同じ人間が『創造』みたいなすっとこどっこいな本を書いたとは、なかなか信じられないほどだが、この本のラストには、それに繋がった問題意識がすでに見られる。

 科学的自然主義scientific naturalismの決定的な強みは、その主敵たる伝統的宗教を、物質的な現象としてあますところなく説明してしまうことができるという点にあると言える。つまり、神学が独立した知的分野として生き残れる見込みはなくなったのである。しかしそれでも、宗教それ自体は、社会に重大な影響力を及ぼすものとして、今後も長く存続することであろう。産みの母である大地からエネルギーを吸収したという神話上の巨人アンティオスと同様に、宗教もまた、単に地上に打ち倒されたぐらいのことで打破されるものではないからである。科学的自然主義の精神的な弱みは、アンティオスにとっての大地に相当するような力の供給源を、それが欠いているということに由来している。科学的自然主義は宗教的感情の強固さの唯物学的源泉を説明しはするが、現在のままの形態では、その力を自らの側に引きよせることはできないのである。なぜなら、科学的自然主義の進化的叙事詩は、人間個人の不滅性を否定し、その代りにただ人類という生物種の実存的な意味を示してみせるばかりだからである。ヒューマニストたちが、精神的帰依や自己放棄の強烈な快感を享受することは決してないであろう。科学者たちは、司祭の役目など金輪際果たせるものではないのだ。かくして我々は次の問いに逢着した。宗教の源泉を白日のもとにさらしてしまうこの偉大な新しい企てに、当の宗教の力そのものをふり向けさせる方法が、一体存在するのだろうか。

関連書籍

おまけ

 MMD杯は今回もレベル高かったな。

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2011 7/30

(本文とは無関係)

『ホロコーストを知らなかったという嘘―ドイツ市民はどこまで知っていたのか』★

 フランク・バヨール著、ディータァ・ポール著。みんな薄々わかっていることながら、まあタイトル通り。

『図解・感覚器の進化』★★★★

 岩堀修明著。久しぶりにすごくいいブルーバックス。図解多し。おすすめ。

『プルトニウムファイル』★

 アイリーン・ウェルサム著。ちょっと今話題の方向性とはずれてるけど、プルトニウムはプルトニウム、放射性物質は放射性物質。知っといて損はないのでは? ただし、根っから陰謀論脳な人は悪化する可能性があるからやめとこう。

『やわらかな遺伝子』★★★★

 マット・リドレー著。古典的な『生まれか育ちか?』的な二者択一の問いは、最新の知識からするとほとんど意味を成さないという、その辺の話。いいと思う。

『吸血鬼(バンパイア)ハンターD』★★★★★

 菊地秀行著。「ラノベは銀英伝とロードス島戦記ぐらいしか知らない」と前に書いたが、これもラノベに入れてよければ読んだことある。古いけどやっぱ面白いなあ。

『実践 行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択』★

 リチャード・セイラー著、キャス・サンスティーン著。行動経済学本は最近よくあるが、それを社会デザインにどう活かすかという方に重点が置かれている。

『かぜの科学―もっとも身近な病の生態』★★★★

 ジェニファー・アッカーマン著。普通(≒インフルエンザ以外)の風邪は、手についたウィルスが目や鼻に付くことによって感染する。子供(≒保育園・幼稚園・小学校)はかぜの巣。等々、いろいろ勉強になる。

『紛争屋の外交論―ニッポンの出口戦略』★

 伊勢崎賢治著。やや散漫な印象あるけど、この著者個人的に好きなので。

『誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか』★★★★★

 ジョージ・エインズリー著。なんでも双曲割引で説明しちまう本。さすがにちょっとフカシ過ぎじゃねえの? と思うところもあるけど、すげえ面白い。普段なら単独エントリにするのだが。山形浩生の訳者解説から読むことを勧める。

おまけ

 人はなぜ自滅的行動をするのか……。

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2011 6/18

宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰

 原題”THE FAITH INSTINCT”。スティーブン・ピンカーの”THE LANGUAGE INSTINCT”(『言語を生みだす本能』)を意識して、その向こうを張ったものだ。

 宗教を生み出し運用する能力は、言語を生み出し運用する能力と同じく、集団を内部で結束させ、他集団との戦闘などで有利にするために、進化によって積極的に選択された本能であり、何かの副作用でたまたま生じたわけではない。

 というのが主な主張になる。

 私は、この問題に限って言えば、ある程度グループ淘汰的な見方を受け入れるべきであろうと思っているので、全体としては同意できる部分が多い。

 ドーキンスやピンカーが宗教の適応的意義を軽視しすぎている、という意見には、ほぼ完全に同意する。

 厳しい戒律やタブーなど、宗教の持つ一見理不尽な要素も、それを行うコストによってフリーライダーの侵入を阻むためのものだ、という説明は、まあ常識的といってよいと思う。

 たとえば『神は妄想である』のドーキンスが伝統宗教の理不尽な点をあげつらうばかりで、分かっていないはずはないのにそのような基本的な説明をしないのは、確かにずるいと思う。

 最初の方はかなり期待していたのだが、後半に行くに従って、だんだん失速している。根拠に乏しいまま、ただ「〜だっただろう」とそれまでと同じようなことを繰り返す部分が多くなってくる。

 7章のイスラムの起源に関する仮説*1は、かなり極端で、まかり間違って結果的にそれが正しかったとしても、現時点でこの本に入れるのは適切ではないように思われる。

 全体的には、勇み足っぽく見えるところも多いが、悪くない本だったと思う。「勇み足」という単語にデジャビュを感じて検索したら、以前同じ著者の本に対して同じ単語を使っていたのに気がついた。著者がそういう気質なのだろうか。

*1:ムハンマドは実在の人物ではなくその歴史は後世の創作であり、初期の碑文などにある「ムハンマド」という言葉はイエス・キリストを指すものだったというもの。

関連書籍

おまけ

 マイクラ三大宗教のひとつイカ教。

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2011 6/18

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

「顔の美醜について」のキモいところは、美醜という価値判断そのものの自明性が疑われない中で、藪の中のようなインタビュー的構成をとることで「多様な意見がある」とみせかけながらその全部が「悪平等を求める(戯画化された)フェミニスト」をバカにすることを媒介にしてつながっていることです。

(Twitter / @hokusyu82: 「顔の美醜について」のキモいところは、美醜という価値 … )

 という感想がたまたま目に入ったけど、『顔の美醜について』って、そんな話だったっけなあ。これが「美醜という価値判断そのものの自明性が疑われない」話だというなら、どんな話なら疑う話なんだ。

 いま手元に本がないし、細かく覚えてないが、「悪平等を求める(戯画化された)フェミニスト」は確かに出てきたかもしれない。

 しかし、作品全体としては『カリー』を支持する側にはっきり好意的で、作者自身の主張はむしろそちらに近いものだった、というのが私の記憶だが。

 そもそも脳の顔の美醜判断モジュールを麻痺させる装置(≒美醜に進化心理学的根拠がある)というアイデア自体が気に食わない、という話なら、まあ一応理解はできるが。どうにもしてあげられない一つの意見として。

おまけ

 顔の美醜以前の問題について。

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2011 2/19

(本文とは無関係)

 将来書こうと思っているテーマだったのだが、何年後になるかわからないので、概略だけでも先に書いておこうと思う。

 ほぼ以前Twitterでつぶやいたものを清書したのみである。

 過去の漢字廃止論の経緯などには全く関心がないため、ここで言う「ひらがなすいしょう論」は「漢字廃止論」と必ずしも同一ではなく、

  • 現在ネット上で広まっている漢字を廃止ないしは減少させてひらがなで日本語を表記すべきという主張

 ぐらいの意味と考えてもらいたい。たとえば今すぐ思い当たる範囲では、あべ・やすしさん等の。

 結論から先に言うと、私はこの主張をしている人達の善意を疑うことはないが、絶対うまくいかないだろうから止めてほしいと思っている。

 それは、仮に共産主義者が真剣に経済の平等と人々の幸福を願っていたとしても、現代において共産主義を支持するわけにはいかないのと同じことだ。

 共産主義との類似性を言うのは単なるネガティブキャンペーンではない。この概略では大幅に省略せざるを得ないが、本当のテーマは、

 という20世紀を代表する誤りの共通性の話だ。

 この三つに共通する誤りとは何かというと、あらかじめ決まっている正しい状態、別の言い方をすれば「答え」がどこかに存在し、正しいステップを踏むことによってそこにたどり着けるのだという発想だ。

 たとえば、共産主義では「正しいパンの価格」というものが存在する。それが実際に100円であるかそれとも200円であるかとか、現実的にそれがそうと確かめらるかどうか、といったこととは関係なく、それは確かに実在するのだ。

 これと同様に、ひらか゛なすいしょう論の考え方では、「正しい言葉」というものが存在する。その正しさの根拠がたとえ何であれ、たとえば「社会的弱者にも使いやすいようにするため」だとか、どんな素晴らしいあるいは素晴らしくない理由を考えていたとしてもとりあえず関係ない。

 とにかく「正しい言葉」――あるいは少なくとも今より正しい言葉――というものが存在すると思っている。そして現在の言葉が「正しくない」理由は、何か(自分たち以外の)人間が馬鹿だったり、邪悪だったりするからだと思っている。

 だがこうした前提は間違っている。最も重大な間違いは、言葉を意味を正確に伝達するための道具だと思っていることだ。「えっ違うの!?」と思うだろうが、全然違うのだ。

 一見ちょっと関係ない話をしよう。私が子供の頃に読んだSF小説*1 で、スパイだか超能力者だかが、すごい訓練をして、ちょっとの言葉でものすごく沢山の意味を正確に伝達できる「超高速言語」とやらを身につける、というくだりがあった。

 これ、どうしてSFなんだろうね?

 むしろ、それが当然になっていないとおかしいのではないのか? どうして人間の言語は、ひらがなすいしょうの人たちが主張するみたいに、それどころかもっと極端にこのSFみたいに、単純明快で効率よくなっていないのだろう?

 言語が意味内容を正確に伝えてマンモス猟を成功させるためのものだったら、厳しい自然選択の力によって、とっくにそうなっていないといけないはずではないか? 現実の言語の方がよっぽどSF的な存在ではないのか?

 現実に存在する偉大な詩や小説、それらを創ることができるような人間の能力は、いったいどうやって進化できた? これは怪現象としか言いようがないことだ。

 進化論の共同発見者として有名なアルフレッド・ラッセル・ウォレスのような人さえもこの問題には降参して、ついに人間の精神だけは進化によっては説明できず、神によって導かれたものだと考えるようになった。

 彼がそうしたのも無理もないことだ。実は、言語の進化については、今に至るまで中学高校の教科書に載せられるような定説は存在しないのだ。どうにかこうにか説明がつくと思われるようになってきたのさえ本当に最近のことなのだ。

 だから、残念ながらこれから何を言うにしても教科書嫁終了というわけにはいかないのだが、少なくとも、たとえば仮に未来から振り返った時、最終的に正しい説明の一部分として生き残っているであろう重要な指摘は、

  • 言語能力は人間の性淘汰上の適応指標形質として働いている

 ということだ。

 これは、言われてみれば全く当たり前のことだ。あなたはお見合いに臨んでいるとしよう。その人と一生添い遂げねばならないとする。子供が欲しかったら子作りもその人としなければならないとする。以下のうち誰を選ぶ?

  1. 美形で言葉が巧みだけど一文無しの人
  2. 金持ちで言葉が巧みだけど二目と見れぬ不細工
  3. 金持ちで美形だけど言葉が話せない*2

 これだけの想像でも、ほとんどの人が重要だということに同意するであろう経済力や外見に比べても、勝るとも劣らないぐらいに言語が重要だということは明らかだ。

 世界一モテる人間は世界一の金持ちビル・ゲイツでも世界一の権力を持つアメリカ大統領でもなく、一流のスポーツ選手や歌手だ。スポーツ選手がモテるのは当然として、言語や音楽を操るのがうまい人がなぜモテるのか?

 当然のことの確認から始めよう。スポーツが得意な人がモテるのは、言い換えれば、スポーツができる人を好ましいと思う性質が人間に進化してきたのは、それがダーウィン的な意味で優れていることを示す正確な信号だからだ。

 より早く走ったり、より正確に動いたり、より重い物を持ち上げたりといったことは、肉体的に本当に優れていないとできないことだからだ。そのような日常的な観点からは不当に大きなコストを負担できるということが、嘘やハッタリではなく実際に優れているということを証明することになる。

 そろそろ勘がいい人は、次にどういう話になるかわかるだろう。この観点では、言語を操ることはいわば精神のスポーツであり、現実に存在するすばらしい小説や詩や歌などは、いわば脳のオリンピック競技なのだ。

 これ以上詳しい説明は省略するが、この性淘汰の再評価によって、従来説明がつかなかった人間の能力、特に言語は、孔雀の羽が実在することが不思議でもなんでもないぐらいには、不思議でないものになってきた。

 重要な概念は【コスト】だ。日常生活より楽なことをやっていては、それはスポーツにならず意味がないように、負担がかかることこそが重要なのだ。

 言語が意味内容を伝えるためのものだと考えている時には、当然コストは少ない方がよいということになる。言語はできるだけ簡単でわかりやすいほうがよい。そう、ちょうど狩りや共同作業に必要十分なくらいに。

 しかし、コスト自体が重要だという観点からは、全く違う結論が出てくる。つまり、言語をもっと簡単でわかりやすく、誰でも使えるものにしようということは、言語がそもそも生まれ今のようなものになった原因でもある最も重要な機能を台無しにしてしまえという主張になるのだ。

 これもまた、言われてみれば当たり前のところがある。

 超有名な不朽の名作、ジョージ・オーウェル1984年』で、ニュースピークというものが出てくる。説明は省くが要するに、極端に簡略化された英語だ。エスペラント語を参考にしたのではないかとされている。

 ニュースピークがなぜこれ程までに人間性に対する冒涜と感じられるのか? 素晴らしい効率性と単純性に美しさを感じてウットリとなってもいいはずではないか? なぜそうではないのか?

 なぜ、この感覚が英語を母語としない人にまで広く共有されうるのか? 英語話者のみがそう感じるのであれば、たとえば「自分たちと違う言葉を話す人に対する警戒感」など従来から認識されている理由だけで説明がつけられるかもしれないが、明らかにそうではない。

 私が初めて『1984年』を読んだ時、それが不思議で不思議で仕方なかったが、今はもう不思議とは思わない。そもそも、それが当たり前だったのだ。おそらく何十万年も前からずっと。

 たとえネアンデルタール人であれ、クロマニヨン人であれ、北京原人であれ、人類が簡単すぎる言語にアンチヒューマニズムを感じなかったことなど、おそらく一度もないのだ。

 コスト。途方もなく複雑で絶えず変化する言語を流暢に操るという活動にかかる途轍もなく無駄なコストが、優れた者あるいは自分たちの仲間を見分け、劣った者あるいはよそ者を排除する、という機能を実現可能にしている。

 つまり、意外と思う人もいるかも知れないが「言語の難しさが、差別や排除に繋がっている」という一部のひらか゛なすいしょう論者の発想は、実は的外れではない。めちゃくちゃ正しい。

 むしろ、問題はそれが正しすぎるということだと言ってもよい。そう正しすぎる。言語は元々そのためのものなのだ。*3

 つまり、ひらか゛なすいしょう論の主張は、肉体的なことに置き換えれば、

  • みんな! スポーツなんて無駄なことは廃止して代わりに鍬を振るうようにすれば、腹も減らず怪我もしないし、余分の食料も増えてみんなハッピーだよ!

 と言っているようなものだということだ。

 当たり前だが、その主張がいかにもっともらしくとも、一夜にして人々がスポーツに魅力を感じなくなったりしない。突然スポーツ選手がモテなくなったりしないし、イチローがバットを鍬に持ち替えたりもしない。

 仮にみんながみんな本当にそうすればハッピーかもしれないが、無論その仮定が成り立つことはない。仮にみんながみんな私利私欲を持たず公平に働けば共産主義だってうまくいくかもしれないが、現実には成り立たないのと同じことだ。

 ファミコン直撃世代の私は、ひらがなが読みにくいというひらか゛なすいしょう論に対してよくなされている反論には全く同意しない。当然のことながら、慣れたらむしろ読みやすいだろう。

 現在ネットでひらか゛なすいしょう論が多少なりとも追随者を産む程人気がある(≒格好いい)のは、まさにそれが、ほとんど誰もやってない珍しい(≒書くにも読むにもコストのかかる)ことだからだ。多くの人がするようになり、慣れてしまったら、それは誰でもより簡単にできることに過ぎなくなってしまう。

 おそらく現在ひらか゛なすいしょう論者は「ひらがなが読みにくい」と言ってくる人々を憎んでいるだろうが、そう言ってくれる人がいなくなったらおしまいなのだと思えば、もう少し仲良くできるのではないだろうか。

 大勢がやるようになっても人気を保とうとするならば、もちろん漢字も見事に使い最高に複雑で優雅で難しい表現で主張するしかないだろう。しかし、それはもちろん、もはやひらか゛なすいしょう論ではない。

 結局自己否定的なのだ。

 エドワード・オズボーン・ウィルソンは何かの本で「マルクスは理論を適用する種を間違えたのだ」*4というようなことを言っていた。

 人間性がおそらく数十万年・数百万年かけて形成されたもので一夜どころか一世代でも到底変化させられないものである以上、このジレンマを逃れて自発的に受け入れさせる方法は私には思いつかない。人類を滅亡させるほうがまだ簡単だろう。

 無理にでも受け入れさせたかったら強権をもってするしかない。それこそ本当に『1984年』のように。それを真剣に望む人はいないと思いたい。

 差別や排除に対する問題意識から主張している、私の考えるレベルの高いひらか゛なすいしょう論者の方々に言いたいのは「あなたを尊敬するが、だからこそその望みのない道にリソースを割くのはやめて、他を当たってほしい」というものだ。

 逆にレベルの低いひらか゛なすいしょう論者には、「自分が魅力を感じないもの・自分が理解できないものは、この世からなくしてしまった方が世のため人のためだ」という最も危険なタイプの正当化の誘惑に弱い人が混じっているように見える。

 最低なのは単に「合法的」に表現できる唯一の対中エスノセントリズム(自文化中心主義)として漢字廃止を主張し、「やまとことばはうつくしいでしょう?」とかなんとか言ってる奴。

 こうしたレベルの低い人々に対する反論は、ここでわざわざするまでもないと思う。

 本来この数十倍・数百倍の字数が必要な話なので、納得いかないことも多いと思うが、そもそも今この問題に割くリソースがないということがこの概略を書いた動機なので、質問にもよほど面白いor有益と思うものでなければ答えられない。

 代わりと言っては何だが、重要な参考文献をいくつかあげておくので、興味がある人はまずそれらに当たってもらいたい。この問題とは関係なくおすすめできるものばかりである。

*1:後で調べたらロバート・A・ハインライン『超能力部隊』だった。
*2:たかだかここ数千年・数百年の発明に過ぎない手話や筆談は存在しないものとする。
*3:もちろんそのためだけのものではないが。
*4:アリなら共産主義がうまくいっただろうという意味。

参考文献

おまけ

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